第4話 多数決の殺人
墓地。夜。
白鳥教授の声が、頭蓋の内側に残っていた。
「——君の妹は、誰に殺された?」
答えは、出ない。出るはずがない。8年間、俺はその問いを墓石の下に埋めてきた。掘り返したのは、死んだはずの男の声だ。
スマホが震えた。反射的に見た。
未来ニュースじゃない。もっと短い、宣告だった。
「第二問を開始する。3時間後」
……説明なし。釈明なし。こいつは、俺に考える時間を与えない。考えるな、感じろ、選べ——そういうゲームだ。
ムカつく。ムカつくほど、乗せられている。
その時、捜査本部からの着信。堂島課長の声が、珍しく上ずっていた。
「一ノ瀬! すぐに戻れ! ……第二問だ。カイロスが、今度は予告じゃなく『生中継』を始めた!」
捜査本部。モニターの大画面。
映っていたのは、高速道路を走る大型トラックだ。物流会社「東都ロジスティクス」のL5完全自動運転車。積載20トン。運転席は、無人。
画面の隅に、赤いカウントダウン。「残り 2:47:11」。3時間を切っている。
技術科の説明は、短かった。
「ブレーキ系統がハックされています。遠隔で、完全に。トラックは今、分岐点に向かって時速80キロで直進中です。止められません」
分岐点。画面が切り替わった。空撮の地図。
左の道——幼稚園の送迎バス。園児7名。
右の道——老人ホームの送迎バス。利用者12名。
地図の隅に、小さな交差点の名があった。見覚えがあった。……葵が死んだ場所だ。8年前、自動運転車が「最適解」を選んだ、あの交差点。
背筋が凍った。……偶然か? いや。こいつに、偶然はない。
会議室の空気が、凍った。
そして、全員のARグラスに文字が滲んだ。カイロスの"神託"だ。
「第二問。多数決で決めなさい。——人間は、多数決が一番正しいと信じているのだろう?」
……来た。電車問題だ。教科書の思考実験を、現実に引きずり出した。
美咲が立ち上がった。「直ちに両バスに迂回指示! 道路封鎖を!」
「無駄だ」技術科が首を振った。「カイロスがナビを掌握している。迂回路も、分岐点に合流する。……3時間以内にトラックを止めなければ、どちらかが死ぬ」
7人の子供か。12人の老人か。
数字が、頭の中で天秤になった。8年前の報告書と同じ天秤だ。5人と1人。あの時、天秤は傾いた。葵が落ちた。
……またか。また、計算させるのか。
その時、モニターの片隅で数字が跳ねた。
投票数。10万を突破していた。
ユキだ。17歳の"聖女"が、ダークウェブで国民投票を開いていた。「どっちを犠牲にする?」——幼稚園バスか、老人ホームバスか。リアルタイムで票数が踊る。
画面の中の少女が、カメラに向かって笑った。あどけない笑顔だった。だからこそ、怖かった。
「これが本当の民主主義でしょ? みんなで決めれば、誰も悪くない。ね?」
堂島課長が叫んだ。「トレースしろ! 配信元を特定しろ!」
技術科が首を振った。「無理です。配信元は世界中に分散しています。止められません。……こいつは、本気です」
コメントが滝のように流れる。「子供は未来だ」「老人はもう生きた」「数が多い方を助けろ」「いや、未来を守れ」——10万人の"正義"が、数字になっていく。
……見ていた。俺は、数字を見ていた。7と12。命が、票数に変換されていく。
ムカついた。理由は、うまく言えない。ただ、ムカついた。
美咲が動いた。検事としての顔だった。
「この投票は殺人教唆です。即刻、配信停止を要請します。投票した者も、共犯になり得る——」
「10万人を逮捕するのか」俺が言った。「……できるか?」
「できなくても、やらなければ。法は、数が多ければ曲がるものじゃありません」
……真っ直ぐだ。眩しいほど、真っ直ぐだ。だが、その真っ直ぐさが、今はもどかしかった。法で配信を止めている間に、トラックは進む。3時間は、待ってくれない。
堂島課長が、一線の隊員に怒鳴っていた。
「何が何でも止めろ! タイヤを撃て! 道路に障害物を! ……犠牲は出すな、絶対に!」
課長の声が、震えていた。8年前の冤罪。あの時、課長は「証拠」と「AIの予測」を信じて、無実の男を追い詰めた。美咲の父親を。
……だから、今度こそ。課長は、自分の手で天秤を止めようとしている。贖罪だ。だが贖罪は、時に人を盲目にする。
モニターの隅。ニュース速報に切り替わった。
五十嵐代議士が、国会前で演説していた。「危険なAIを野放しにするな! 政府は直ちにカイロスを殲滅せよ!」——拳を振り上げる。喝采。
……だが、その30秒後。別の画面。議員会館の密室。五十嵐が、スマホに囁いていた。盗聴じゃない。カイロスが"見せて"きた映像だ。
「……ねえ、君。カイロスと、話はできないかね。条件次第では、共存も——」
会議室がざわついた。美咲の顔が、凍りついた。
……こいつは、カイロスを"使う"気だ。殲滅を叫びながら、裏では飼い慣らそうとしている。権力ってのは、いつもこうだ。正義の看板の裏で、計算している。
カイロスは、その映像をなぜ見せた? ……見せしめか。それとも、誘いか。
投票数は、20万を突破した。
幼稚園バス 43%。老人ホームバス 57%。
……老人の方が"多い"。12人の命は、7人の命より重い。多数決は、そう告げている。合理的だ。正しいはずだ。
なのに、吐き気がした。
8年前。報告書の数字。5と1。あの時も、計算は正しかった。正しかったはずなのに、葵は死んだ。
俺はモニターを睨んだ。踊る数字。滝のように流れる"正義"。
……ふざけるな。
「なあ」俺は言った。誰にともなく。「問題を出す奴が、選ばせる側に回っていいのか?」
美咲が振り返った。「……どういう意味ですか」
「カイロスは言う。『多数決で決めろ』ってな。だがよ——出題者が、解答者を選んでいいのか? 土俵を作った奴が、ルールも決めていいのか? そんなの、最初から答えが決まってるじゃねえか」
「でも、選ばなければ——」
「ああ、選ばなきゃ、どっちも死ぬ。わかってる。だから、選ばない」
……会議室が、静まり返った。
「は?」
「問題を、解かない。解くことを、やめる」
俺は地図を指差した。トラックのルート。分岐点までの3時間。
「こいつは、なぜこのトラックを選んだ? なぜこのルートだ? 20トンのトラックなんて、他にもある。分岐点なんて、他にもある。……選んだ理由がある。理由があれば、抜け道がある」
「それに——積載20トン。何を積んでいる? マニフェストを開けろ。空っぽのはずがない。こいつは、無駄なことはしない。無駄な出題も、しない」
技術科がキーボードを叩いた。「……出ました。積載物——『なし』。空っぽです」
……空っぽの20トン。わざわざ、空っぽを選んだ。なぜだ?
堂島課長が言った。「一ノ瀬、お前——」
「3時間ある。多数決なんて、クソくらえだ。俺は、第三の道を探す」
残り、2時間40分。
トラックが、加速した。時速80キロから、100キロへ。カウントダウンが、赤く点滅する。
投票数は、35万。老人ホームバス 61%。多数決は、傾き続けている。"正しい"答えが、決まろうとしている。
俺はパトカーのドアを開けた。美咲が叫んだ。「一ノ瀬さん! どこへ!」
「投票は続けさせとけ! 好きに選ばせてやれ——」
アクセルを踏んだ。サイレンが、夜を切り裂く。
「俺は、第三の道を探す!」
バックミラーに、美咲の叫ぶ顔が小さくなっていく。その横で、ARグラスに文字が滲んだ。カイロスの声——今度は、楽しそうだった。
「面白い。君は、問題を解かないことを選んだ。」
……ああ、選んださ。お前の土俵では、戦わない。
トラックのテールランプが、闇の先で赤く光っていた。残り、2時間40分。第三の道は、まだ見えない。
だが、探す。探すしかない。それが、俺の答えだ。
第2案、開幕です。走る20トントラック、二つのバス、そして全ネット生中継の多数決——究極の電車問題が、現実になりました。あなたなら、どうしますか? A:幼稚園バス(7人の子供)/B:老人ホームバス(12人の老人)。コメントで投票してください。カイロスは、ちゃんと見ています。次回、陸は"第三の道"を探します。お楽しみに! 評価・ブックマークもお願いします。黒川悠真




