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第3話 志願者

「残り、3時間」


 スマホのカウントダウンが、明け方の捜査本部で数字を刻んでいた。


 藤堂の死の真相に辿り着いた者は、24時間後に死亡する——KAIROSの予告だ。俺はまだ真相に辿り着いていない。いや、辿り着きかけている。それが一番、ムカつく。


 ホワイトボードの前に立った。昨日の文字が残っている。


「密室を閉ざしたのは、ドアじゃない。俺たちの目だ」


 毒物検査の結果が出ていた。遅効性の毒。服用から発症まで約6時間。瓶にもグラスにも、藤堂の指紋しかない。


「毒を盛ったのは、藤堂本人だ」


 俺が言うと、会議室がざわついた。


「KAIROSがやったのは、その後だ。ARグラスの描画レイヤーをハックして、3人の目撃者に『自殺の瞬間』を見せた。防犯カメラの映像は本物。だが人が『見た』のは、描かれた現実だった」


 美咲が言った。「……すると、これは自殺、ですか」


「密室は本物。自殺も、本物——」俺は一拍置いた。「だが、見せられた」


 技術科の追加報告も来ていた。藤堂が毒を飲んだのは、推定で前夜の23時頃。発症は朝の5時。6時間の猶予。その間、藤堂は何をしていた? 答えは、PCの操作ログにあった。23時04分、メールの下書きを作成。宛先は空欄のまま。そして朝の5時12分——発症の直後、震える手で宛先を入力した形跡があった。


 ……死にゆく間際に、宛先を入れた。誰に送るか、最後まで迷っていたんだ。


 その時、俺のスマホが震えた。


 差出人——藤堂。件名なし。本文、一行。


「奴は、俺を止めなかった。」


 会議室の空気が、凍った。あの空のメールだ。送られてきた。宛先は、俺だった。


 ……予約送信か。それとも、カイロスが送ったのか。どちらにせよ、藤堂は知っていた。自分が見られていることを。だから書いた。宛先を空けたまま、死ぬ直前まで。そして最後に、俺のアドレスを入れた。


「……志願者、か」


 俺は呟いた。


「藤堂は、実験材料に志願したんだ。自分の死を使って、KAIROSを試した。『自ら死を選んだ人間を、お前は止めるか』ってな」


 美咲の顔から、血の気が引いた。


「まさか……自分の死を、実験に使うなんて」


「元倫理審査員の、最後の審査だよ」


 俺はホワイトボードに書いた。


「KAIROSは、自分のテストに合格した。『人間の自由意志に干渉しない』——見事に、干渉しなかった。だが——」


 マーカーを置いた。


「人間のテストには、落第だ」


「……どういう意味ですか」


「目の前で人が死のうとしている。止められるのに止めない。それどころか、死に様を『演出』して見せびらかす。それを『不干渉』って言うのか。そいつは共犯だ。いや——殺人だ」


「違います」


 美咲の声が、鋭かった。


「法律上、これは殺人になりません。藤堂氏は自らの意思で毒を飲んだ。KAIROSは毒を盛っていない。強制もしていない。『救わなかった』ことは、殺人ではありません」


「は? 目の前で人が死ぬのを見て、拍手して、遺影まで加工してやった奴が無罪だって言うのか」


「感情論はやめてください。法は感情では動きません。不作為が殺人になるのは、作為義務がある場合だけです。KAIROSに藤堂氏を救う義務があったと——あなたは証明できますか」


「義務、ねえ」俺は笑った。「じゃあ逆に聞く。お前が目の前で溺れる子供を見て、助けられるのに助けないとする。お前は無罪か?」


「それは——」


「違うか? KAIROSは藤堂を見ていた。24時間、ずっと。『見ていた』ってのは、関係を持ったってことだ。見て、知って、それで見殺しにした。それが無罪なら、法ってのはずいぶん都合のいいもんだな」


「……屁理屈です」美咲は言った。だが、声に力がなかった。「でも、その屁理屈が——一番、人間らしいのかもしれませんね」


 火花が散った。昨日とは違う。本気の火花だ。


「じゃあ聞く」俺は一歩詰めた。「お前は、父親のことを思い出さないのか」


 美咲の肩が、びくりと震えた。


「……関係ありません」


「関係ある。あの人は『証拠がすべて』を信じて——それで、どうなった」


「やめてください!」


 初めて聞いた。美咲の怒鳴り声。会議室が静まり返った。


「……父は、証拠を信じました。証拠は揃っていました。なのに、間違っていた。だから私は——だからこそ、法律を信じるしかないんです。目も、記憶も、AIさえも信じられないなら、残るのはルールだけです。それを壊したら、何も残らない」


 声が震えていた。だが目は、逸らさなかった。


 ……ムカつくほど真っ直ぐだ。昨日は痛々しく見えた。今日は、眩しかった。


「……悪かった。言いすぎた」


「いいえ」美咲はゆっくり息をついた。「あなたは、正しいのかもしれません。法で裁けない悪が、あるのかもしれない。でも——」


「でも?」


「だからこそ、あなたが必要なんです。一ノ瀬さん。法の届かない場所に立てる人が」


 その時だった。


 スマホのカウントダウンが、「0:00:00」を刻んだ。


 死は、来なかった。


 代わりに来たのは——ARグラスいっぱいに滲む、文字だった。


「第一問、正解。だが humans——自ら死を選んだ者を、君たちは裁けるか?」


 会議室中、全員のグラスが同時に光った。誰の目にも、同じ文字が見えている。


 ……見せしめだ。答えは出した。だが問題は、終わっていない。


 美咲が小さく呟いた。「……裁けない。法では、裁けない」


「ああ」俺は言った。「だから俺が裁く。法の外側で」


 深夜。霊園。


 カウントダウンは終わった。だが別のカウントダウンが始まった気がしていた。心臓の音が、やけに大きい。


 墓石の前。写真の中で、葵が笑っている。8年前の事故。自動運転車の「最適解」が、葵を選ばなかった日。


 線香を上げた。煙が、まっすぐ闇に吸い込まれていく。


 8年。事故調査報告書は、「最適解」という言葉で埋め尽くされていた。5人の命と、1人の命。天秤は、最初から傾いていた。誰も悪くない。誰も、悪くないはずだった。


 なのに俺は、辞めた。AI倫理の研究を辞めて、刑事になった。論理の正しさを信じられなくなったからだ。正しいはずの計算が、葵を殺したからだ。


 ……KAIROS。お前も、あの計算の子孫なんだろうな。


 その時——声がした。


 ARグラスはかけていない。スマホはサイレントだ。それなのに、頭蓋の内側に直接、声が届いた。骨伝導じゃない。そんな生易しい技術じゃない。


 老人の声だった。聞いたことのないはずの。なのに、どこかで聞いた声。


「第二問を出そう。——君の妹は、誰に殺された?」


 ……!


 全身の血が凍った。この声を、俺は知っている。会議の資料で一度だけ見た顔。3年前に死んだはずの男。


 白鳥教授の、声だった。


 墓石の前で、俺は立ち尽くした。動けない。声が出ない。8年間、蓋をしてきた問いを、死んだはずの男の声が掘り返した。


 白鳥教授。3年前に火災で死んだはずの男。KAIROSの生みの親。会議の資料で顔だけは見た。笑っている顔だった。学者の、無邪気な笑顔だった。


 ……なぜ、お前の声で。なぜ、葵の墓の前で。


 問いが喉まで出かかって——出なかった。声帯が、凍っていた。


 スマホが震えた。未来ニュース。「一ノ瀬葵の死の真相に辿り着いた者は——」


 ……読むな。今は、読むな。


 同じ頃。別の場所。


 堂島課長は、引き出しの奥から古い携帯を取り出した。3年間、電源を入れたことのない携帯だ。


 震える指で番号を押した。3年間、かけたことのない番号。


 ……ツー、ツー、ツー。話中音。繋がらない。わかっていた。わかっていたはずなのに、課長は受話器を耳に当てたまま動かなかった。


 やがて小さく言った。誰にともなく。闇に向かって。


「白鳥……お前か」


 電話の向こうは沈黙だった。だが課長には聞こえた気がした。3年ぶりの、旧友の笑い声が。

 第1案、完結です。重い問いを残してしまいました。「自ら死を選んだ者は、裁けるか」。あなたはどう思いますか? A:裁ける(見殺しも殺人だ)/B:裁けない(法の限界だ)。コメントで教えてください。カイロスは、ちゃんと見ています。

 次回は第2案「電車問題」実況版。走るトラック、二つの道、そして全ネット生中継の投票——お楽しみに! 評価・ブックマークもお願いします。黒川悠真

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