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再び彼女の夢を見るようになったのは、その次の夜、つまり水曜日の夜からだった。
その夜、眠りについた僕の夢の中の意識は、彼女の住むアパートの部屋へと飛んだ。彼女が住む、と断定したが、僕はこれまで彼女の家へは行ったことが無かったから、そこが彼女の住みかなのかどうか、正確には分からない。ただ、夢の中で彼女が一人その部屋に居たから、そうに違いないと思っただけである。
いかにも彼女らしく綺麗に片付いた八畳ほどの洋室で、彼女は二人がけの白いソファに座っていた。ソファから小さなテーブルを挟んで、向かいの壁際に置いてあるテレビをぼんやり眺めている。彼女は薄く化粧をし、ベージュのタートルネックのセーターに黒のスカートを合わせていた。
ちょっと不思議なことに、僕はこの夢の中で彼女の部屋に居たわけではない。僕の体はそこには無く、ただ僕の意識だけがそこに存在して、定点カメラで映しているかのように彼女の姿を正面から見ているのだった。自分の登場しない夢。それは確かに珍しく、あまり体験しないものだが、夢に浸っている僕はなんの違和感も無くその夢を見ていた。
彼女は脚をななめにして揃えて、上半身をソファに預け、静止画像のように固まってテレビを観ていた。しばらくその姿勢が続いたが、何分か経った時、おもむろに立ち上がって部屋を出て行った。僕の意識は、彼女のいなくなったソファを相変わらず映していた。
少しして彼女が戻ってきた。その手には包丁が握られていた。彼女はソファのななめ後ろにあるクローゼットを開くと、ハンドバッグを取り出し、包丁をその中に入れた。そうしてハンドバッグをテーブルの上に置くと、再びソファに体を預けた。
その日の夢はそこで終わった。
その次の夜、僕はその続きの夢を見た。その夢の中では、前の日の夢と同じように、彼女が部屋でテレビをぼんやり観ていた。それが前の夜と同じ夢ではなく、その続きだと分かるのは、テーブルの上にハンドバッグが置いてあったからだ。
相変わらず彼女はテレビを注視していたが、やがてテレビ台に置いてある置時計をちらと見、時間を確認すると、テレビを消して、ハンドバッグを手に取り、クローゼットから春物のコートを出して着込み、部屋を出た。そのまま玄関まで行き、アパートから出た。僕の意識も、今度はカメラを移動させるように彼女の姿を追っていった。
外は春の夕暮れだった。彼女は人気の少ない住宅街の路地を歩き、やがて大きめの通りに出た。車の行き交うその道路の歩道を、脇目もふらず北へ進んだ。
はじめ、マンションやアパートばかりが建ち並んでいた道の両脇には、進んでいくうち、セブンイレブンや銀行や雀荘や中華料理屋といった店がちらほら見えるようになり、にぎやかになってきたと思ったらもう高円寺駅のロータリーに出ていた。彼女はロータリーの歩道を歩き、横断歩道を渡って、駅に入っていった。
この日の夢はそこで終わった。
次の日――つまり金曜日の夜、僕の夢は彼女が高円寺駅で電車に乗るところから始まった。彼女は駅のホームで電車を待ち、新宿方面行きの中央線が来るとそれに乗った。ラッシュアワーのはずだが、帰宅時間帯に上り電車に乗ったためか、あまり混んでいなかった。
彼女はつり革に掴まって、電車に揺られながら窓の外を眺めていた。車窓からは、中央線沿線のどこかパッとしないビル達が、暮れゆくなか電車の後方へと次々と流れていくのが見えた。そのビル群を眺める彼女は、いつも以上に真っ白な顔をして、緊張した面持ちで、時々何か独り言を呟いている。
そんな彼女を乗せた電車が大久保駅を通り過ぎた時、僕は夢から目を覚ました。
土曜日の夜も、僕は彼女の夢の続きを見た。彼女が中央線に乗って新宿駅へ辿り着き、そこで降りた時が夢の始まりだった。会社員の帰宅時間にばっちり当たった新宿駅は、すさまじい人ごみだった。彼女はその人ごみの中、JR駅構内から京王線駅構内へと向かった。
新宿駅がターミナルになっている京王線のホームには、発車を待つ電車が二両並んで停まっていた。二両のうち先に発車する予定の車両には、サラリーマンやOL達が、これでもかというくらい詰め込まれて、押し合いへし合いして一様に不機嫌そうに発車を待っていた。
彼女はほぼ満員のその車両の乗車口の一つに取り付くと、「すみません」と小声で言って背中を車両へ向け、お尻から無理矢理車内へ乗り込んだ。彼女が何とかぎりぎりドアの内側に体を押し込んだ時、発車のベルが鳴った。やがて、乗客たちの嫌な体臭を充満させた電車は、暗い地下の線路を走り出した。
そこで僕は目を覚ました。寝室の窓にかかっているカーテンは朝日を透かして、もうすっかり明るかった。時計を見た。九時。日曜だからと、ついつい油断して寝過ごしてしまった。一緒に寝ていた菜奈はもう起きているらしく、隣にいなかった。僕はベッドの上で一人上半身を起こしながら、夢の中の彼女がこの僕の家へ向かってきているのではないか、といぶかしんだ。
その夜。夢の中で彼女を乗せた京王線は、笹塚駅へ辿り着き、地下から地上へ出た。さらに明大前駅へ着くと、多くの人が降りて若干車内に余裕が出た。彼女も他の乗客の乗り降りに合わせて、乗車口付近から座席の前のつり革のあるところまで移動した。そこにはスペースに余裕があって彼女はなんとか一息ついたようだった。
僕が予想していた通り、彼女はそこから数分電車に揺られて、僕の住む街の最寄り駅で降りた。駅前の商店街に出ると、建物と建物の間から見える空はもうすっかり暗かった。彼女は寒そうにコートの前をかき合わせて商店街を歩き、甲州街道を横切って住宅街に入り、どこでどう調べたのか、迷うことなく僕の住むマンションへと向かってきた。
・・・そこで僕は目を覚ました。
月曜日の夜。彼女は僕の住むマンションのエントランス脇の道路に立っていた。寒そうに腕を組み、震えをじっとこらえるようにして、電柱のそばにたたずんでいる。時々腕組みをほどいては、両手を口元に持って行き、手に息を吹きかける。電柱の上部につけられた街灯が、そんな彼女を寂しく照らしていた。
何分、いや、何十分経っただろうか、紺のジャケットにグレーのスラックスというサラリーマン定番の着こなしをした、小太りの四十歳前後の男が路地の右手から現れて、マンションのエントランスに入っていった。一つ目の自動ドアの中に素っ気なく入り、その内側でオートロックの暗証番号を入れ始めた。
彼女はそれを見ると、自分もエントランスに入って行き、暗証番号を入れている男の後ろに立った。やがて、暗証番号が解かれて内側の自動ドアが開いた。男は後ろにいる彼女を一度不審げにちらと見、しかしそれだけで何もとがめようともせず、ドアの中に入って行った。一拍置いて、彼女もその後に続いた。この日の夢はここまでで終わった。




