新しき国に差した影・前編
「と、このような話がありやして……その品、いかがでやんしょ、王様?」
王様と呼びかけた男は旅芸人だった男で、名をコロタマと言った。
現在は謁見の間にて膝をつき、商人の真似事をしている。
「ぬむ。ちと待てい」
王の持つ、冬の天高く抜けるような空を思わせる青い瞳が、鋭く、コロタマへと投げかけられる。
コロタマは、急かすような物言いで王の機嫌を損ねたかと首をすくめて口をつぐんだ。
鷹揚に答えた王は、このトルコロル共王国の主王ソレホスィ・ノンビエゼだ。
主王とつくのは、他に二人の副王がいるため地位を明確にするためであろう。
今は、見るからに分厚く柔らかそうな布張りの玉座に腰を下ろし、手に取った絵をまじまじと眺めていた。
齢は五十辺りと聞いていたが、元から髪の色は雪のように真っ白であるとのことで歳は分かり辛い。しかも建国の王なだけあって、武に長けていると思わせる堂々とした体躯である。
コロタマは慣れない場で目を逸らすことも出来ず、王の挙動を見守る。
謁見の機会を賜ったコロタマは、ノンビエゼ王の次なる行動に動揺した。
王はコロタマがもたらした交渉に裏があるのではと考えたらしい。
「あ、あの、王様? 裏には何もありやせんが……」
王は、絵を頭上に掲げてひっくり返し、文字通り裏側を見ていた。
「ふむ。俺様に対する嫌がらせの細工はなし、と」
それは本気で言っているのだろうか。
冗談だとしたら笑った方がいいだろうか。もし勘違いだったら首が危ないのではないか。どうしたものかとコロタマは固まった。
ノンビエゼ王は、一村人だったと聞く。それが荒地だったこの地に移るや、移民を瞬く間にまとめて短期間に国を興した。
そして、それから始まる様々な逸話を持っていた。
コロタマはそういった噂を信じたわけではない。
国の偉業を喧伝するのは常なることだ。
しかし、それらを信じられるほどに、王は変わり者であることが伺えた。
それに、体つきからして武闘派である噂は真実だろうと思えた。
コロタマが、ますます行く末を案じて喉を鳴らした時、別の人物が声を発した。
「これはこれは、なかなかの曰く付きですな! 見れば見るほど素敵に禍々しい空気が漏れ出る感じなので」
「はしゃぐな呪術師」
「ま・じ・な・い師ぃ!」
「ええい顔を寄せるな」
にやけ面で玉座の脇に立っていたのは、ノロマイス・ルウリーヴ。王は呪術師と呼んだが、副王の一人である。
今は王の拳を受けて床に張り付いていた。
「あのう、呪術師さま? 倒れ伏したまま動きませんが大丈夫ですかい」
「うん、何度も拳骨食らわしてるが、丈夫なのなんのって。こいつのことはいい。この絵、買おう」
「ふえっ滅相もない! それを描いたラクガキ画伯の念願だったんで、叶えてやりたいだけっす、へぇ」
コロタマは画家の友だった。
少ない遺品を整理しながら、物乞いから王様にまで見てほしいと、生前に話していたことを思い出したのだ。
知り合いの商人へ相談したらば、商談なら許可も得やすいと聞き、物は試しと謁見を請うたのだ。
まさか通るとは思わず、気後れしつつも謁見の間へと訪れていたのだった。
「弔いだって無料じゃなかろう」
「いやぁ、ラクガキさんが大好きだった海にどぼーんと流させていただきやした。流したってな語弊がありますか。不思議なことに、ぶくぶくと沈んで浮かんでこねぇんで」
「人様の国の玄関口でなんてことをするのかね」
「い、いやほら波が荒いんで流されていくだろうと思ったんですよ!」
「ぬ。水葬ってやつだろう。知ってるとも」
「そ、そうでしょうそうでしょう」
わずかな気まずい沈黙の後に王が口を開く。
「そうだな、報酬を決められんというならば、この呪術師が集めたものから取り上げた様々な得体の知れない呪われたもんを引き取ってもらおうか」
「そ、そこまでおっしゃるなら。ああ、ええと、では良い酒を頂戴できれば!」
「取引完了だ。返さないからな!」
「あ、やっぱもう一ついいでやんすかね、へぇ」
「ほほう、焦らしよる」
「城に飾っていただき、誰でも観覧できるようにしてもらえたらなあっ、て」
「なんと無欲な!」
「いやあ宝物殿とか入場料取られるでやしょ? 無料で見たいなって」
「なんとせこい!」
「ふへへ、なんとでも」
「その交渉術、気に入った。条件を飲もう」
王の気安さに、コロタマはすっかり緊張もほぐれていた。
思わず本心がこぼれる。
コロタマは去り際に言った。
「王様よう。ラクガキ画伯は、どんな奴らだろうと魂に触れる絵を描きたかったんでい。これを見た王様の感想だって聞きたかったと思いやすよ、ぐすっ」
「うむ、素晴らしい出来栄えだと繊細な感性の持ち主である俺様には分かるぞ。並んで徹夜してでも粘り勝ちたい絵なのは確かだ。夜の海の道だってはっきり分かるし、なんか観光政策にもぴったりだし」
「すげぇ実利的いぃ!」
「ほんじゃまあ、大事にしようではないか。素晴らしい品をありがとう!」
きらりと光る王の歯を訝しみつつ、コロタマは謁見の間を辞した。
◇◇◇
コロタマが粗相をしたかと心配していたとき、王は自身の胴よりも大きさがある絵を手にし、客をもてなす部屋にちょうど良い大きさだと考えていた。
だが、多くの目に触れる場所へ置くと約束した以上はそうすることに決めた。
王は子供のころから物語の勇者に憧れていたため、清く正しく勇者嘘つかないが合言葉だ。
城の建つ丘の上をぐるりと囲んだ外壁は、観光客のために解放されている。
そこへ、その城の表門をくぐる城壁内通路に絵が飾られた。
素朴な木製ながら華美ではない彫刻を施された額縁が、描かれた暗い夜空を引き締める。
薄暗い通路内だが、絵の両脇には行灯が設置され、淡い灯かりが筆致を妖しく浮かび上がらせていた。
まるで別世界への窓がそこに開いたのような素晴らしさに、通りすがる者らは、ほぅと溜息をつく。お陰で門に人の渋滞を起こすほどだった。
「うむ。良い買い物をしたな」
大層喜ばれたことに気を良くした王だったが、ほどなくして不穏な知らせが届けられた。
「なぬ? 絵に魅入られた者が異常をきたすだと? それも調べたら一人や二人ではないとな」
王は首を傾げた。
臭いにおいを出す虫などが嫌がらせで仕込まれてないかと絵を引っくり返して確かめたときにも、不穏な気配は一切感じなかったのだ。
一村人であった王が建国にこぎつけたのは、変わり者だっただけではない。
呪術師にかけられた呪いが失敗し、おかしな力を得たためだった。
世界の理を知るかのように物知りな呪いだ。
その呪いが、これは危険なものではないと判断した。
そうでなくても、獣並みの勘が攻撃性はないと告げている。
「ふぅむ。しかし、よこしまなものはとんと感じないが」
よこしまと言えば、隣に立つ呪術師だ。
呪い案件ならば相談相手にふさわしいかと、この絵を飾っている通路へと一応つれてきていた。
「なんで俺を横目に見るので?」
「特に意味はない」
王は誤魔化すように視線を逸らし、伴ったもう一人を見た。
「どうした、フォディッチ。へんちくりんな顔をしてるな」
「余計なお世話っす。いや、言い辛いんすが……俺はこれ見てると、どうにも不安になるというか。あっ痛い奴みたいな目で見るのやめるっす!」
だから言いたくなかったんすよと、フォディッチはぶつぶつと続けた。
常に王のそばに控えているフォディッチ・アンパルシアは、建国以前から王の側近として働いている。
三人の王や周囲のものも、変人ばかりだ。
多くの一般市民と同じ平均的な感性の持ち主なのは、残念ながら彼だけだった。
多数決でフォディッチがいつもからかわれるが、大抵はすぐ後に事実を知ることとなり、王はフォディッチからの恨めしい視線を口笛吹いて誤魔化すこととなる。
そのお陰で、王は己の行動が多少行き過ぎることを防いでくれるフォディッチを高く評価していた。もとより心許せる仲間である。
相談を終えると、王は二人を追い払った。一人でもう少しよく調べてみようと思ったためだ。
フォディッチはああ言っていたがと、王は首をひねった。
大抵の指摘はもっともなことなのだが、王は違う感覚を受けたのだ。こればかりはうまく説明もできず、一人深夜の通路に佇んで絵を眺めて考えに耽っていた。
「そう、なんというかだね。俺様には、どちらかといえば純粋さを感じるのだよ。魂まで清らになるかの如くにだ。そうは思わんかね、お城ちゃん?」
王は天井を見上げながら辺りに語りかけた。わけの分からない行動だ。
だが王の胸の内より、是との答えが沸き上がっていた。
呪いによる不思議な力の正体がこれだ。
正しくは王の体を通して、城の建つ地に宿ったのであるが、それは「絶対防御の呪い」なる胡散臭いものだった。
初めは呪われたことに肝を冷やしたものだが、ありがたいことに本来の術としては失敗したが、別の形に変化して完成した。
代わりに人知を凌駕する恐ろしい力を得たのであるが、王はこの通り変わり者であるし、国を良くしようと奮起している最中である。利用して他国を圧倒して伸し上がろうなどとは微塵も考えることはなかった。
ともかく、先ほどの問いに対する答えには追記があった。
――純度が高まるほど毒となりうる。
王はなるほどと頷いた。
さもありなん。俺様にはピンとこないがと呟く。
「俺様のように純粋な人間など、滅多に居ないだろうからなふはははは!」
「陛下っ、夜半ですからお静かに」
警備の兵から怒られ、王は絵を外して渋々と自室に戻った。
◇
「絵は、あの絵はどこだ?!」
絵を撤去した翌日、民が異様な様子で押し寄せていた。住人の中でも常に王を崇める者達だった。
それが今は、王の姿を目に留めても掴みかからんばかりの剣幕だった。
「この何かに憑かれた様子。まさに呪いではないか!」
「おほぉ、なんとも強力な思念をかんじますので? これは本物ですなー!」
「ほくほく顔で喜んでる場合か! 皆の者、そやつらを抑えろ!」
「王様だからって独り占めはずるいぞお! 絵を見せろっ……なにをする!」
衛兵らと民のすったもんだを眺めながら、王は思案した。
お城ちゃん、原因は分かるか。
――否。
元に戻す方法はあるか。
――是。
何か分かることはないかと、王は根気よくお城ちゃんに尋ねた。
お城ちゃんは物知りだが、基本的に返事は是か否かである。
それ以上を知りたければ事細かな質問を心がけねばならない。
「くわっ――見切った!」
ようやく洗脳解除方法にたどり着くと王は呟いた。
正確には王は呪いから知識を引っ張り出してきただけで、王自身が見切ったわけではないが、他の誰にも使えない呪いなのだから俺様のお手柄だと鼻息を荒げた。
その時には、ほどよく民らは取り押さえられていた。
王は片手を天に向けて勢いよく突きあげる。
そして宣言した。
「では、浄化しまーす」
王が満面の笑みを浮かべると、どこから差し込んだのか、光が白い歯に反射してその場に光が満ちた。
「ふ、ふぎょぎゃあああああっまぶしいいいいぃっ!」
場に作用するような大きな呪いの力を発するときには、王のうなじに刻まれた拳大の丸い魔術式が光を発する。
人間にそのような現象が起こるはずはない。
呪いの唯一の欠点がこれだ。そのばれるとまずい欠点を覆い隠すために王が取る行動は、一点の曇りもない笑顔を浮かべることだった。
「ふはははは! そんなに俺様の笑顔が素敵かね。照れるではないか!」
どうやら自分の笑顔は人々を魅了するらしいと王は考えていた。
もちろん王がそう信じているだけだ。
文字通り、光がこぼれるように輝く笑顔などあってはたまったものではない。
これも呪いの効果だが、王が頑なに認めようとしないことの一つだ。
暴れていた民らはともかく、衛兵らもとばっちりを受けていい迷惑である。
「お城ちゃん、今だ!」
――精神汚染領域を無効化しました。
防御に関する自立型の呪いだ。
すでに原因に関する情報収集を終えて解析済みであり、王の命令によって適用して終わりであった。
「さすがはお城ちゃん。見事な手際であった」
上から物言うだけの楽なお仕事である。
「お、おお、おや? わしらは一体、何を?」
「ああっ、なんてぇこった……俺ら、王様に粗相を!」
悪い気と共に記憶も流れ去ったなんてことはなく、民らは王に気が付くと地面に頭を擦りつけるようにして平伏し、震えながら口々に許しを請うた。
民らの心中にお構いなしに、王は俺様の手にかかればこんなものよと鼻高々だ。
「みなご苦労であった。謎めいた事件だったが、これにてぇ一件落着っ!」
「ははーっ!」
王は両腕を腰にあててひとしきり高笑いすると、平伏す民らに面を上げるよう言い渡し、満足げに城内へと引き上げるのだった。