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第7話 植物園で初デート 前編

 植物園に到着すると、リリアは馬車から降りるなり、辺りを見回した。


「わあ……!」


 その瞬間。


 表情が変わった。


 今まで屋敷の中で見ていた、穏やかな笑顔とは少し違う。


 目を輝かせ、子どものように周囲を見渡している。


「綺麗ですね、クラウス様」


「ああ」


「こちらにはどんな花があるのでしょう」


「さあ……」


「楽しみですね」


 そう言って、リリアは歩き出した。


 ……いや。


 歩き出した、というより。


 先に行きかけた。


「リリア嬢」


「はい?」


「待ってくれ」


「……あ」


 リリアが振り返る。


 リリアは男性と出かけたことがないと侯爵からも聞いていたが、エスコートされたこともないのだろうか?


「すみません。つい」


 恥ずかしそうに笑うリリア。


「いや……」


 別に責めるつもりはない。


 彼女が楽しんでくれるなら、それでいい。


 そう思って歩き出した。


 数分後。


「クラウス様!」


「何だ?」


「あちらを見てください!」


 指差された先には、色とりどりの花が咲いていた。


「綺麗ですね」


「ああ」


「こちらの花、初めて見ました」


「そうか」


「クラウス様はご存じでしたか?」


「名前くらいなら」


「すごいです」


 それだけのことを大袈裟に褒められた。


 ……何だ。


 この程度のことで、そんなに嬉しそうな顔をするものなのか。


「では、あちらも見てみましょう」


「……ああ」


 また歩き出す。


 しばらくすると――


「クラウス様!」


「今度は何だ?」


「あれです!」


「……」


 また花だった。


「綺麗ですね!」


「……そうだな」


 よほど花が好きなようだ。


「この色、素敵です」


「そうだな」


「クラウス様は、どちらの色がお好きですか?」


「俺は……」


 そこで言葉が止まった。


 ご令嬢と過ごすのに、俺の好みを聞かれてことなどなかったので咄嗟に答えられない。


「…………特にない」


 変な間が開いた。


「そうですか?」


「ああ」


「では、私はこちらが好きです」


 リリアが花を眺めながら笑う。


「この色、優しい感じがします」


「……そうか」


「クラウス様は?」


「……何がだ?」


「好きな色です」


「……」


 何故また聞く?


  この質問には、答える必要があるのか。


 だが、彼女はじっと待っている。


  リリアが俺を見つめる。


「……青だ」


 絞り出すように答えた。


「青」


「ああ」


「では、今度は青い花を探しましょう」


「……いや、そこまでは」


「どうしてですか?」


「どうしてって……」


 リリアは不思議そうに首を傾げた。


「せっかく来たのですから、クラウス様の好きな色の花を見に行きましょうよ」


「……」


 まただ。


 この自然さ。


 押しつけているわけでもない。


 俺を喜ばせようとして媚びているわけでもない。


 ただ、一緒にこの時間を楽しもうとしている。


 結局、俺はリリアと青い花を探すことになった。


「ありました!」


「……本当だな」


「綺麗ですね」


「ああ」


 隣で嬉しそうに花を見るリリアを、横目で見る。


 ……何なんだ。


 俺は一体、何をしている。


 婚約者と植物園へ来た。


  好きな色を聞かれ、その花をリリアと眺める。


 それだけだ。


 ただそれだけなのに。


「クラウス様」


「今度は何だ」


「少し疲れていませんか?」


「……そう見えるか?」


「少しだけ」


 リリアがこちらを覗き込む。


「休みませんか?」


「いや、大丈夫だ」


「でも、眉間に皺が寄っています」


「……これは元々だ」


「そうでしたね」


 くすりと笑う。


 ……まただ。


 先日の顔合わせでも言われた。


 俺の眉間の皺を見て、怖い顔と言った。


 普通のご令嬢なら、眉間に皺を寄せたしかめっ面の男を前にすれば、少なからず緊張する。


 そんな風に話しかけない。


 それに、相手の気を引こうとするのなら


 相手の男性から、どう見られたいかを考える。


 可愛く見られたい。


 気に入られたい。


 そう考えれば、自然と仕草も変わる。


 視線。


 笑い方。


 距離。


 声の調子。


  計算されたしぐさや媚びるような話し方、それにあざとさ、



 アデラインとの一件以来、俺は女性のそういった変化に敏感になった。


 夜会でも、無意識に相手を観察してしまう。


 ――この女は、俺に気に入られたい。


 ――今の仕草は、可愛いと思わせたいのだろう。


 ――次はこう言って、周囲から「お似合いですね」と言わせたいのか。


 そんなふうに、相手が何を考えているのかを先回りしてしまう。


 そして勝手に疲れる。


 勝手に警戒する。


 勝手に心の中で悪態をつく。


 だが。


 リリアには、それがない。


 少なくとも、俺にはそう見える。


 今だってそうだ。


 彼女は好きな花を追いかけ、思いつくことを話し、ただ楽しんでいるだけ。


 俺と一緒に……


「クラウス様」


「何だ?」


「お昼は、あちらのお店にしましょうか?」


 彼女が指差した先には、小さなカフェがあった。


「そうだな」


「では、行きましょう」


 嬉しそうに歩き出す。


 俺はその背中を見つめた。


 ……本当に、裏はないのか?自然体なのか?


 エスコートも求めない。


 俺に気に入られようとしているわけではない。


 侯爵家の嫡男だからと媚びているわけでもない。


 俺の機嫌を取ろうとしているわけでもない。


 ただ――


「……」


 俺はさらに眉間に皺を寄せた。


 もし。


 もしこれが全部、本心だとしたら?


 あの笑顔も。


 あの距離感も。


 俺への態度も。


 全部、本当に何の裏もないのだとしたら。


 ……そんなことがあるのか?


「クラウス様?」


  リリアが少し心配そうに呼びかける


「……何でもない」


「そうですか?」


「ああ」


 リリアはそれ以上追及しなかった。


 ただ、いつものように笑った。


 その笑顔を見ていると、また妙な感覚になる。


 嫌ではない。


 むしろ――


 いや、騙されるな。


 まだ分からないじゃないか。


「……」


 考えるな。


 リリアはただの婚約者だ。


 婚約者だから一緒に出かけている。


 婚約者だから隣を歩いている。


 婚約者だから話をしている。


 それだけだ。


 そう、それだけ。


 ほだされてはならない。


「クラウス様」


「……何だ?」


「どのお花もきれいで、一日中見ていられます」


「そうか。それなら午後は、あちらの温室にも行ってみるか?」


「はい、楽しみです」


 リリアが嬉しそうに笑う。


 そしてまた歩き出す。


 俺もその隣を歩く。


 ……。


 待て。


 何で俺は、彼女へ午後の予定を提案している?


 何で俺は、彼女の歩く速度に合わせている?


 何で俺は、彼女が何を見つけるのかを気にしている?


 何で――


「クラウス様、あちらです!」


「……分かった」


 また呼ばれた。


 また、ついて行った。


 そして気づけば。


 俺の頭の中は、リリアのことでいっぱいになっていた。


 ……一体、何なんだ。


 この令嬢は。


 そして。


 俺はなぜ、リリアのことばかり考えているんだ。


 こうしてクラウスはリリアのペースに巻き込まれてゆく。

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