後編
カナがエイちゃんと初めて言葉を交わしたのは、彼らが八歳と九歳の夏だった。
近くに住む従兄妹同士、彼と顔を合わせる機会は年に何度かあったものの、その時までカナはエイちゃんと一度もしゃべったことがなかった。
カナの三人いる姉たちが熱心にエイちゃんを構ったからだ。
さらさらの黒髪に琥珀色の目をした綺麗ないとこは、姉たちの心をしっかりとつかんでいた。
――――カナちゃんは栄志に寄って行かないんだね。あの子のことは好きじゃない?
そういってカナを自分の膝に招いたのは叔父さんだった。
外国人とのハーフで、エイちゃんと同じ琥珀色の目をしている。
彼に聞かれるまで、カナはエイちゃんが好きか嫌いかなんて考えたこともなかった。叔父さんの膝の上で、カナは悩んだ。
――――エイちゃんはお姉ちゃんたちもカナも好きじゃないでしょう?お母さんが、自分のことを好きになってくれない人を好きになっても辛いだけだって。
一生懸命答えたのに、叔父さんは声を立てて笑った。少し嫌な気持ちになって膝から降りたカナを、彼はまぶしいものでも見るように見つめた。
――――カナちゃんが、栄志と友達になってくれたらいいのに。
叔父さんのつぶやきは、彼らと別れた後も不思議とカナの耳から離れなかった。
エイちゃんがカナに話しかけてきたのは、そんなことのあったすぐ後の夏休みだ。ふた家族で海に来ていた時だった。
――――それ、何。
海に入って遊ぶ姉たちから離れて砂を掘るカナに、エイちゃんはどうでもよさそうな顔で聞いてきた。後から考えると、叔父さんが何か言ったのかもしれない。エイちゃんから誰かに話しかけるなんて、滅多にないことだったから。
エイちゃんはいつも、冷えた目で周囲を見ている。この時もそうだった。カナを見下ろす琥珀色の目には何の感情もない。顔立ちが整っていることもあって、カナはエイちゃんのことを人形みたいだと思った。
――――砂。
無機質な視線が息苦しくて、カナはそれだけを答えた。
砂ね、とやっぱり興味なんてなさそうに言いながらエイちゃんは立ち去らない。
――――何で掘ってるの?
――――ヤドカリを探してるの。
――――…ヤドカリ?
エイちゃんが不審げに眉をひそめた。ヤドカリの何がいけないのかわからないまま、カナは頷く。
――――海にはヤドカリがいるって小学校で先生が教えてくれたから。
――――へえ。
――――エイちゃんも探す?虫を捕まえてたら、お姉ちゃんたちは近づいてこないよ。
カナは話したついでの親切で教えたつもりだったけど、エイちゃんは目を丸くした。
――――俺があいつらを嫌ってるって、お前に言ったことあったっけ?
嫌いだったのか。
好きだ思っているとは考えなかったけど、そこまでとも知らなかった。
ちょっとびっくりしながら、カナは正直に首を振った。
――――知らない。エイちゃんと話すの、初めてだし。
――――初めて?…じゃあ、なんでそんなこと教えてくれんの?
――――別に。何となく。
――――お前がヤドカリを探してんのも、あいつらから離れてるため?
いつも醒めた琥珀色の瞳が、好奇心にきらりと光った気がした。本当に一瞬のことだったから、勘違いかもしれないけれど。
カナはまた首を振った。
――――違う。お姉ちゃんたちはカナのことが好きじゃないもの。何もしなくても近寄ってこないよ。
――――…じゃあ、なんでヤドカリなんか探すわけ?
――――時間つぶし。
ふうん、と妙な顔をしたエイちゃんは、やはり離れていかなかった。
――――付き合ってやるよ、時間つぶし。
三人の姉たちが海に飽きてこちらに来るまで、カナとエイちゃんは二人して砂を掘った。ヤドカリは一匹も出てこなかった。
――――俺、カナとセミ取りに行くから。
次に会った時、エイちゃんはまとわりつく姉たちから離れて素早くカナの手を取った。
一番上のお姉ちゃんが途端に抗議し、二番目と三番目の姉たちがカナを睨む。
家の影でありの列にスイカをやっていたカナは、突然そんなことを言い出すエイちゃんにただ驚いて固まっていた。
――――一緒に来たかったらそれでもいいよ。セミ、何匹取れるか競争でもする?
エイちゃんの言葉に、姉たちは不満そうにしながらも家にいると引き下がった。
カナ一人を連れて公園まで来たエイちゃんは、虫取り網も虫籠も放りだして愉快そうに笑いだす。
――――お前って、すごいんだ。
琥珀色の瞳にやわらかい光を湛えて、エイちゃんはそんなことを言った。
――――俺のこともあいつらのことも、お前にはなんでも分かっちゃうんだな。
カナは初めて見るエイちゃんの楽しそうな顔にびっくりしてしまって、彼のいった言葉がよく分からなかった。
虫取りなんてちっともする気のなさそうなエイちゃんを見ながら、今日は驚いてばかりだと思っただけだ。
エイちゃんはその日、カナが綺麗な石を集めるのを手伝ってくれた。
セミは一匹も取らず、姉たちには捕まえた後すぐに逃がしたと嘘をついた。三人の姉は、空っぽの虫籠にほっとしているようだった。
それからもエイちゃんは、姉たちを追い払ってはカナのところへやってきた。最初は戸惑っていたふた家族の親たちもカナも、何度か繰り返されるうち、そのことになれた。
不服に思ったのはカナの三人の姉たちだったが、成長してエイちゃんの冷たい目に気付くと、彼のことを遠巻きに見るだけになった。
――――あんた、よく栄志なんかと話してられるわね。
カナが中学校に上がる年、一番上の姉はそんな風にまで言った。小さい頃はおとなしく構われていたエイちゃんに今更拒絶されることが悔しかったのかもしれない。その拒絶は、彼女たちが気付かないだけでずっと昔からあったのだけれど。
姉たちと一緒に拒絶の対象に含まれていたはずのカナは、いつの間にかエイちゃんの心に居場所を与えられたようだ。そこにおさまっていることはカナにとっても不思議と心地よいもので、だからカナはそれを素直に受け入れている。
「カナ、帰ろう」
部活着から制服に着替えたエイちゃんが、いつのまにかカナの後ろに立っていた。
高校生のエイちゃんは、小学校の時の人形じみた綺麗さに男の人としての魅力を足して、一層まぶしく成長している。ずっと変わらないのは琥珀色の瞳だ。
九歳の夏、八歳のカナに向けた柔らかい眼差しそのままで、エイちゃんは十六歳のカナを見下ろす。
そのことに淡い幸せを覚えて、カナはエイちゃんの言葉に従った。
読んでくださってありがとうございます。
短い話ですが、ご意見や感想をいただけたらすごく嬉しいです。




