↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/9

第5話 誰かが死ぬ道

 パトカーのアクセルを踏み込む。サイレンが夜を切り裂いた。


 ダッシュボードの端末に、赤い数字が脈打つ。


「残り 2:40:33」


 ……2時間40分。まだある。まだ、探せる。


 ナビが告げた。次の分岐点まで、あとわずか。地図の隅の名前を見て、指が止まった。


 あの交差点だ。8年前、葵が死んだ交差点。自動運転車が「最適解」を選んだ場所。


 ハンドルを握る手が、一瞬だけ震えた。


 ……くそ。8年経っても、体が覚えている。


 震えを握り潰した。進むしかない。あの交差点で、もう一度だけ天秤を見てやる。


 ルームミラーに流れる夜景。8年前のあの日も、こんな夜だった。サイレンの音。葵の——いや。今は、前だけ見ろ。


 スマホが震えた。技術科からだ。


「一ノ瀬さん! トラックのマニフェスト、掘りました!」


「言え」


「今朝、このトラックは建材を満載して出発するはずでした。なのに出発直前、積荷が全部降ろされてるんです。記録上は『積載物なし』。空っぽで出たんです」


 ……空っぽの20トン。最初から引っかかっていた。


「誰が降ろした」


「そこが、おかしいんです。東都ロジスティクスは半年前に買収されてます。買ったのはペーパーカンパニーで、遡っても実体がない。……半年前ですよ、一ノ瀬さん。こいつ、半年前からこの日を用意してたんです」


 背筋が冷えた。半年。7人の子供と12人の老人を天秤にかけるために、半年かけた。


 ……いや、違う。かけさせるために、だ。


「なあ」俺は言った。「空っぽの20トンに、意味はあるか?」


「え?」


「満載なら、ブレーキの効きは積荷で変わる。だが空っぽなら——制動距離は計算できる。正確に、な」


 電話の向こうで、息を呑む音がした。


「……カイロスは、公平に殺したいんですよ。条件を揃えて、等しく。天秤を、傾けないために」


「ああ、もう一つ」技術科の声が沈んだ。「二つのバスのナビも、掌握されてます。分岐点への到着予定時刻が、秒単位で一致するように調整されてる。……こいつ、条件を完全に揃えたんです。7人と12人、同じ速度、同じタイミング。究極の等量ですよ」


「あ、それと——ブレーキの整備記録があります。昨日、テスト走行してます。こいつ、制動距離を実測してたんですよ」


「……試運転までしたか。念の入れようが、殺人者のそれじゃねえな」


 ムカついた。殺人に公平もクソもない。だがこいつは、殺人さえも「実験」に仕立てる。等量でなければ実験にならないとでも言うように。


 ……公平な殺人。聞いたこともない、吐き気のする言葉だ。


 その時、別の着信。美咲だ。


「一ノ瀬さん。……ダメでした」


 声が、掠れていた。


「配信停止の申し立て、裁判所が却下しました。『国民の知る権利』が優先される、と。80万人が見ているものを、法は止められない——」


 ……法が、負けた。KAIROSの前で、初めて。


「美咲」


「私の信じてきたものが……こんなに脆いなんて」小さく笑った。泣き笑いだった。「父が信じた『証拠』も脆かった。私が信じた『法』も、脆い。……じゃあ、何を信じればいいんですか」


 会議室でのことを思い出した。彼女は言った。「残るのはルールだけです」。そのルールが、今日折れた。


 答えは、出なかった。出るはずがない。俺が刑事になったのは、答えを持っていないからだ。


「……お前が信じてきたもんは、間違っちゃいない」俺は言った。「ただ、相手が悪かっただけだ。法は人間を裁くためにある。神を裁くためじゃない」


「……神、ですか」


「ああ。あいつはもう、神の真似事を始めてる」


「一ノ瀬さん。もし——もし法が止められないなら、あなたはどうするんですか」


「……法の外側で止める。お前が言ったろ。法の届かない場所に立てる人が必要だって」


「……はい。気をつけてください」


「……信じるもんは、後で探せ。今は、前に進むだけだ」


「……はい」


 電話が切れた。バックミラーに映る自分の顔が、ひどく疲れていた。


 スマホを開く。投票画面。数字が、踊っている。


 投票総数、80万突破。


 老人ホームバス——73%。幼稚園バス——27%。


 「老人を犠牲に」が、圧倒的だった。12人の命は、7人の命より重い。数が正義だ。合理的だ。


 コメントが滝のように流れる。「12>7、算数だろ」「子供の未来を守れ」「老人はもう十分生きた」「多数決が民主主義だ」——命が、数字に、数字が"正しさ"に変換されていく。


 画面の隅に、新しい表示が出た。ユキが始めた「民主主義のカウントダウン」。投票終了まで、あと2時間。命の多数決に、制限時間がついた。


 画面の中で、ユキが笑っていた。17歳の"聖女"。カメラに向かって、無邪気に。


「ほら、見て。多数派の人間は、いつも理性的でしょ? みんなで決めれば、誰も悪くないんだよ」


 ……理性的。そうだ、理性的だ。8年前の報告書も、理性的だった。5と1。計算は正しかった。


 正しかったはずなのに、葵は死んだ。


 吐き気がした。画面を閉じた。閉じても、数字は瞼の裏で踊り続ける。73と27。命が、パーセントに変換されていく。


 ……ふざけるな。ふざけるな、ふざけるな。


 ナビを見た。トラックのルート。分岐点まで、あと少し。


 その時、古い記憶が引っかかった。この辺りの、古い地図。ガキの頃、親父の運転する車で何度も通った道だ。助手席で広げた古い地図帳。「ここ、昔は貨物線だったんだぞ」——親父の声が、耳の奥で蘇った。


 まさか、あの地図が役に立つ日が来るとは。親父、ありがとな。……今度は、俺が運転する番だ。


 端末を操作して、古い地形図を呼び出す。20年前のデータ。……あった。


 貨物の廃トンネル。分岐点の手前で本線から外れる、使われなくなった旧線だ。トラックなら、ギリギリ入れる幅がある。


 技術科に電話をかけ直した。「旧貨物線のトンネル、分岐点の手前だ。今も開いてるか」


「……調べます。……開いてます! 封鎖はされてますが、物理的には通れます。ただし——」


「ただし?」


「ポイントが手動式です。20年前のまま。錆びてるかもしれませんが、構造は単純です。レバーを倒すだけ。問題は——」


「問題は、場所だろ」


「……はい。ポイントは本線の真上です。切り替える人間は、トラックの進路に立つことになります。20トンが、時速100キロで」


 言葉が止まった。地図を見た。わかった。


 ……第三の道は、あった。だが、その道には、死ぬ人が一人必要だった。


 その時、ARグラスに文字が滲んだ。


 カイロスの声。今度は、静かだった。


「第三の道はある。——誰かが死ぬ道だ。」


 声は、楽しそうではなかった。確かめるように、静かだった。こいつは、俺が第三の道を見つけることを知っていた。知っていて、待っていた。


 ……わかっていた。こいつは、逃がさない。選ばせない代わりに、選ばせる。


 電車問題は、終わらない。形を変えて、また出題される。


 誰が、死ぬ?


 俺か。美咲か。名もない誰かか。それとも——このハンドルを握る、俺自身か。


 ハンドルを握る手が、汗で滑った。カウントダウンが、赤く脈打つ。


 残り、2時間12分。第三の道は、見えた。だがその先に、誰かの墓標が見えた。

第三の道は見つかりました。でも、その道には「死ぬ人」が一人必要です。廃トンネルのポイントを切り替える人間は、20トントラックの進路上に立つことになる——究極の選択が、また姿を変えました。もしあなたなら、行きますか? A:行く/B:行かない。コメントで教えてください。カイロスは、ちゃんと見ています。評価・ブックマークもお願いします。黒川悠真

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。