【第六話】
ふとした違和感に頭上を見上げれば、日が傾き始めていた。
「おーい、桃太郎ー!」
森の彼方から父の呼ぶ声に、桃太郎はハッとする。
「いけね、帰んないと!」
桃太郎は声の方へ慌てて駆け出した。
《我らはここで待っている。用あらば、いつでも呼べ》と、白狼のだんごの声が頭に響く。
《次はわしの分も、団子を頼みますよ》と、猿の暁の声も、同様に。
「知るか! 勝手にしろ!」
おそらく自分の声も何処にいようと彼らには聞こえるのだろうが、つい桃太郎は声を大きくする。
「何だと? 桃太郎、親に向かって!」
そこでちょうど良く父と遭遇してしまう。
「げっ、おっ父! 違う! 今のは…」
「帰りが遅ぇから迎えに来ればお前ぇは! 今夜の太鼓の練習は無しだかんな!」
「そんなー!」
「今夜はさっさと寝て反省しろ!」
父に叱られる桃太郎の頭には、だんご達の《クツクツ……》と言う笑い声が響いていて無性に腹が立った。
不機嫌を隠さずにズンズンと桃太郎は歩き出す。しばらくして、父が付いてこない事に気がついて振り返った。
「おっ父?」
父は後方でどこか思い詰めるように天を見上げていた。だが、桃太郎の声にハッとしてすぐに駆け寄ってくる。
「どうしたの?」
「……いや、降らねえなと思ってな」
言われて桃太郎が見上げた空は、夕焼けに染まって、綺麗に晴れ渡っていた。
翌朝、桃太郎は前日の早寝のお陰で、だいぶ早くに目が覚めた。
だと言うのに、両脇に寝ているはずの両親の姿がない。いつも先に畑へ行っている父は分からなくもないが、通常、炊事場にいるはずの母の気配がないのは不思議だった。
布団をたたみ、草履を履いて板間を降りると桃太郎はとりあえず厠へと向かう。
夜でも朝でもない靄がかる碧い世界は静かで、どこか異様で。
なんだか不気味に見えてきて、桃太郎はそそくさと厠に駆け込んだ。
用を足して外に出ると、家の裏手から微かな足音が近づいてくるのに気付きドキリとする。
恐る恐る目を向ければ、早朝の靄の中から両親が姿を現した。
「なんだ桃太郎、早ぇこと」
「おっ父! おっ母!」
「おはよう、桃太郎」
「二人こそ、こんなに早く何処行ってたんだ?」
桃太郎の質問に、一瞬二人の視線が泳ぐ。
「それより、そうだ桃太郎! ちょっと来て」
「えぇ?!」
母がパッと表情を明るく変えて桃太郎の腕を引いた。
少し前は見上げるほどだったその顔の高さに、また少し自分が近づいている事に気付く。
母に引かれるがまま家へ上がると、板間に父と並んで腰を下ろした。
長持ちを漁る母の行動に、桃太郎はわけが分からず父の方を窺うが、父は何やら訳知り顔だ。
「ほら見て」
母は振り返ると、手にした物を広げて見せた。
「わあ! それ、俺の!?」
桃太郎は一瞬で目を輝かせる。衝動的に躙り寄ると、それを母から奪うように受け取って掲げ見た。
「おっ父の子供の頃の袴、昨夜ようやく直し終わってね」
「舞の袴……。かっこいい!」
立ち上がって自分の腰に合わせては、桃太郎は浮かれた。
「ちと、まだ大きくねぇか?」
「桃太郎はすぐ大きくなるから、いいんですよ」
板間を袴片手に跳ね回る桃太郎。両親はそれを優しく見守っていた。
「早くこれ穿いて、舞ってみてぇなー!」
「もうすぐだってば」
「練習、頑張らないとね」
賑やかな一軒家に日が差し込んで、静かに朝の始まりを告げた。
西方の森の中、桃太郎は朝の興奮がまだ冷めやらない。
早々に柴刈りを終わらせると無我夢中で舞っていた。滴る汗が木漏れ日にきらりと光る。
《そう我武者羅になるな》
頭に響くだんごの声。
《それでは舞が台無しかと》
どこか軽やかなこれは暁の声。
「やっぱり来たのか」
桃太郎は動きをとめると眉間に意識を集中した。瞬間、ガラリと世界が変わる。川辺に寝そべるだんごと、その脇に控える暁の姿ーーー
「うわ、何だこれ?!」
そして、自分の周りを飛び回る、尾の長い鳥の姿がその目に映る。
《ずっとそうしておったぞ》
《〝目〟を使っていれば良いものを》
だんご達が何か言っているが、桃太郎は鳥の動きに夢中で気にしていられない。
青とも緑ともとれる美しい羽根を、その鳥はしなやかに羽ばたかせる。
ふわりと舞い上がり、時に鋭く滑空する様は、いつかの父の動きを思わせた。
《威嚇だ》
「えっ?」
《良い手本になると思われたのでしょう?》
まるで、桃太郎の考えなどお見通しな二体の言葉が引っかかる。
「お前ら! 俺の頭ん中を勝手に……」
《言ってる場合か》
《逃げてしまいますぞ》
ハッとして鳥に目を向ければ桃太郎の頭上にまで高度を上げていた。
「あ!」
あの動きが見られなくなるのは惜しい。だが、この場に留めておきたくとも、もう手が届かない。
《威嚇》
また頭に響くだんごの声。
瞬間、桃太郎の脳と口が同時に動いた。
『逃さない』
「行くな!!」
桃太郎の威嚇に鳥は一瞬びくりと体を震わせて、その場で羽ばたきを続けるのみになる。そこからは高さも距離も変わらない。
《目を離すなよ》
桃太郎はすぐ側にだんごの控える気配を感じた。そして同様に暁の気配も。二体は静かに、だが確かな存在感を持って桃太郎のすぐ後方に控えている。
すると、鳥は徐々にその高度を下げ始めた。ゆっくりゆっくり、その距離を近づけてくる。
「なんで…」
だんごも暁もただそこに居るだけ。威嚇も威圧もしていないのは桃太郎にも分かる。
《気を抜くな》
《我らの権威も、主の縛りあってこそ》
鳥は目の前の地面近くまで来ると、一度大きく羽ばたいてみせ、音もなく着地した。真っ直ぐに桃太郎へとその赤い顔を向けている。
《威圧の必要もあるまい》
「え?」
《名付けてしまえば主に従うかと》
「はあ?また?」
桃太郎は不満の声を漏らす。得体のしれない存在と、また近くなるのは不安もあった。
(……でも、こいつと舞ってみたい)
もっと上手く軽やかに舞えるようになりたい、桃太郎のそんな願望が不安を上回る。
やがて桃太郎は、決めた。
「……旭」
《はい》
先の二体とは違う、高く澄んだ声だった。その目に確かな光が宿って見えると、旭は羽を広げ舞い上がりふわりと桃太郎の肩に降り立つ。
《雉ごときにまたそのような……!》
だんごの不満そうな声が響くが、桃太郎は気にせず傍らの鳥に目を向けた。
「綺麗だな……」
《ありがたい》
他に比べては小柄なためか、桃太郎は鳥にはすぐ愛着が湧いた。
「そうだ、団子食うかな」
桃太郎の呟きに《食う》とだんご、《わしも食う》と暁がすぐに反応する。
「お前たちじゃない!」
腰に吊るされた包みに、鼻先と手を伸ばそうとする二体から取り上げると、桃太郎は中から一粒掴んで空中へ放った。
「ほら! 旭!」
桃太郎の掛け声に、旭は彼の肩を軽く蹴って飛び上がる。木漏れ日をその羽に反射させながら、団子を華麗にその口に収めてみせた。
「やるじゃん!」
それを見て、桃太郎の目はまた輝きを増す。空を舞う旭に倣って思わず跳躍した。
《ほう……》
《なかなか》
二体の感嘆にも気を良くした桃太郎は彼らにも団子を放る。
「ほら!お前たちも跳んでみろ!」
大きな体躯でありながら、だんごは軽やかに跳び、すとと着地した。
だんごの無駄のない身のこなしに対して、暁は団子を咥えて宙返りまでしてみせる。
「お前らもやるな!」
桃太郎はそんな彼らを目にして、体のうずくのがまた止まらない。
日が傾き出すまでひたすらに、彼らは舞い踊った。
その晩の遅く、久方ぶりの雨が降った。
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