【第四話】
お供登場です
この日も桃太郎は一人、西方の森で柴刈りの傍ら、舞の練習に励んでいた。
草木が生い茂り適度な日陰があって、暑いこの季節に体を動かすのにはちょうど良かった。近くを流れる川のせせらぎと、吹き抜ける風が心地良い。
少し休憩しようと川辺に腰を下ろし、母に持たされた団子の包みを開けた時だった。
ふと感じる違和感。
この時期特有の蒸す空気に、ひやりと刺す冷たい何か。見渡す風景に変わりはないのに、先ほどまでには無かった何かがあるような感覚。
その感覚の正体が桃太郎には何か分からない。でも目の前の川に何かーー
ざぁっと風が吹き抜ける。
《やはり、勘が良いか》
吹き抜ける風に目を閉じた時、そんな声を桃太郎の耳は拾った。
ハッと目を開けると、目の前の川に四肢を付けて佇む大きく白い獣があった。
「うわっ!?」
桃太郎は思わず大きく体を仰け反らせて揺れた。その拍子に、膝から数個の団子が転げて川に落ちて流れていく。
それを獣はパクリと食べてしまった。開けた口の中に、鋭い牙が見えて桃太郎は恐怖で動けない。
「ひっ……お、狼」
《そのような生きた獣と一緒にするな》
「ひぃ! しゃべ、喋った」
《耳も良いか》
白い狼のような獣からは人語が聞こえるのに、不思議とその口は動かない。ただの動物ではないと、ようやく桃太郎も思い至る。
《未熟だが、良い舞だった》
「舞……見て、たのか?」
《ああ。ここ何日か、遠くからな。良い物を今日は持って来たようだから、奪ってやろうと思ったのだがな》
まさか勘付かれるとは思わなかった、と舌なめずりをしながら獣は言う。
それがまた桃太郎に恐怖を与えた。
《まあ、あれほど舞えるのだ。当然か》
「お前、何なんだよ……」
口は動かないのに声を出す、それも人語を操る獣が桃太郎には理解出来なかった。
獣はゆっくりと前足を前に出す。川から持ち上げたのに、不思議とその足先からは水が滴る事はなかった。そして、次の一歩も同様で。
ゆっくり、ゆっくり、桃太郎に近づきながら口を開く。まるで笑みでも浮かべているように見えた。
《私から名乗って良いのか?》
「え……?」
桃太郎の目の前、川岸までたどり着くと彼を見下ろす獣。
《舞の見物料に、団子の礼だ。先に名乗って良いぞ》
「………」
獣の言っている意味が分からない。
《良い目と耳を持つ子よ。私はもっと良い舞が見たい。その使い方を教えてやると言っているんだ》
「いや、そんな事言ってなかった……」
《言っているんだ》
「……」
圧で押し切られ、桃太郎は押し黙る。
《最高の舞が舞えるまで、配下となり守ってやろう。だから、先に名乗れと言っている》
「そんな事別に……」
《私ほどの霊獣が下に出てやっているのだ! 良いからさっさとしろ!》
その瞬間、ぶわりと空気の圧を感じ桃太郎は遠くに吹き飛ばされた……様に感じた。背後で激しい木々のざわめきだけが遠のいていく。
「……も、桃太郎」
人知を超えた力に気圧され、彼は呟くように名乗った。
獣が満足そうに頷く。
《我が主、桃太郎よ。私に名を付けよ》
「……名付け?」
先に名乗ろうと思えば名乗れるような口ぶりだったのに、名を欲する意味が桃太郎には分からない。
《名は、その者をその者たらしめるモノ。それ故に強い縛りの効果がある。私が桃太郎のモノであり、美しい霊獣であることを名付けで示せ》
「美しいって……。それに、何でそんな事」
《私がきまぐれにどこぞかに消えては困るだろ?》
「いや、別に……」
桃太郎の言葉に獣が今度は目を細めると、その場の気温がぐっと下ったような錯覚が襲う。鋭い物が突きつけられているような緊張感。この状況に頭は逃げろと言うのに、体は震えるばかりで動かない。
《困るだろ?》
震えて桃太郎は答えられない。何とかしないと、そう思って名付けに意識が向く。それでいて、こんな事をして良いのかという不安も同時に襲う。
人語を操る得体のしれない獣とのやり取りの異常性に、桃太郎は子供ながらに恐怖が治まらない。
《どうした?》
「ひっ……」
《早くしろ》
気温がさらに下がる。さらに震えが止まらない。歯を鳴らしながら桃太郎は仕方なく呟いた。
「……“だんご”で」
《はあ?》
白い獣は間髪入れずに不満の声を漏らす。睨み据える眼差しは先ほどより鋭いのに、さらに気温が下がる事はなかった。
むしろ冷気がすっと消え、初夏の空気が戻ってほっと出来た。呼吸が少し楽に出来る。
だからか、獣に対して怯んでいた感覚も薄れていった。
それと同時に、これまでの恐怖と、名付けの強制への理不尽に感情が頂点に達した。勢いに任せて桃太郎は叫ぶ。
「し、仕方ないだろ!名付けなんてした事がないんだから!俺も美味い桃があったからって桃太郎なんだからな!お前も美味い団子が側にあるんだからそれで良いだろ!ふざけんな!いい加減にしろ!」
《くっ……》
今度は桃太郎の勢いに獣がどこか辛そうに怯む。
《私が、だんご……。まあ仕方ない》
項垂れるようにして“だんご”は岸に上がると、桃太郎の傍らに座り込んだ。
《さ、私が何者からも守ってやるから、舞え》
「はあ?」
《団子なら食っといてやるから案ずるな》
だんごはそう言って桃太郎の膝に残った団子に食らいつこうとする。桃太郎は慌ててそれをだんごの口から遠ざけた。
「さっき食っただろ!これは俺の!」
《そんな事をしていると他のモノに盗られるぞ》
だんごに言われた瞬間、桃太郎の手は軽くなった。手にあった団子の包みが消えている。
「なに!?」
《ほれ、はよ“目”を使わんと見失うぞ?》
「は?目を使うって何だよ! それに、何かあったらお前が何とかするんじゃなかったのかよ!」
《習うより慣れろと言うだろ? さっき私を見つけたように神経を研ぎ澄ませ。桃太郎ならきっと出来るから》
「さっきって……」
何でそんな事をと戸惑いながらも、だんごを見つけた時と言われてその感覚を思い出そうとする。
「風景に変な感じが混ざってて……何か、変な」
同時に忙しなくその目を動かす。
《見ようとするな。一歩引いて、この森全体を見渡すようにするのだ。目に映る景色と、引きで視た景色の重なりに、歪さが見えるはずだ》
言いながら、だんごは桃太郎の眉間に鼻先をちょんと触れる。
《ここに本当の“目”がある。集中しろ》
だんごが突いた眉間が軽く湿って、より神経がそこに集中する。再び森を見渡せば、先ほどまでとまるで違って見えた。
「あ! 猿!」
だんご程ではないものの、通常の猿よりも体躯の大きな、赤黄色い毛並みの猿が川辺の岩に乗っていた。
犬じゃない……
お読み頂きありがとうございました!




