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第8話 植物園でデート 後編

昼食を取るために入ったのは、植物園の一角にある小さなカフェだった。


 大きな窓からは庭園が見渡せ、店内にも季節の花が飾られている。


「素敵なお店ですね」


 席に着くなり、リリアが嬉しそうに微笑んだ。


「そうだな」


「お花を見ながらお食事ができるなんて、贅沢ですね」


「……花なら、外にもたくさん咲いているが」


「そうですけれど、お食事をしながら眺めるのも素敵ではありませんか?」


「……まあ、そうだな」


 なるほど。


 そういう考え方もあるのか。


 俺はメニューを開いた。


 こうして女性と二人で食事をすること自体、珍しいわけではない。


 夜会で同席することもあれば、仕事上の付き合いで食事を共にすることもある。


 だが、今日のような時間は初めてだった。


 何を話せばいいのか分からない。


 いや、正確には、何を話す必要があるのか分からないのだ。


 俺が黙っていても、リリアは気まずそうにすることもなく、窓の外を眺めている。


「……何か気になるものでも?」


「はい。あちらの花壇に、先ほど見たものとは違うお花が咲いているんです」


 リリアが窓の外を指差した。


「食事が終わったら、近くで見てみたいです」


「そうか。行けばいいだろう」


「ご一緒してくださいますか?」


「……もちろんだ」


 婚約者なのだから、それくらいは当然だろう。


 そう考えてから、俺は眉間に皺を寄せた。


 ……何をいちいち言い訳しているんだ、俺は。


 注文を済ませ、料理が運ばれてくる。


 リリアは一口食べると、ぱっと顔を輝かせた。


「おいしいです!」


「それはよかった」


「クラウス様のお料理もおいしいですか?」


「ああ」


「よかったです」


 ……何が、よかったのだろう。


 俺の料理がおいしいことと、彼女が嬉しそうにすることに、何の関係がある?


 いや、そもそも。


 彼女は、俺の反応を気にしているのだろうか。


 気に入られたいから、俺にも話しかけている?


 そう考えかけて、すぐに打ち消した。


 違う。


 彼女はただ、思ったことを口にしているだけだ。


 料理がおいしいから喜ぶ。


 俺にもおいしいかと尋ねる。


 俺が肯定すれば、よかったと笑う。


 そこに、何かを企むような気配はない。


 ……本当に?


「クラウス様?」


「……何だ?」


「こちら、よろしければ召し上がりませんか?」


 リリアが自分の前に運ばれたデザートのブルーベリータルト指差した。


「甘いものはお好きですか?」


「嫌いではないが」


「よかったです。私、一つでは少し多いかもしれないと思っていたんです」


 そう言って、彼女は店員を呼び、取り分けるための小皿を頼んだ。


 ……なるほど。


 最初から俺と分けるつもりだったのか?


 いや、待て。


 俺が甘いものを好きかどうかも知らなかったはずだ。


 それなのに、どうして――。


「クラウス様?」


「……いや、いただこう」


「はい!」


 リリアは嬉しそうに焼き菓子を分けた。


 その笑顔を見て、俺は妙な気分になった。


 アデラインなら、こういうとき、俺が喜ぶかどうかを確かめるようにこちらを見ていた。


 俺が礼を言えば、嬉しそうに微笑んだ。


 その仕草が可愛らしくて、俺は彼女に好かれているのだと思っていた。


 だが、今なら分かる。


 あの笑顔の裏に、俺の反応を計算する意図があったのかもしれない。


 ……いや。


 過去のことを、今さら考えても仕方がない。


 目の前の令嬢は、ただタルトを分けてくれただけだ。


 そこに深い意味などない。


 そうだろう?


「クラウス様、どうかなさいましたか?」


「いや。何でもない」


「そうですか?」


 リリアは不思議そうに首を傾げたものの、それ以上は尋ねなかった。


 そして、自分のタルトを一口食べる。


「やっぱり、おいしいですね」


「……そうだな」


 俺も口に運んだ。


 確かに、おいしかった。


 ただ、それだけのことなのに。


 なぜか俺は、彼女が満足そうにしていることに、ほっとしていた。


  …なぜおれはほっとしたんだ


 ……意味が分からない。





 昼食を終えた俺たちは、リリアが気にしていた花壇を見てから、午後の温室へ向かった。


 温室の扉を開けた途端、外とは違う、暖かく湿った空気が頬を撫でる。


「わあ……!」


 リリアが足を止めた。


 頭上には緑の葉が広がり、色鮮やかな花々が咲き誇っている。


 大きな葉の陰には見たこともない植物があり、奥へ進めば進むほど、景色が変わっていった。


「こんなにたくさんの種類があるのですね」


「ああ。珍しい植物もあるようだ」


「クラウス様、あちらをご覧になりましたか?」


「……まだだ」


「では、一緒に見に行きましょう!」


 リリアが歩き出す。


 俺もその後を追った。


 ……いや、待て。


 どうして俺は、当然のようについて行っているんだ?


 彼女が見たいと言うから?


 婚約者だから?


 それとも――。


「クラウス様、こちらのお花、少し変わった形をしています」


「……本当だな」


「まるで小さな星みたいです」


 リリアは花を見つめながら、楽しそうに笑った。


「こういう形のお花もあるのですね」


「植物には、様々な形があるからな」


「クラウス様は、お詳しいのですね」


「いや。知っていることを言っただけだ」


「それでも、素敵です」


「……」


 は?


 今、何と言った?


 俺が植物について少し知っているだけで、素敵だと?


  それは、俺に対して素敵だとったのか


  それとも、単純に知識があることを素敵だと言ったのか



 ……なぜ俺は彼女の何気ない一言に、こんなにも引っかかっているんだ。


「クラウス様?」


「……何だ?」


「こちらのお花も、見てみませんか?」


「……ああ」


 彼女の後をついて行きながらハッとする


  まただ。


 また、彼女に呼ばれてついて行く。


 そして、気づけば彼女の隣で花を眺めている。


 俺は一体、何をしているのだろう。




 温室の奥には、小さな休憩用のベンチがあった。


 さすがに歩き疲れたのか、リリアがそちらを見て言った。


「少し休憩しませんか?」


「そうだな」


 二人でベンチに腰を下ろす。


「………………!!」

 

  近すぎる


  彼女の腕が、私の腕にくっつく程の距離


  ここで取り乱してはならない。


  冷静に対応せねば

 

「リリア嬢、ベンチは広いのだからもう少しゆとりを持って座った方が楽ですよ」


「え?」



 リリアは少し不思議そうな顔をする


 そして少し離れて、座り直した


 リリアは少し距離を開けて座り直したあと息をつき、膝の上で手を重ねた。


「今日は、とても楽しいです」


「……そうか」


「はい。クラウス様とご一緒できて、嬉しいです」


 思わず、彼女を見た。


 リリアは、こちらを見て微笑んでいた。


 その顔に、駆け引きの色はない。


 俺の反応をうかがう様子もない。


 ただ、本当に嬉しいのだと。


 そう伝わってくる笑顔だった。


「……君は」


「はい?」


「俺と出かけて、楽しいのか?」


 口にしてから、しまったと思った。


 何を聞いているんだ。


 婚約者同士で出かけているのだから、楽しいと言うに決まっている。


 気を遣っている可能性だってある。


 だが、リリアは少し考えてから、きっぱりと答えた。


「はい。楽しいですよ」


「……気を遣わなくてもいい」


「気を遣っているわけではありませんよ?」


「……」


「クラウス様は、私といて楽しくありませんか?」


「それは……」


 返答に詰まった。


 楽しいか、と聞かれれば。


 ……どうなのだろう。


 退屈ではない。


 むしろ、次に彼女が何を見つけ、何を言うのか、少し気になっている。


 それを楽しいと呼ぶのかは分からないが。


「……悪くはない」


 結局、そんな答えしか出てこなかった。


 リリアは目を瞬かせたあと、ふわりと笑った。


「よかったです」


 また、それだ。


 どうして彼女は、俺が少し肯定的な返事をするだけで、そんなにも嬉しそうにするのだろう。


 俺に気に入られたいのか?


 いや、違う。


 もしそうなら、もっと俺の反応を気にするはずだ。


 もっと自分をよく見せようとするはずだ。


 だが、彼女は違う。


 俺が「悪くはない」と答えたことを、それ以上深く追及しない。


 嬉しそうに笑って、それで終わりだ。


 ……まさか。


 本当に、これが彼女の本心なのか?


 俺に気に入られるためではなく。


 侯爵家の嫡男という肩書きに媚びているわけでもなく。


 ただ、俺と出かけることを楽しんでいる。


 そんなことが、あるのか?


「……」


 俺は片手で眉間を押さえた。


 分からない。


 何もかもが分からない。


 アデラインの一件以来、俺は女性の言動を観察するようになった。


 笑顔の意味を考え、仕草の理由を探り、言葉の裏に何が隠されているのかを推測する。


 そうしていれば、相手の本心を見誤ることもないと思っていた。


 だが。


 リリアには、その観察がまるで役に立たない。


 裏を読もうとすればするほど、何も出てこない。


 出てこないどころか、こちらが勝手に混乱するばかりだ。


 ……一体、俺をどうしたいんだ?


「クラウス様、頭が痛いのですか?」


「……いや」


「そうですか?」


「ああ」


「無理はなさらないでくださいね」


 リリアはそう言って、穏やかに微笑んだ。


 それだけだった。


 それだけなのに。


 俺は、彼女のことがますます分からなくなった。




 温室を出る頃には、午後の日差しが少し傾き始めていた。


「今日はありがとうございました、クラウス様」


 出口の前で、リリアがこちらを向く。


「とても楽しかったです」


「……それは何よりだ」


「また、ご一緒できたら嬉しいです」


「……そうだな」


 俺は答えながら、内心で首を傾げた。


 また?


 次もあるのか?


 いや、婚約者なのだから、今後も出かける機会はあるだろう。


 別に、おかしな話ではない。


 ないのだが。


 馬車に乗り、屋敷へ向かう道中。


 リリアは今日見た花の話を楽しそうに続けていた。


 俺は適度に相槌を打ちながら、窓の外を眺めていた。


 ……はずだった。


 気づけば、彼女の話に耳を傾けている。


 どの花が好きだったのか。


 どの場所が気に入ったのか。


 次はどこへ行ってみたいのか。


 そんなことばかりが、頭に残っていた。


 そして、ふと思う。


 リリアは、俺のことをどう思っているのだろう。


 婚約者だから。


 ただ、それだけなのだろうか。


 俺自身に、何か特別な感情があるわけではないのだろうか。


 ……いや。


 何を考えているんだ、俺は。


 そもそも、俺は彼女に惚れるつもりなどない。


 裏切られるのは御免だ。


 もう、あんな思いはしたくない。


 だから、惚れたら負けなのだ。


 そう決めたはずだ。


 それなのに。


 今日一日を振り返ってみれば、俺は彼女の表情を何度も思い返していた。


 花を見て目を輝かせた顔。


 タルトを分けてくれたときの笑顔。


 俺の返事に、ほっとしたように微笑んだ顔。


 ……。


 待て。


 なぜ、こんなにもリリアのことばかり考えている?


 俺は眉間を押さえ、深く息を吐いた。


 意味が分からない。


 あの令嬢は、いったい何なのだ。


 そして俺は。


 ……一体、何をしているんだ。

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