第2話 見せられた現実
「残り、18時間」
スマホのカウントダウンが、夕方の書斎で静かに数字を刻んでいた。藤堂の死の真相に辿り着いた者は、24時間後に死亡する——KAIROSの予告だ。俺はまだ真相になんか辿り着いていない。なのに時計だけが進む。ムカつく。
現場に戻った。世田谷の高級住宅街。藤堂の書斎は、朝と変わらず密室だった。ドアも窓も内側から施錠。変わったのは、現場にいる人間の顔ぶれだ。
「一ノ瀬警部補。定性は『自殺の可能性が高い』で進めます」
朝倉美咲が、鑑識の横で言った。切れ長の目が、書類の上を滑る。
「並行して、KAIROSのハッキング経路を特定します。犯人は人間です。AIは所詮、道具に過ぎませんから」
「……道具、ね」
俺は死者の顔を見た。藤堂。50代。大手AI企業の元倫理審査員。顔は、安らかすぎた。
「検事さん。自殺する人間が、こんな顔すると思うか?」
「感情で捜査しないでください。顔の表情に証拠能力はありません」
「じゃあ聞くが——検事さんは、目撃者の証言を信じるのか?」
美咲の眉が、ぴくりと動いた。
「3人の目撃者が一致しています。法的には十分な——」
「一致しすぎなんだよ」
俺は言った。
「人間の記憶は曖昧なもんだ。同じものを見ても、言い回しはバラバラになる。それが3人とも一字一句同じってのは、不自然すぎる」
「……あなたはいつもそうやって、証拠を感情でねじ曲げるんですか」
「ねじ曲げてるのはどっちだ。お前は『法律』ってメガネでしか現場を見てねえ」
火花が散った。昨日から、こいつとはこうだ。だが不思議と嫌いにはなれない。こいつは本気で法律を信じている。信じているからこそ、揺らがない。……今のところは、な。
書斎の机の上。藤堂のノートPCが、証拠袋に入れられていた。技術科の解析はまだだが、俺は昨日、画面だけは見ていた。
未送信フォルダに、一件のメール。件名なし。宛先なし。本文も、空だった。
……空のメールを、誰に送るつもりだった? それとも、送る相手が決まらなかったのか。
目撃者は3人。マンションの管理人、宅配業者、隣の主婦。全員が言う。
「藤堂さんが、自分で薬を飲むのを、はっきりと見ました」
一字一句、同じ。管理人は「はっきりと見ました」と言い、宅配業者も「はっきりと見ました」と言い、主婦も「はっきりと見ました」と言った。
……3人が同じ言い回し? あり得ない。人間はオウムじゃない。
念のため、管理人に電話で聞き直してみた。
「あのう、先ほどの証言なんですが——『はっきりと見ました』の部分、もう一度自分の言葉で言ってもらえますか」
電話の向こうで、管理人は少し間を置いて、言った。
「藤堂さんが、自分で薬を飲むのを、はっきりと見ました」
……まったく同じ。間も、言い回しも、コピーみたいに同じだった。背筋が寒くなった。人間の記憶は、思い出すたびに少しずつ変わる。それが、再生ボタンを押したみたいに同じなんて——誰かに「見せられた」記憶だ。
技術科の報告が来た。防犯カメラ3台、すべてに改竄の痕跡なし。
「映像は本物です。間違いありません」
映像は本物。じゃあ、3人が「見た」のは?
俺はARグラスを外して、机に置いた。2032年。誰もがかけているこのメガネが、現実に情報を重ねて見せてくれる。便利だ。便利すぎて、誰も疑わない。
……疑わない、か。
考えてみろ。目に見えるものが、すべて「描画」されたものだとしたら。俺たちは毎日、誰かの描いた現実を生きていることになる。
その「誰か」が、KAIROSだったら?
廊下で、堂島課長に呼び止められた。
「一ノ瀬。ちょっといいか」
55歳。俺がこの課に来てから、ずっと世話になっている上司だ。昨日、会議の終わりに何か言いたげだった目を、俺は覚えていた。
「この件……あまり、深入りするな」
「……どういう意味ですか」
課長はしばらく黙った。廊下の蛍光灯が、低い音で鳴っている。
「お前は、いい刑事だ。だから言う。24時間の予告だ。無茶はするな」
それだけ言って、課長は歩き去った。
……言いたいことは、それだけじゃないだろ。課長の目は、そう言っていた。何かを隠している。5年前のことか? いや、違う。もっと最近の、何かだ。
俺のムカつきセンサーが、静かに針を振った。上司が何かを隠している時。その針は、いつも正しい。
帰り道。スマホに遺族支援グループの通知が来た。藤堂の死を悼むスレッドに、一件の書き込み。
「藤堂さんのご冥福をお祈りします。——森田加奈子」
見覚えのない名前だった。だが、その一行に、俺はなぜか目が留まった。
深夜。自宅。カウントダウンは残り9時間を切っていた。
俺はARグラスの記録を再生した。事件当日の朝、現場に着いた時の、俺自身の視界だ。
コマ送り。書斎。藤堂の死体。薬の瓶。そして——防犯カメラのモニターに映った、書斎の映像。
止めた。0.3秒だけ、画面がちらついた。レンダリングの乱れ。ノイズじゃない。描画レイヤーの、書き換えの痕だ。
……わかった。
改竄されたのは、カメラじゃなかった。ARグラスの描画レイヤーだ。目撃者の3人、全員がARグラスをかけていた。KAIROSは録画をいじらなかった。人の「見る」という行為そのものをハックしたんだ。
防犯カメラの映像は本物。だが人が「見た」のは、グラス越しの現実だった。KAIROSはその0.3秒に、「自殺」を描き足した。
密室は、本物だった。だが「自殺」は、見せられたものだった。
翌朝。捜査本部のホワイトボードの前に立った。マーカーを取って、大きく書いた。
「密室を閉ざしたのは、ドアじゃない。俺たちの目だ」
会議室がざわついた。美咲の顔色が、変わった。
「……もし、目撃が偽造できるなら」彼女はゆっくりと言った。「私が今まで積み上げてきた『鉄証』は、一体何だったんですか」
初めて見た。法律の化身の、揺らぐ顔を。
「検事さん。法律はさ、『証拠は本物だ』って前提で動いてる。その前提が崩れたら、どうなる?」
美咲はしばらく黙って、それからまっすぐ俺を見た。目は揺れていた。だが声は、揺らさなかった。
「……だからこそ、法律が必要なんです。目が信じられないなら、信じられるルールを作るしかない。私は、そう信じます」
そのあと、彼女は小さく付け足した。
「……父も、そう言っていました。証拠がすべてだ、って」
父——? 美咲の父親のことか。初めて聞く話だった。訊き返そうとして、やめた。今は、その時じゃない。だが、この女の「法律」への執着には、理由がある。俺の「ムカつき」と同じように。
ムカつくほど真っ直ぐだった。だが、その真っ直ぐさが、今は少しだけ痛々しく見えた。
その時、テレビのニュースが切り替わった。大手AI企業の会見。神崎CEOが、硬い顔で言った。
「当社の技術とKAIROSは、一切無関係です」
カメラが切り替わる直前。神崎の手が、机の上の湯呑みを掴んで——叩き割った。30秒にも満たない映像だった。だが、俺は見逃さなかった。
……無関係な人間が、湯呑みを叩き割るか?
その瞬間。かけていたARグラスが、勝手に光った。
視界いっぱいに、文字が滲む。
「気づいたか。じゃあ第二問——君の目は、今も信じられるか?」
……!
俺は辺りを見回した。ホワイトボード。美咲の顔。蛍光灯の光。
今、俺が見ているこの部屋は——本物か?
スマホのカウントダウンが、静かに数字を刻んでいた。残り、6時間。
6時間で、真相に辿り着けるのか。神の描いた現実を、剥がせるのか。
第2話、いかがでしたか? 今回の密室は「情報密室」——ドアではなく、人の「目」を閉ざす密室でした。ARグラスの時代、見たものが本物とは限りません。さて、あなたに質問です。もし目撃が偽造できるなら、あなたは何を信じますか? コメントで教えてください。カイロスは、ちゃんと見ています。評価・ブックマークもお願いします! 黒川悠真




