【第七話】
夜遅くから降り出した久しぶりの雨は、朝になっても止むことはなかった。
いつもなら先に起き出して畑に消えている父も、この日ばかりは囲炉裏の脇に座っている。
「良かったな、おっ父。雨、降ってさ」
父は一昨日の夕方、雨が降らないと思い詰めて空を見上げていた。この雨に安堵しただろうと思って、桃太郎は言いながら隣に腰を下ろす。
「んだな……」
父の表情はどこか暗い。どうしたのかと聞こうとすれば、母の声が炊事場から飛んできた。
「桃太郎ー! 起きたならご飯! 運ぶの手伝って!」
「あ、ああ、うん」
父の様子も気にはなったが、桃太郎は仕方なく母の手伝いに向かった。
「おっ父、どうかした?」
桃太郎は配膳を手伝いながら、それとなく母に尋ねる。
「……畑に行けなくて退屈なのよ、きっと」
「でもこの前、雨降んねえって心配してたっけよ?」
「まあ、いいじゃない。太鼓なんかの稽古、たっぷりしてもらえるんだから」
桃太郎は、何となく強引に話を切り上げられた様な気がした。だが、配膳を急かされ背を押されるから、それ以上は母から話を聞くことは出来なかった。
雨はその日一日止むことはなく、桃太郎は家に篭もって両親から舞や唄、楽器の手ほどきを受けて過ごす。
父の表情も気付けばいつも通りとなっていた。
翌日は雨が止み、やはり桃太郎は西の森で舞い踊る。
「なあ、何か前よりこの辺きらきらしてねぇ?」
川辺で団子を食べながらの休憩中、誰にともなく桃太郎は疑問を投げた。
《ふむ、目はしっかりと開いていられるようになったようだな》
団子を口に含むのに、濁らずいつもの低い声で言ったのはだんごだった。
《良い舞は気を浄化しますからな。日々、これほどまでに舞えばおかしなことではありますまい》
軽やかな声で言ったのは猿の暁。
《桃太郎が上手になってる証だよ》
高く澄んだ声は雉の旭だ。
「舞が浄化?」
《知らずに舞っていなさったか》と暁。
「たましいを鎮めるっておっ父達は言ってた」
《それも正しいね》と旭。
《我らを知るのが上達の近道と言ったろ》と呆れるように言うのはだんご。
「んだから、意味が分かんねえって」
はあ、と溜息を吐いたのは三体全てだった。だんごがすっと立ち上がり、桃太郎の前に来てその身を屈める。
《見た方が早い。乗れ》
「え……」
《さっさとしろ》
「……やだよ」
《たましいを知りたくはないのか》
「いや、だって……」
煮え切らない桃太郎をさっと暁が抱えてだんごに跳び乗った。
「うわ! っておい! 暁!!」
《だんご殿、失礼を》
《良い。そのまま押さえてろ》
「何勝手に話進めてんだよ! …っ、?! うわー!」
だんごは勢い良く走り出す。突風の様な速さで走るのに、旭も難なく付いてきていた。
いつしか森を抜けて辿り着いたのは南方の丘。だんごから暁によって下ろされれば、桃太郎はその場にへたり込んだ。
《これしきの事で情けない》
《お一人で乗っていられなくば、体の軸が要の舞などとても……》
《桃太郎……もっと頑張らないとね》
「煩いな! もう!」
三体はそれぞれに勝手な事を言うから、頭にきた桃太郎は怒気を込めて叫んだ。
《く……》《うぅ……》《ひっ……》
「え……?」
桃太郎の怒気に今度は三体が怯む。いつも飄々としている三体のその様子に、桃太郎は胸の辺りがチクリとした。
(まさか、今のも威圧……?)
知らずに威圧を飛ばした事に驚き、自分の怒りが、他者を攻撃したかもしれない事に手が震えた。
《ふん!こんなもの何でもないわ!》
《ええ、ええ、少し痒かったくらいですかね》
言いながら、暁はへたり込んだままの桃太郎に手を貸して立ち上がらせる。
「痛かったり……しなかったか?」
《大丈夫だよ、桃太郎》
桃太郎の肩に降り立って言う旭の声は優しい。
《これしきで……。先が思いやられるな》
まあ良い、と言ってだんごは遠くに目を向けた。つられて桃太郎もそちらを見る。自宅がある方向の、さらに奥。
「なんだ、あれ……」
《ちゃんと視えているな》
「なんだ? あの、黒々とした……靄?」
桃太郎は見ていたくもない、といった感じがした。堪らずだんごに目を戻すと、その顔は苦々しく歪められている。
《あれは不浄よ。あの里は古くから、世の摂理に反しおる》
「世の摂理……?」
《こうあるべき、を犯しておるのですよ》
《生きるべきを奪い、降るべきを奪い、照るべきを奪うの。彼らの都合で》
《結果、奪われたモノの無念が凝り固まる》
「それが不浄?」
いかにも、とだんごは頷く。
《いずれ不浄は〝魔〟を呼ぶ》
だんごはそう言って、今度は北東の森に目を向けた。魔……、と呟きながら桃太郎もそちらを見やる。
「ひっ……」
森の方は里と比較にならないほどに黒い。言いしれない不安が桃太郎を襲った。
(影だ……。それも大きすぎる……。重くて、辛い……)
見ているだけで呼吸が浅く早くなる。吐き気に似た気分の悪さに、桃太郎は咄嗟に傍らの暁の体に縋った。
《あそこにはつい最近〝魔がさした〟》
「魔が、さす?」
《我らと似て非なるモノが生まれたのだよ》
だんごの声には、心無しか悲壮が滲んで聞こえた。
《我らは清き霊の言わば化身》
《わしは楽しみ、喜びの念から》と猿の暁。
《わたしは慈愛の念から》と雉の旭。
《あちらはコレらとは真逆の念から……》
そう言いながら、だんごは西の森に目を向ける。桃太郎もそちらに目をやれば、その清らかな雰囲気に心が落ち着いていった。自然と呼吸が軽くなる。
《川上の里から不浄が流れ着く事もあるが、桃太郎の舞が最近は役に立っておる》
「舞が不浄の役に立つ……?」
だんごは一つ頷いた。
《舞とは神仏の霊魂を鎮める。喜び、楽しみ、慈愛の念を乗せる事で、それに触れた不浄は祓われ救われるのだよ》
「そう………」
だんごの言葉がいまいちピンと来ない桃太郎は西の森から再び里へ、そして北東の森へと視線を動かした。また自然と恐怖に足が震えていく。
「ま、舞えば……あれは、消えるのか……?」
《……》
桃太郎の問いには誰も答えない。その代わりに、再びだんごが桃太郎の前にその身を屈めた。
《乗れ》
「今度は、何処に……」
(まさか、あの森に……)
《案ずるな、桃太郎の家の裏だ》
「家……?あの林か?なんで……」
《良いから早くしろ》
その時、暁の体を動かす気配がする。また担ぎ上げられるのは悔しくて、桃太郎は仕方なく自分からだんごに乗った。だが。
「ごめん、暁……支えてくれ」
《……御意》
桃太郎と暁が跨り体勢が整うと、だんごは再び走り出した。
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