【第十四話】
それからの数日も鈴は桃太郎の家へと通い笛の稽古に励んでいた。体調もすぐに回復した桃太郎も彼女の笛の音と共に舞う日々を送る。
(前より体が良く動くな………こう動かなきゃって考える前に体が動いてる……)
不浄と対峙する前に比べて、桃太郎はより高く、より鋭く体を動かせるようになっていた。
(笛の音も良く聞こえる。思考が邪魔しない……)
《経験は何よりも成長の糧となりますれば》と言ったのは子猿姿の暁。
《習うより慣れろと言っただろ》これは白犬姿のだんごの声。
《桃太郎、上手になったね》と、鶯姿の旭。
思考を察して好き勝手言う従者達の声もしっかり聞こえながらも、桃太郎は不思議と翻弄されなくなっていた。
父の動きがよく見える
母の唄声がよく聞こえる
鈴の奏でる笛の音がよく聞こえる
風の流れるのがよく分かる
魔が動き出したのさえも分かってしまう
この日、何度目かの雄叫びと共に男二人は動きを止めた。
「今日はもうこれくらいにすっぺ。お鈴も明日が本番だからな、もう今日は帰ぇった方がいいべ」
言って父は遠くの空を見上げた。その先にはもくもくとした大きな雲が出来上がっている。
「ひと雨きそうだしな。桃太郎、気ぃつけて送って来いな」
「……分かった」
桃太郎はしっかりと舞の刀を腰に差すと鈴に向き直った。
「行くぞ」
「うん」
鈴も帯に笛を差すと小走りにやってくる。二人は並んで歩き出した。
遠くに雨の香りを感じながら二人は歩く。この所は特に、不浄の靄や霞が道にまで漂うようになっていた。だが、その程度であれば桃太郎は威嚇で押さえ、威圧だけで晴らすことが問題なく出来た。
《ずっと教えてやってたのに、ようやくか》と、だんごに呆れられたのは数日前だ。
里の手前まで来るころには、頭上に黒い雲が追いついてきていた。
「じゃあな。明日、頑張れよ」
明日、笛を人前で披露する鈴を激励して桃太郎は踵を返す。
「聴きに来てくれないの……」
「俺は……」
今、不浄の靄が渦巻くこの場所に居るのも本当は辛い。魔がこの里に向かって来ているのも分かるから尚更。
だが、そこに一人ぼっちでいる鈴の事を思うとそれだって辛い。
《長居は無用だ》
(分かってる)
「桃太郎……」
「………ごめん」
呟いて桃太郎は走り出した。従者達も彼に従って走り出す。鶯の姿の旭だけは俯く鈴の姿が、高い位置から見えていた。
途中、ぽつりぽつりと降り出した雨が、乾いた地面に大きなシミを作り出す。
《乗れ》
本来の姿に戻っただんごに言われ、桃太郎は軽々と跳び乗った。と、同時にだんごはその速度を上げていく。
暁はその傍らを走るのに、桃太郎はだんごから振り落とされる事なく家へと帰り着いた。
それからは激しい雷雨となり桃太郎一家は家の中で過ごした。夜は雷雨の轟音の中で更けていった。
親子川の字で眠る中心で、桃太郎は誰にともなく思考する。
(森の魔、動いてるよな)
《……それがどうした》
家の中だが、土間に待機する白犬のだんごが答える。
(里に向かってるんじゃないか)
《それがどうした》
(それがどうしたって……。放っておいていいのかよ)
《あの里が招いたこと》
突き放すように言い捨てるだんごの言葉に、桃太郎の体温がスッと下がる。
《不浄を晴らすことをやめ、あえて溜め込むような者の里だ。手など出して欲しくないと思うがな》
(そうかもしれないけど…)
誰もが望んでいることかは分からないのに、とも桃太郎は思う。
《静観もまた同罪かと》
また投げない思考を勝手に汲み取る暁。
《桃太郎の両親のように、抗うことだって出来るのにね》
旭もまた同様に。
(でも、楽な暮らしじゃねぇし。みんなで居たほうが良い人だって…)
《だから、全てが彼らの選択で違わないだろ》
(………)
言い返す言葉が思い浮かばず桃太郎は強く拳を握る。鈴の顔だけが鮮明に思い出された。
(何も知らない子供も、同罪か?)
《………》
これには誰も答えない。まったくズルい奴らだと桃太郎は思う。
(魔が里に届いたら……どうなる)
桃太郎は代わりの質問を投げてみた。
《さてな》
(さてなって……)
《わしらにも何が起こるかなど知れぬのですよ》
《疫病か、不作か、諍いか……。もしくはそれ以外か……》
(魔に触れて、直接誰かが傷つくなんてことはないのか)
《………》
これにもまた誰も答えない……。
それ以降、屋内に響くのは両親の寝返る衣擦れの音と、野外の雷雨の音だけだった。
両親が手をきつく握りしめていることには誰も気付かない。
激しい雷雨は、日の出前に止んでいた。
まだ暗く、しかし空は微かに白む頃。身を清めた鈴は祖母に言われるがまま、白い背中をさらけ出す。
祖母は硯の墨に指先から一滴の赤を垂らすとそこに筆を浸した。
「これはうまくいくおまじないだよ」
嗄れた声が闇に溶け込んでいく。
「これ以降、祭りが終わるまで声を出してはいけない。分かったね鈴」
鈴は従順にコクリと頷いた。それを確認すると祖母は何事かを鈴の背に書き付ける。
ニタリと笑う顔をすぐに隠して、祖母は祭りの装束の着付けを孫娘に施し始めた。
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