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それからちょうど二週間後の火曜日のことである。その夜、早めに仕事を切り上げた僕は、マンションに沼田を呼び、菜奈と三人で夕食をとっていた。
その日から十日ほど前、子供ができたことを僕が沼田に話すと、沼田は自分のことのように喜んでくれ、ぜひ一度お祝いがしたいと言ってくれた。そこで菜奈とも話し合った結果、三人が早く仕事からあがれるこの日に、気の遣わない自宅で食事をすることになったのである。
「じゃあ菜奈ちゃんはどうしても女の子が欲しいの?」
リビングの四人がけのテーブルに、僕・菜奈と向かい合わせに座った沼田は、営業職で培った笑顔を菜奈に向けてふりまき、自分でグラスにハイボールを作りながら聞く。
「えー、どうしてもっていうわけじゃないですけど。でもやっぱり女の子がいいかなあ。お母さんに聞いても、一人目は女の子の方が楽だって言うし・・・」
対する菜奈はお腹に赤ちゃんがいて飲めないので、サントリーの「のんある気分」というノンアルコールカクテルを、缶のまま飲んでいる。つまみは菜奈が簡単に作ってくれたカルパッチョとサラダ、チーズに、デリバリーのピザだ。
「だって、北島は男がいいんだろ?この間電話で言ってたよな」
沼田の会話の矛先が僕に向いた。
「ああ、まあ、そうかな」
「えー友紀斗、そうなの?私聞いてない、それ」
菜奈が僕に甘えるように言ってくる。それに対して僕は、
「いやいや、そうは言ったけど、こればっかりは仕方ないじゃん。どっちが産まれても、俺はうれしいよ」
「またまたあ」
「またまたあ」
菜奈と沼田、二人が息を合わせて僕をいじってきた。しばらく会わせていなかったが、この二人は前々からウマが合う。僕はこの日沼田に来てもらって良かったと、改めて思った。
「あ、ちょっとトイレ。カルパッチョの鯛、最後の取っておいてね。私食べたい」
そう言って菜奈が席を外した。グラスを片手にした沼田は、菜奈がリビングから出て行ってしまうのをじっと見届けると、赤い顔をして僕にささやいてきた。
「で?どうなったの?」
「何が?」
聞き返す僕も、なぜだか声が小さくなった。
「何がってお前、不倫だよ不倫」
「ああ。もうやめたよ。悪い、お前に言うの忘れてたな」
それを聞くと沼田は、「なんだよ、そっかー」と言いながら上半身を背もたれに預け、額に左の前腕部を押し付けた。
「よかった。まだやってたら、いくらなんでも菜奈ちゃんがかわいそうだと思って」
ほっとした様子で、身を起こし、ハイボールをぐっとあおった。
「まあこれからは夫婦仲良く、じゃなかった、家族三人仲良くな。俺もときどき遊びに来させてもらうから」
「ああ」
そこで菜奈が戻ってきた。
「何々?なんの話してたの?」
「俺が授業受けてた大学の教授の話。朝鮮語の先生なんだけど、おばさんで、狂ったようなペ・ヨンジュンのファンでさ。ひどい時には九十分間、ずっと冬ソナの話をして講義を終わらすっていう」
僕も人のことは言えないが、沼田は息を吐くように嘘をつく。営業で培われた、こちらは悪い能力だ。
「何それ、私も聞きたい」
菜奈がその大きな瞳を興味津々と言った感じで見開いて、席に着くと、ポケットに入れていた僕のスマートフォンが振動した。僕はスマートフォンをポケットから取り出し、画面を見た。別れたはずの、彼女からの着信だった。
「悪い、電話だ」
僕はそう二人に言って寝室へ向かった。二人は僕を気にせず、その教授の話を楽しそうにしている。僕は寝室に入って扉を閉めると、電気も点けずに電話に出た。
「はい」
「・・・」
そちらからかけてきたというのに、彼女は電話先でしばらく無言だった。付き合っていたころは、この無口なところも僕は嫌いではなかったが、こうして別れてしまうとそれはただただ僕をいらだたせた。僕は思わずため息を点いた。実は、別れ話をしてからこれまでにも二度、彼女から電話をもらっていたのである。僕は吐き捨てるように言った。
「何か用?」
「・・・あの、もう本当にどうしようもないのかと思って」
その声が震えているのが、電話口を通して分かった。その声を聞くと、気まずさと彼女への切ない愛情が喚起されて、僕は思わず口調が優しくなった。
「うん。家族には代えられないから。ごめんね」
「私、あなたに家庭があっても、いいんです。そんなのどうでもいいくらい、好きなんです。愛人でも、不倫相手でもかまわないから、また会ってもらえませんか」
それは僕にとってずいぶん都合の良い魅力的な話に思えたが、僕の決心は変わらなかった。僕はなんの取りえも無い、平凡な人間だが、人に対して誠実であることだけは、誰にも負けないという自負がある。
「だめだ。そんな関係、君が傷つくだけだから。良くないよ。不可抗力的に夢の中で会い始めたとはいえ、結婚してるのに君と付き合ったりして、悪かった。連絡を取るのもこれで終わりにしよう。もう、電話もLINEも、してこないで欲しい」
「・・・」
ズッと、鼻をすすり上げる音が電話口から聞こえた。リビングから、沼田が何かしゃべり、菜奈がそれに対して笑う声が小さく聞こえてくる。
「じゃあ、切るよ。元気でね」
そう言って僕が耳からスマートフォンを離そうとすると、
「・・・恨みます」
そう、地底から湧きあがってきたかのような薄気味悪い声が一言、聞こえてきた。僕はぞっとしながら、それを無視して、
「じゃあ――じゃあね」
と言って電話を切った。
真っ暗な寝室に、スマートフォンの画面だけが光っていた。僕は後味の悪さを感じながら、またひとつため息をついて、菜奈と沼田がいるリビングへと戻った。
・・・次の夜から、僕は再び彼女の夢を見るようになった。




