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【2話】人生おにごっこ

ピピピ

じんわりと温かく、守られているような気がする。腕で手繰り寄せ、足でも引き寄せ、得られる安心感を全力で享受する。

ピピピ

勝手に眉間に力が入る。眩しい。ぬくい幸せに潜り込む。

ピピピピピピピピピピピピ

……やばぃ、近所迷惑になる。ねむすぎる。今なんじ?35分。……え?何時!……6時か。よかった。後五分は寝れる。今日なんだっけ。今日の授業どうせ復習ばっかだろうな、寝れるな。あれ、この前吉田くん、昨日相川さん、今日僕?うーわ、今日日直だ。日誌取り行かなきゃ。…今何分。37。まだいける。木曜か、裏門から入ろ…なんで毎週ペットボトルキャップ集めてるの。しかも正門で。通るの気まずすぎるー。遅れられないなぁ

……はぁぁ起きるか

背中を丸め、布団を滑り落としながら座り込む。

「時間早ーい!なんでこんな早くに学校とか行かなきゃ行けないの。誰が望んでんの…」

 独歩の目は眠気と太陽の眩しさでなかなか開くことができない。足元に溜まっている掛け布団からも、敷いてある敷布団からもまだ温かさが伝わってきて、こっちにおいでと呼ばれているようだ。いや、これは呼んでいる。お呼ばれしているのに行かないのは失礼だ。結局独歩は誘惑に負け、亀のように丸まる。

ピピピ。

なんでこんなに辛いのに、みんな朝から働くんだろう。世界中みんなが昼過ぎから動き始めれば、それが基準ではないか。そんなどうしようもないことを考えながら、仕方なく顔を洗う。いざ水を顔に当てれば、多少は負の感情も一緒に流れていくような気がした。視界が鮮明になる。止まることを知らない脳内トークで僅かな元気も使い果たし、朝とは思えない疲れを感じる。いつも通り母はもう出社したみたいだ。母の布団は畳まれ、カーテンが開いていた。畳にはフレッシュな朝日が当たり、淡い黄色にテカっている。朝から発破をかけるような強い夏の日差しから自分を守るようにカーテンを閉めた。 

グルルルル…

お腹すいた。お腹が空かなかったら食費が浮くのに。仕方なくミニキッチンに行けば、母からのメモ。

「おはよう!朝のパン置いておくからね。遅刻せずに学校に行くこと。」

今日も独歩は母からのメモを宝物箱に入れる。母にバレたら恥ずかしいから小さい箱に入れているけれど、もうその箱もメモでパンパンだった。

 独歩の家にはトースターなるものがないので、焼くならフライパンで焼く。でも朝からフライパンなんて使いたくないのだ。これは母も言っていた。なんだか勝手に世界中の総意のように感じながら食パンをそのまま口に入れていれば、もう家を出る時間だった。


―――


独歩は登校が嫌いではないし嫌いでもある。毎日同じルートを通り、変わり映えのしないコンクリートを見ながら歩く。面白さを見出したくても見出せない修行のような時間だが、心を無にできる時間でもあり気楽だ。嫌なことも辛いことも感じなくて済む。しかしそんな独歩でも明確に嫌なときがある。裏門に続く急勾配な坂道を登るときだ。朝からなんで疲れないといけないのか。居眠りしちゃってもこの坂を登らせる学校が悪い。今日も無事?坂の手前に辿り着いてしまった。別に学校なんて行かなくてもいいけどな。

タラタラタラタラと文句を垂れていたらようやく裏門に着いた。

「キャップ回収のご協力お願いします。」

「ありがとうございまーす。」

義務的な声を聞き流しながら、なるべく端を早足に目立たないように通っていく。昇降口に入ってもまだ油断できない。回収している委員の姿が見える。縮こまりながら靴を履き替え、小走りで職員室に向かった。

コンコンコン。

ノックは3回。2回はトイレ。もうくだらないことにしか頭が回らない。

「失礼します。3年4組の今野独歩です。日誌を取りに来ました。普《あまね》先生いますか。」

生徒が扉を開けたのに、いつも先生達は聞こえていないかのように作業をする。

「おはよう。今日の日直は今野か!日誌全部埋めろよ」

「最近の授業は復習ばっかりで書くことがないです。」

「自分で書くこと見つけるの。あと2回しかない定期テストがあるだろ。自分が頑張って勉強していること書いてくれたら、先生嬉しいぞ。」

「うーん。頑張ります」

みんな何を書いているのだろうか。最後のテストで華を咲かせようなんて思わないし。むしろ最後なんだから頑張ってもな。どうせ関係ないし。可愛げのないことを考えていれば、先生の声が降ってきた。

「今野、今日の放課後空いてるか?」

「はい」

「そうか、じゃあ放課後、教室に残っててくれ。先生と進路相談をしよう。」

これだから独歩は3年生になりたくなかった。普先生も嫌いだ。先生が職員室の内に戻っていく。無理ですとも言えず、重い足取りで教室に向かった。


 階段を上がるにつれ、生徒達のざわめきが大きくなる。一日を始めるにはふさわしいエネルギーだったが、今の独歩には鬱陶しく感じられた。なぜだか、背中に重りをつけられているような気がしながらドアを開ければ、一気にざわめきが耳に飛び込んでくる。

「あっ三行日記書くの忘れた!」

「やばい〜漢字帳埋めてない!」

「そんくらい余裕っしょ」

女子三人が大口を開け笑いながら楽しそうに宿題をしている。最前列では、朝から分厚い参考書を開いて勉強している子もいた。最近教室に入るのに勇気がいる。いっそ、誰かに背中を突き飛ばしてもらいたい。窓側の席に目を向ければ、独歩がいつも話している修斗《しゅうと》と空《そら》がいた。いつもならトランプをやっているのに、今日は本を開いている。

「おはよ」

「おはよー。独歩今日早めじゃん。」

「今日日直でさ。嫌だー」

「そうじゃん!朝HR楽しみにしとくわ」

2人ともにやにやしている。なんか、なんとなくむかついたが、グッと堪えた。

「何読んでるの?」

2人が本を読んでいるのなんてほとんど見たことがない。授業で図書館に行った時でも、漫画を2・3ページめくっていた程度だった。

「英単語帳。昨日さ親に塾へ連れてかれてさ、面談させられた。本当に最悪。」

「うちも!最近ずっと勉強しろ、塾行けってうるさいの!今度模試受けろって言われた。最悪すぎるわ。」

「分かる!みんな模試受けてるよとか言ってさ。うちはうち、よそはよそー。」

「ゲームちょーっとしてたら勉強は?とか言ってきてさ、ガチでうるさい」

「高校なんてどっかにいければいいよな!」

「分かるわ。独歩も言われん?」

鞄の肩紐を握る手が強くなる。2人の顔がぼやけていき、同時に2人の存在が邪悪なものに思えてきた。

「うちは言われないかなー。高校なんて近所でいいよな!」

「えー独歩の母ちゃんいいな。交換してほしー」

「てか、独歩は高校決めた?」

「まだ考え中!」

いつもはチャイムギリギリまで話しているが、今日は難しそうだった。泣いたら絶対なんか聴かれる。

「自分、社会のノートまとめ終わってないからさ、ちょっとまとめてくる」

「え⁉︎今日だっけ?何時間目?3時間目じゃん!俺もやばい!」

「先生体調不良とかになってくれないかな」

2人に合わせて笑いながら、独歩は自分の席に座り、完成しているノートを開いた。

 みんなちゃんと勉強しているが、どうせ自分には関係ないことなのだ。授業なんて聞いてやらない。

……2人はどこの高校行くのだろう。


―――

なぜ授業中はあんなにも眠いのに、終了のチャイムが鳴った途端に霧が晴れるみたいに覚めるのだろうか。もし自分も将来の夢を持っていいなら、研究者になって絶対にこの謎を解明する。ぼんやりとしながら帰ろうとした放課後、廊下の向こうから先生が歩いてきた。

「今野」

頭から意識して追い出してた、進路相談を。

「鞄背負っちゃって。忘れてただろ。」

「そんな事ないんですけど、なんかすみません。」

「まぁちょうどいい。そのまま相談室に行こう。」

先生の後をついていく。窓の外を見れば小さなゴミ捨て場の屋根が見えた。コンクリートだし、もしかしたら飛び移ることができるのではないだろうか。忍者にでもなれれば、この進路相談から一瞬で逃げられるのに。階段を一階分ジャンプで降りられればすごい速さで逃げられるのに。うだうだ考えていたら、相談室に着いてしまった。

「入って。」

「失礼します」

先生の対面に座る。いつでもすぐに帰れるよう鞄は足のすぐ横に、ナップサックは膝の上に乗せた。

「今野、最近どうだ?」

「特になにもないです」

「そうか。——各教科の先生からな、今野が疲れているのか寝ていることが多いって聞いたぞ。この時期疲れやすいけど、エンジンをかけなきゃいけない時期だぞ。」

ちょっと気まずい。こそっと寝てたのに。

「勉強して疲れてるのか?まぁ定期テストもあるしなぁ。」

「自分なりに頑張ってはいます。」

「そうか!最後のテストまで内申点に影響するからな、残り少ない回数だけど油断するなよ。

—ところでだけど、やっぱり進路希望は変わらないの?」

「変わらないです。」

「そうか。まぁご家庭でいろいろ事情はあると思う。けど、先生の意見としては高校は行った方がいいと思うよ。今の時代、中学から働き始めて将来も食べていくのは厳しいと思うな。」

「でも高校はお金かかるじゃないですか。」

「そうだけど、みんな進学するし、今野だって一人だけ進路違うの悲しいだろ。親御さんはなんて言ってるの?」

「母も働けって言ってました。」

「そうか。まぁ親御さんの意見も大事だけどな、もう少しよく考えてみてほしい。先生も今野がみんなと一緒に進学できる方法がないか考えるから。どっちにしろ、勉強は最後まで手を抜かないようにな。」

先生が嫌いだ。先生と話していると惨めになる。自分がみんなと違うと思い知らされる。よく考えろ?なにも考えたくない。今友達と一緒にいるのが精一杯だっつーの。先生が嫌いだ。

消化しきれない感情に吐き気を感じながら、相談室のドアを開ける。夏の廊下特有の湿った空気が流れてきた。悶々とした気持ちが重い空気に覆われて余計に惨めになる気がする。外に出れば、梅雨も明けて太陽を思い切り浴びれるようになった。しかし足取り重く、俯いて帰路につく独歩には、晴れている空の美しさは分からない。横を女子3人が駆け抜けていく。臙脂色の校章をつけているし2年生だろうか。いいなぁ、2年のときが一番何も考えなくてよかった。

家に帰れば、いつものように宿題をして、いつものように食パンを食べる。しかし、普段通りに過ごしているのに、なんだか体がだるかった。母に進路について話そうか。でも独歩は母が朝から晩まで働いていることを知っている。自分だけが辛いとたまに漏らす母を知っている。相談したいと書きかけたメモを丸め、ペンを置いた。独歩は二人の布団を敷き、早々に布団に潜った。

はやく、はやく理想郷へ。

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