ある画家の遺したもの
オレは、旅芸人一座で絵を描いている。
そこで見せびらかす技が呼び名になっちまうんで、オレはラクガキと呼ばれてるんだが、決して適当なもんを描いてるつもりじゃあねぇぜ。
早描きで客の顔を面白おかしく描いてやったりよ、羽ばたく鳥を描いてると見せて、逆さまにしたら服の裾をまくりあげて小用中のご婦人だったりするもんを描くってな具合だ。まるで奇術みたいだって客は喜んでくれるんだよ。
ただびっくりするだけじゃあなくて、早く描けるってのが重要だぁな。
ちょちょいと描いた、大した意味のない捨てるだけの落書きだ。
なにが楽しいんだかと思ったりするが……おっと飯の種だ。そんなこと言うもんじゃねえな!
だけどよ、思った以上に欲望ってのは深いもんだったんだ。
そんな時にこの場所へ来て、この景色に出会えたのは良かったのか悪かったのか。
これこそが運命ってもんだろう。
アィビッド連合国の北東端にある海に道ができたって話は、オレたちのいた遠い砂漠まで伝わってきた。
十年くらい前だったか、よく覚えちゃいないがよ。前代未聞な話だからな。いずれは行ってみたいなと仲間内で話してたのよ。
しかも、出来た道っつうもんを渡った先に移住者が国を興したってんだから、行かない手はないってオレたちゃはりきったね。
なんせ、何もない土地を開拓してできたらしいんだから、生活で手一杯だろ?
娯楽に飢えてるはずで、オレたち旅芸人にとっては稼げるに違いねぇってことよ。
オレたちゃもっと西から来た、ここら辺りじゃ砂漠の民なんて呼ばれる部族の一つだ。
砂漠といったが、北の方はでけぇ山脈の影響で草っぱらも多いんだ。オレたちはそこの出だが、芸を磨きながら、遠い西の国々からこの東の連合国まで気ままに移動して暮らしていた。
まぁ、このアィビッド連合国とは国境を接してるせいか仲が悪いんだが、喧嘩をしちゃ離れるってな具合にやり過ごしてる。
お陰で印象は良くないが、どっちも商いでぶらつくってな共通点があってな、オレたちゃ旅芸人は行き来を許されたってわけだ。
ともかくよ、ワクワクしながら新しくできた国、トルコロル共王国へ向かおうってときだった。
オレは、出会っちまったのよ。
人生を変えるもんによ。
「ほっほぅ……ここが闇神殿の回廊なんて大仰に呼ばれる場所か!」
なんだろう、この、どきがむねむねする感じ!
むほぉたまらないっ!
「族長おおおぉオレはっ芸人をっ、辞める! ここで今生のお別れだぜ!」
「お、おぅ」
そうしてオレは流しの画家となったのだ。
前と変わらないって?
一皮剥けたんだぜ!
世の中にこんな美しく幻想的な場所があるとは!
インスっピレぃションってやつがもりもり湧いてくる。
描ける、今なら素晴らしいものが描けるんだぜ!
そうだ、ここにはずうっともやもやとしていた、心ん中が満たされないでいた感じを消してくれるもんがある。そう予感したんだ。
もう客の顔色見ながら絵を描く日々は終わりだあ!
へんてこな模様が、あらびっくりお客さんの顔でい!
なんてさ、時間と勝負の速描きなんざ、画家の仕事じゃねえ。
ただの曲芸なんだよ!
オレだって綺麗な部屋に飾って、心静かに眺められるような高尚な絵が、描きたいッ!
そうさな、城に飾るくらいのもんがよ。
おほっいきなり高すぎる目標だったかな。
だがよ、絵ってのは、その一枚に世界があるべきなんだ。
見ているだけで、そこへ心が入り込めるようなよ……。
それから海を描いた。
海を渡る道を描いた。
海の道が映えるよう空も描いた。
何枚も描いた。
それでも描き足りない。
まだ描ける。
何百何千と描き続けた。
気が付けば、幾年も経っていた。
駄目だ、こんなもんに世界があるか!
「およぉ、ラクガキさんじゃねえか」
「おっお前、コロタマかい。よせや、古い名前なんか持ち出してよ」
「どうした、辛気臭え面しやがって」
「オレっちの魂が、なかなか形にならなくてよ」
「どれどれ……おおう! すげぇじゃねえか、ちょーりあるっスよ!」
「こんなもんバリッ!」
「ぬあっもったいねええ!」
「もっともっと、上へ行ける筈なんだ。物乞いから王様まで、心震わせるようなもんがよ」
「そりゃまたでっかく出たな。王様ねぇ。これなら近いうちに、形になりそうなもんだが」
「だといいけどなぁ……」
「しょんぼりすんな。近いうちにまた顔出すぜ。まあ頑張れや!」
コロタマか。でかい木の玉に乗って、まだ転がしてるのかね。
懐かしいもんだな。
客に媚売るのは飽き飽きだ、もう御免なんだよ、なんて思って飛び出した。
あいつらオレの絵を見て笑ってくれた。それでオレも自信を持てた。
何より、あの頃は楽しかったなあ。
形になるだろうか。
「あーあ、この絵」
さっきは粋がって裂いちまったが、確かにこいつはオレの最高傑作だった。
でもコロタマが言ったように、ただ「ちょーりある!」なだけだ。
なにかが足りないんだよ。
それからもちょくちょくとコロタマは遊びに来る。
「いやあ族長がぽっくりいっちまってよ。玉ぁ転がす技も後輩に伝授してきたんだ」
「そうか……お互い、歳取るはずだなあ」
「まだまだいけるって!」
「じゃこの辺うろついてんのは」
「おう。だからまあ、落ち着く場所を探してたんだよ。でもな、連合国側にゃ、ちと居づらいだろ? だからトルコロルに住むことにした。移民の国だ、砂漠から来たからって気にしてるやつぁ少なくてね」
「ああ、そりゃあオレも感じてたなぁ。そんだけ長く、居座っちまってたんだな……なのにちっとも形にできねぇ」
「はははっどうせなら、気長に行こうぜ!」
曖昧に頷いてコロタマを見送ったけどよ、どうにも焦りみたいなもんが胸につっかえるんだ。
もう何年どころか、何十年と経っちまった。
回廊周りも随分と小奇麗に、賑やかになっちまったもんだ。
新しい国だなんて思ってたら、立派な城が三つもおっ建ってんだから驚きだ。
人間にゃ、無限の可能性があるよな。
そうさ、オレだってこれをやり遂げなけりゃ、恥ずかしくて懐かしいあの頃に面なんか出せるか!
送り出してくれた族長にも申し訳が立たねぇ。
よし、泣き言は十分だ。
描くぜ描くぜえ!
そうして筆を動かしたはいいが、ふと、手を止めた。
ただ描きまくるのもいいけどよ、他にやれることもあるんじゃないか。
根源的な欲求に突き動かされ、理想や信念だけで続けてきた。
それも限界にきてんじゃねえかと思っちまった。これは弱気なのかいな。
今にして思えば、コロタマと話すたびに気付かされるもんがあった。
「ほぅむ。他の奴らの反応を探るってえのも、役に立つのかもなぁ」
思い立ったが動くときよ。
それからオレは、道を通りすぎるやつらをひっつかまえては質問した。
初めはオレ自身、何を聞いていいのかさえ分からず、逃げられたり疎ましがられたり殴られたりしたもんだ。
けどよ、言葉を重ねていく内に、目が開いていくような感覚を得たんだ。
そんで最終的に聞きまくったのが、これだ。
「ちょいとそこなお人。どうだい旅の調子は。そうか安泰かい。そりゃようござんした。この海の道はえらい珍しいもんだがよ。お前さんは、一体全体どんな印象を抱いたかね? まあまあそう恥ずかしがらずに、ここだけの話だ。正直なところを聞かせておくんなせい」
そう、単純な話だったんでい。
オレが見ている景色を、ここを通る奴さんはどんな風に捉えているんでございましょうねと。
ここを通るのは、商売人を除けば観光客がほとんどだ。
まずは噂を聞いて思い描いたもんがあるはずで、実際にその目で見て感じたことの二つの絵面があるはずなんでい。
それを聞きまくり、そしてオレ自身の記憶も手繰り寄せたんだ。
随分とくたびれてしまった記憶だったけどよ。
どうにかここへ来る前のことも思い出せたのだからめっけもんだ。
まあ、実際に見る前はさして興味はなかったから、虹でも海に見えるのかと思ってたくらいだけどな。
そこで、観光客だけでなく、通いなれた商売人にも尋ねたんだよ。
ずうっと通っていたら珍しいもんではなくなる。
今はどう感じるのかってのを聞いた。
気にも留めない風景になってるかもしんねえ。
もっとずっと思い出深くなっているのかもしんねえ。
それは人によるだろう。
幸いにもすでに顔なじみの奴らばかりだ。オレがずっとここで絵ぇ描いてんのを知ってるから、こっちは苦労せず聞き出せたのよ。
ははぁなるほどと、察してくれてペラペラのぺらよ。
そうやって話を集めきったときにゃ、頭ん中に別の景色が浮かび上がっていたね。
驚くほど細部まではっきりとな。
「こりゃ不思議なもんだ。まるで別の世界を見てるみてえだなぁ」
あれよあれよという間に、頭と体に力が漲ってきた。
これまでの意気込みなんか豆粒に思えるほどでい。
今までは、気負いだけだったんだと悟った瞬間だった。
「か、描ける。描けるぞ……!」
体は興奮で熱く、それでいて頭の芯は冷えていてよ。
心技揃った状態とはこういうことかと思ったもんさ。
熱意に支配されつつも、描いているものに焦りも迷いもなく、ただひたすらに筆の先だけを追い続けた。
◇◇◇
どれだけ経ったのか分からない。
無我の境地だった空間から抜け出したのは、手が筆を置いたことに気が付いたからだ。
「……で、どぅえきぃたぅああああああっ! ひょほおう!」
手の震えが、止まらねえ。
とうとう、やっちまった。
出来ちまった。
その感動たるや、山を割り地を裂くが如し!
そうだ。
ずっと、この情景を実際に目で見た通りにと、あるがままを描きすぎたんだ。
もちろん無駄ではなかった。それだけ体に染み込んだ技術だからよ。
だから、それにオレは、人間の心にあるもんをのっけたんだよ。
心の目で見えるもんが、目の前に在るように描けたなら、それはそれは素敵だなってさ。
そんで、それは成功したみてぇだ……。
闇神殿の回廊なんて呼ばれてるんだ。
目の前にそんなもんはねぇが、みんなの中にゃあ、こういった建物が浮かんでるんじゃねえか。
綺麗に四角く整えて切り出した石を積んでよ、屋根にはトゲトゲとした尖塔が幾つも乗っかってる。
色は重々しい黒だ。
黒いもんが、夜に見えるかって?
夜の闇に水面を浮かび上がらせるもんをみんな見てるだろ。
そうよ、まん丸のお月様さぁ!
それにな、この月は特別なお月様なんよ。
真っ暗な海のど真ん中だ。街灯も立てられやしない。
月のない日はそりゃもう禍々しいもんが、そこらに潜んでるような気分でよ。
こんなおどろおどろしい神殿に連れ去られちまうんじゃないかって怯えるわけよ。
そんな怖気を弱めてくれるのが、このお月様ってぇわけだ。
……いい出来栄えじゃねぇか、なあ。
「随分とやかましいなラクガキさんよ。岸まで叫びが聞こえたぜって、泣いてんのかきもい!」
「コロタマかぁ出来たんだよ、ぅぐ、オレの最高傑作がよう」
「こ、こりゃあっどうしたもんだ! おおう……まいえんじぇるがほっぺに口づけするような至福! わーお」
「ぐふううっ苦節数十年。人生かけた絵画、じゃねえ、いやそうだが、甲斐があったぜぇ」
ついつい嬉しくて、それから晩までコロタマに今までの苦労を語りつくしてしまった。
「ウンザリさんよ、すっかり日が暮れっちまったぞい」
「おっとうっかりしていたな。完成したら開けようと思ってたとびっきりの酒があるぜ。コロタマ付き合え!」
「ふへっふへっごちっす」
「オレの命を吹き込んだ絵に!」
「絵に! ぶぶふうっ!」
「おい、吐き出すなよもったいねえなぁ」
「なんんじゃこりゃああ! あっこれ、油代わりに使われることもあるくらい強いヤツだ」
「一仕事終えた後の酒はうめえよなあ。ずいぶんと飯も食ってないし、寝てないからよ、臓腑に沁みるぜえええ!」
「え、それマズイっすよラクガキさん。いやラクガキ画伯」
「がっ画伯だなんて気が早いだろぉ! やめぃや恥ずかちい。じゃねえオレの酒が不味いだとおおッ……ふおっ!」
「あああっラクガキさん言わんこっちゃねえ! しっかりしっかりしろおお……!」
騒ぐなよコロタマ。
ふわふわ心地なんだからよ。
って、コロタマの声が遠くなっていきやがる。
おや、世界が眩しくなってきたな。
あったかくて、満たされた気分だ。
ああ、そうだった。
これが欲しくて、オレはここに留まったんだったな。
オレっちは幸せだぜ。
ちょっくら目を閉じてもいいかな。
なんだか、すげえ眠いんだ。
目を閉じたら、別の欲求がむくむくと湧いてきた。
本当に人は強欲だなぁ。
これが最後だって意気込みで描いたはずなんだけどよ。
実はさ、描きながらぼんやりと頭に浮かんでいたことがある。
もう人生終わってもいいくらいに思っていたはずなのにだぜ?
この絵を描いた先の事が見えていたんだ。
オレ、この絵を仕上げたら、また喜ぶ客の顔を見てえなあって。
渾身の一枚を描いてるときにさ、そう思ってたんだよな。
なんでだろうな。
絵が仕上がる最後の最後で、また昔のように働いてみるかって、満足した客の顔を思い出していたんだ。
その気持ちが、オレが足りないと思っていたもんを埋めてくれた気がするんだよ。
通りすがるもんの話を聞いたことで得たのは、何も景色の印象だけじゃあなかったんでい。
そこには、オレと人々との交流の思い出があったんだ。
遠い、昔のようにさ――。
また、会いてぇな、族長や仲間によ。
勝手なヤツでごめんなさいだけど、また戻ってもいいかなぁ、族長。
『おっけぇ!』
ははっ……なんだか、この族長、神様みたいだ。




