第三話
それから桃太郎は順調、というよりも驚異的に成長していった。
「おっ父!」
「おお! 桃太郎!」
年老いてしばらく、放置していた畑に若返った翁は手を入れ始めた。
春の盛り、蒔いた種は次々と芽を出し、管理に手が抜けない。今日も朝早くから雑草取りに、脇芽かきと忙しく腰を屈めていた。
「起きたかー、おはよう。ほれ、言ってみぃ」
「おはよう」
翁の屈めた背に子供の温かい体温が乗ってきた。
たった一月ばかりで桃太郎はその背をぐんぐんと伸ばし、言葉も喋り始めていた。
「まあた、重くなったなあ」
そう言いながら背に桃太郎をおぶせた状態で、すくっと翁は立ち上がる。
視線が高くなって、きゃっきゃっと桃太郎も楽しそうな声を上げた。
「あらあら、桃太郎の着物が汚れちゃうじゃない」
後から追い付いてきた妻が困ったもんだと笑って言う。
「おにぎり、作ってきましたよ」
「まんま!」
妻の掲げる風呂敷を、翁の肩越しに桃太郎は元気に指さした。
「んだな、朝飯にすっぺな」
「すっぺ!」
「はいはい」
翁は畑から出て妻の方へと向う。妻の黒々とした髪が靡き、朝日に燦めいて眩しい。
翁は首に巻いた手拭いを解くと地面に敷いてやった。
「お前はここさ座れよ」
「ふふ、ありがとうございます」
「……いいから、はよ飯」
照れを隠しながら翁はその横にどかっと座る。胡座をかけば桃太郎がその上に当然のように座ってきた。
翁には何となく、あの朝の桃の重さが思い出された。桃太郎の温かい体温から立ち上がるのが、子供特有の乳の香りではなく、桃の香りだからかもしれない。
「どうしました?」
遠くの山に目をやり、ぼーとしてしまった翁は、妻に問われて意識をそちらに戻す。
「ほれあの桃、こんくれぇの重さだったなって」
「ああ」
「たった一月、なんだよな……」
「そうですね……」
両親の会話を気にもとめず、桃太郎の小さな手は、必死に大きな握り飯を掴んで口に運んでいる。手にも口にも、ご飯粒がついてベタベタになっていた。
「ほら、一粒も残すんでねぇぞ」
翁は言いながら桃太郎の手に着くご飯粒を摘んで口に運ぶ。
「これ一粒一粒が神様なんだかんな!」
「かみさま?」
「んだ」
「ふーん」
「分かってるのかしらね」
楽しげに二人のやり取りを見守る妻がふふ、と笑う。
「どうだべな」
「おかわり!」
「んだから、手に付いたのからけぇ(食え)!」
「けぇ!」
翁の言葉を真似て、ご飯粒まみれの手で桃太郎はペチペチと手を打って遊び出した。
仕方ねえなと言いながら翁は愛おしそうに桃太郎の頭を撫でてやる。
妻が桃色の手拭いを懐から出して、桃太郎の手を拭いてやった。
「変わった色に染めたこと」
翁の言葉に妻は静かな笑みをたたえて言う。
「あの日残った皮で色々染めてみたんですよ」
「そうか……」
ふわりと吹き抜ける風に乗る、無いはずの桃の香りが翁達の鼻をくすぐった。
「あっちぃー」
雨季の終わり、既に太陽は夏の強さを放ち始めていた。
朝早くから野菜の収穫に勤しんでいた桃太郎は、首に掛けた手拭いで汗を拭う。
屈めていた腰を伸ばせば、頭の位置は苗の背を越している。この頃になると、桃太郎は十の子らと変わらない体格となっていた。
「そっち、終わったか?」
父も別の畝間から上半身を覗かせて桃太郎に問いかける。
「終わった。あとは明日で良さそうだっけ」
「んだか。んでまず、これくらいにして帰ぇるか」
「うん! ……よっと」
桃太郎は採れたての瑞々しい野菜の入った籠を背負い込むと、父の方へ駆けていく。
「こら! 野菜に傷が付くべ」
野菜の跳ねるのも気にせずに、元気良く走り出す桃太郎を父は窘める。だが、その顔はとても穏やかで優しい。
「腹減ったなー」
「おっ母が飯、作って待ってっからな」
照りつける太陽の下、親子並んで家に向けて歩き出す。
「おっ父、きゅうり!」
「んだから、帰れば飯だって」
そう言いつつも、父は桃太郎の背負う籠からきゅうりを取り出すと半分に折って片方を息子に渡す。
「やった!って、おっ父も食うんじゃん」
「おっ母には言うなよ」
「えー、どうすっかなぁ」
意地の悪い顔を浮かべる桃太郎を軽く小突くと、共に声を出して笑った。暑く纏わりつくような空気を晴らすように、軽快に。
「帰ったぞー」
「あ、お帰りなさい」
二人が家に帰り着けば、母が外で小物の陰干しをしていた。駆け寄った桃太郎は甘えるように母の腰に抱きつく。
「ただいま!今日もいっぱい採った!」
「わあ、すごい!本当にたくさん」
母は桃太郎の頭を撫でてやりながら籠を覗いて言う。
「今日はつまみ食いしなかった?」
「し、してない!」
「おやおや?」
「そ、それより!何してんの!?」
怪しくなってきた雲行きから逃れるように桃太郎は話題を変えた。陰干しされている物に視線を向ける。
「お、懐かしいな」
追いついた父もその物を見て言った。
「今年はまたやるって言うんじゃないかと思いましてね」
「んだな、体も良く動くようになったしな」
「ねー、何これ? 何に使うの?」
答えが得られない桃太郎は今度は父の着物を引っ張って急かす。
「舞さ使うんだ」
「舞?」
父は桃太郎の手を優しく着物から外すと、自分の背負う籠を下ろしてそちらに向かった。陰干ししてある刀と扇を手に持つと、その感触を確かめるようにしてから桃太郎に向き直る。
父はドンッと足を踏み鳴らすと高く飛び上がった。
「わっ」と、桃太郎は驚きの声を上げる。
父はやはり力強く着地すると、そのままくるくるとその身を回しては屈んで、今度は軽快に跳び回る。
「〜〜〜」
今度は傍らの母が歌い出した。それに合わせて父は体を、首を、大きく揺らしてはまた跳ねる。時には雄叫びを上げながら。
二人の動きと声が止まると、桃太郎は世界から音が消えたような錯覚を覚えた。喧しかった蝉の声も、不思議と消えてしまっているように遠くなっている。
「すんげぇ……」
「だべ?」
大量の汗を流す父は得意そうに笑った。
「これはね、亡くなった人の魂を鎮めるの」
「たましい?」
「もう少ししたらな、あの世からご先祖様達が帰ってくるんだと。そん中には悪いのも紛れてくる」
「帰ってきた霊魂を鎮め、悪いものからは人々を守る舞なのよ」
「ふーん……」
桃太郎には霊魂や悪いものがいまいち良く分からない。だが、両親が楽しそうだったからか、体がうずうずしてどうしようもなかった。
「俺もやりたい!!」
目を輝かせる桃太郎に父は嬉しそうに笑って、息子の頭に手を置いた。
「いっぺぇ居たほうが本当は格好良いんだ。教えてやっからな」
「うん!」
「袴、縫ってあげないとね」
母もそう言って桃太郎の肩に手を添える。桃太郎の目は更に輝いた。
桃太郎は畑仕事も精力的に手伝う傍らで、両親に習った舞や太鼓の練習にもよく励んだ。
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