【第十七話】
―――
草木が鬱蒼と生い茂る森の中。朝だと言うのに、木漏れ日だけでは足元が危うく影が多い。
前日の雨のせいでぬかるむ地面が不快な湿度を高めていた。
そんな影落ちる森の中、佇む男の目も暗い。見つめる低い岩には襤褸切れが貼り付くように横たわっている。
男は目を瞑り手を合わせた。次に開けたその瞳には強い光を宿して、鬼の面へと顔を嵌め込む。
後方に佇む女は目を伏せたまま笛を口元へと当てた。
影を切り裂くような男の跳躍と女の笛の音―――
※※※※※※※※
桃太郎は広大な大地で舞った。
彼の力強い足踏みが、銀の尾を引く剣閃が、威圧する雄叫びが、眼前の闇の色を薄くする。
鬼の姿となった魔は、桃太郎達の縛りもあって動きは鈍い。桃太郎にだいぶ遅れて、それでも彼を真似て飛び跳ねる。
重い足の運びが、乱暴に残滓振りまく腕が、絞り出すような咆哮が、その濃さを取り戻し櫓の不浄に手を伸ばす。
(不浄を手にしてどうする)
………
(より黒く成り果ててどうするんだ)
………
これまでの不浄のように現し世への未練の情が鬼からは聞こえない。祈りもまた、届いている手応えが得られずに桃太郎は焦る。
鬼の動きが徐々に桃太郎へと追いつき出していた。
鬼が動くたびに振りまく残滓がどろりと従者達に振りかかる。その度に従者達の縛りが弱まっていることが桃太郎には分かっていた。
彼らにとって相反する存在との対峙は容易いことではなかったのだと知る。だからまた焦る。
《速い! ……正しく…舞え》
絞り出すようなだんごの声が響いて、音頭が知らずに速まっていた事に桃太郎は気が付いた。だが、どんどんその動きは速さを増して止まらない。
(鬼に、舞で負けたくない)
もう自分と変わらぬ速度で鬼は踊り出している。止まれない、負けたくない。
桃太郎の心拍は上がり続けて、呼吸が浅く、動きが雑になっていく。
対する鬼はさらに重々しい残滓を振りまいて、的確に不浄へと背後の影を伸ばしていく。
鬼が鋭く振るった腕が、鋭い影を飛ばし櫓に届かんとする。
(鈴……!)
思わず振り返れば櫓に影は届かなかったものの、衝撃波で大きくグラついていた。
高い位置にいる鈴はそれでもぼんやりとふらつき佇んでいる。
(なんで……)
《桃太郎!!》
旭の叫びと自分に当たる強い衝撃がほぼ同時だった。鬼が放った影の一撃が当たったらしい。桃太郎はよろめき膝を着くが、不思議と痛みや辛さは無かった。
《主!!》
《桃太郎! しっかりしろ!》
心配する従者達の声もしっかりと聞こえる。その時、ハラリと自分の髪が解けた。切れて落ちる桃色の組み紐……。
(おっ母……)
母の得意な草木染で色を入れられた組み紐。
桃太郎は、それを拾い上げると懐に仕舞いしっかりと立ち上がった。
(大丈夫だ。まだ舞える)
再び鬼に向き直る桃太郎に従者達からは安堵の気配が伝わってきた。
(おっ母はいつも控え目だけど、家で一番強ぇ。俺もおっ父も、力はあっけど勝てねぇんだ)
母の静かな強さを思い出し、桃太郎はまた舞の構えを正す。母のようなどっしりとした余裕を持って。
(舞は速さじゃない。動きを知っただけのこいつに張り合ってどうする)
自然とまた心は落ち着いていった。
さらにここに確かな音頭があったなら、そう思ったら桃太郎は叫んでいた。
「鈴ーー! 頼むー! 笛を吹いてくれーー!」
桃太郎は正しい音頭が欲しかった。道標の無い道を行く支えとなる笛の音が。
「………」
「頼むよ! 鈴ーー!」
再び叫ぶが鈴の声も、笛の音も響いてこない。
(どうしたんだ、鈴……)
目の前の鬼は容赦なく跳躍する。桃太郎も、襲い来る影を雄叫びの威圧で吹き飛ばすとまた舞い出した。
自分と寸分違わぬ動きの鬼。まるであの日のようだと、夕日を背に影を見て舞った日の事を思い出す。
鈴を送り届けた里の前。淋しげな彼女を励ますように陽気に踊ったあの日。
―――「じゃあな、りんちゃん」
(かつて呼ばれていたと話したから、そう言ってやったら良い声で笑ったんだ……)
桃太郎は櫓に体を向けた。従者達は歯を食いしばる。主の意思を尊重して。
桃太郎は大きく息を吸い込むと櫓の頂上に向けて叫んだ。
「りーーーーん!!」
「!」
弾かれるように鈴は体を揺らした。その目に光が戻り眼下の桃太郎を見る。
「桃太郎……。?!」
鈴は桃太郎の名を呟き、ハッとしてその口を手で覆う。その瞬間、櫓の真上に聳え立っていた不浄の柱が崩れ落ち里の上空一帯を覆った。
朝だと言うのに目の前に広がる空気はさらに重く黒いものに変わる。
憎い……
恐い……
辛い……
不浄のあらゆる念が周囲でこだまする。鬼の纏う影もさらに濃く、肥大していった。
苦しい……
淋しい……
「黙れ!」
桃太郎の一瞬の威嚇が不浄の多くを鎮めるが、それでもかなりの不浄の靄が周囲を包み込む。
「鈴! 頼むから笛を吹いてくれ!」
「桃太郎……どうして……」
困惑する鈴に桃太郎は面を外して笑って見せた。
「せっかくの祭なんだ!一緒に楽しむべ!な!」
「一緒に……」
そうして鈴は笑みを浮かべて頷いた。桃太郎も頷き返すと鬼の面をまた嵌める。
(悪かったな、お前達)
声は聞こえなかったが気にするなと言う気配が桃太郎には感じられた。
桃太郎は鬼に向き直り構える。威嚇し、威圧の雄叫びを上げれば澄んだ笛の音が響きだした。
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