【11話】やっぱりあそこは理想郷
ピピピ
不快な気持ちになる音から逃げるように寝返りを打つ。寝ている間の無意識な時でさえ逃げるのだから、人間なんて基本、弱虫なのだ。
ピピピ
……ふっと意識が浮かびあがる。朝だ。
意識がスイッチで切り替わったみたいに頭がはっきりして起き上がる。ここ数日スッキリ起きられるようになった。ぐいっと伸びをして部屋を見れば、今日も母さんはいなかった。
さっさと朝ごはん食べて、早めに学校に行こうかな。修斗と空はいるだろうか。3時間目の体育はサッカーだっけ。一緒のチームになれればいいななんて思いながら、食パンを口に詰め込む。
―――
「おはよう!」
軽やかに階段を駆け上り、教室のドアを開ければ修斗がいた。早く来たからか教室には修斗1人しかいない。
「早くね?今日日直じゃないじゃん?」
「早起きしちゃってさ、家にいても暇だから来た!」
「独歩お爺じゃん」
「最近の若者は朝遅いのぉ。だらけとるわ。」
「ほら、おじいちゃん。まだ夜も明けてませんから、もう少し寝ましょうねー」
笑いが止まらない。席を借りて修斗の前に座る。まだここの席の人来てないしいいか。
「修斗も今来たの?教科書詰んでるけど。」
「いんや、30分くらい前に来た。ここで、一子相伝のライフハックを教えてやるよ。教科書6冊詰むとちょうどいい枕になる!」
「今日教科書6冊もいるっけ?」
「置き勉に決まってるだろぉ!俺は母ちゃんに怒られたって置き勉をやめない!」
「最近先生もちゃんと持ち帰れってうるさいよなぁ」
「肩もげるて。教科書にノートにジャージに塾の教材?無理無理無理でーす。」
「あれ?結局塾行き始めたの?」
「行かされている。学生の仕事は勉強だろ?昼も勉強、夜も勉強ってさぁ、俺ら労基駆け込めるって。」
「……一緒に労基行くか!」
「マジ検討中。塾の帰りさ、母ちゃんが迎えに来てくれるんだけど、車の中でもずっと小言言われる。父ちゃんならコンビニ行くかーとか言ってくれるのに。おぉロミオ、私の心の癒しはどこなの?」
修斗はよよよと泣き崩れる真似をする。
ずるいなぁ。
「独歩最近ずっと授業中に寝てるじゃん?やっぱ家でも勉強やらされてる感じ?」
「うーん……一応もうすぐテストだしね。」
「さすがの独歩の母ちゃんでも、そろそろ鬼になる感じよな」
「やだよねぇ……」
朝起きたときの畳まれた布団。1人で食べるご飯。鞄の底に溜まっていくクラス便り。
頭に次々に浮かんでくる。
いいなぁ。
「はよー」
空が教室のドアを開けて入ってきた。手に赤い本を持っていた。
「あれ?今日は揃うの早ない?」
「おいおい、手に持ってるそれなんですかー!俺ら活字アンチ三銃士じゃなかったのかよ!脱退でもする気か?」
「俺だってやりたくてやってるんじゃねー!というか、この本の問題1問も分からないんだけど大丈夫そう?」
「俺もさっぱり分からん。あっ、じゃあさ、これ分かる?なんか[Mike take a picture of us.]ってあってさ。ミケとかタケとかいっぱい出てきて分からん。」
「………分からん。」
「マ、マイクじゃない?最初の単語、たぶん?」
「あーね、マイクか!外国の名前むずい。」
「全員”bro”でいいよなー」
「ヘイ、ブロ!グッモーニン」
「ヨー、ブロ!ナイストゥミーチュー」
変なツボに入り、笑いが止まらない。涙が出てくる。
「ど、独歩、おまえ、涙出てんじゃん」
「笑わせないで!空も出てんじゃんか」
ぽっぺたが痛い。最近楽しいことばっかりだ。
「放課後さ、自習室いかん?俺ら3人なら勉強もできる!塾行くよりずっとマシ」
「ごめん、俺母ちゃんが帰りに迎えにくる。塾まで護送されてる、最近。」
「成仏してください。独歩は?」
「自分は……家で勉強しようかな。教科書とか家だし。テスト勉強したいかも……」
「お、お主…。今なんと申した?テストだと……?」
「うるさい、うるさい、うるさーい。」
「運命からは逃げられないというもの。覚悟せい。」
また笑いが込み上げてくる。
楽しい。……楽しいんだけどなぁ。
―――
家のドアノブに鍵を差し込もうとしたら、違和感があった。
なんだ?
とりあえず鍵を開けてドアノブを回したら開かなかった。
あれ。もう一度差し込んで開けてみる。朝鍵をかけ忘れちゃった?やってしまった!中に誰もいないかなと恐る恐る開けて覗いてみる。
「ごめーん、独歩!おかえり」
中から母さんが出てきた。
「え!?なんでいるの?」
「工場の機械が壊れちゃってね。明日直すから今日は帰っていいって言われて帰ってきたの。」
「珍しいね……」
帰ってきて母さんがいたのなんて、いつぶりだろう。小学校1年生の時にはもういなかった。慣れない環境すぎて変に緊張する。
「早く入ってー、虫入ってくるでしょ。あとただいまは?」
「あ、た、ただいま。」
「はい、おかえり。」
自分の家なのにそろそろ入ってしまう。
「今日学校はどうだった?」
「え、あ、普通……。」
どう答えればいいんだろう。質問にもこの状況にも正解が分からず、とりあえず小さくなりながら正座する。
「ちゃんと朝は遅刻しないで行った?」
「うん、行ったよ。むしろ早く行った。」
「1人で起きれるならもう大人だね。社会に出ても大丈夫だわ」
よかった、よかったといいながら母は水を飲んでいる。
相談してみる?進路のこと。でもな。
「あっ、今日の夜ご飯は母さんが作ってあげる。チャーハンでいい?冷飯あるし。」
「うん、チャーハン食べる。」
「おっけー、冷蔵庫にあるもの全部入れようか。」
そういいながらキッチンに立つ。キッチンに立つ母を見るのは久しぶりだった。なんだか嬉しい。
「あんたは今のうちに宿題終わらせときなさいよ。勉強できるなんて今のうちなんだから。」
「……うん、早く終わらせるね。」
久しぶりに母さんと食事できて嬉しかった。
久しぶりに母さんと話せて嬉しかった。
母さんの風呂の待ち時間もなんだかくすぐったかった。
母さんと自分の布団を敷くときも、いつもよりしわを伸ばして並べた。
進路のことを話せなくてちょっと心残りはあるけど、なんだか心が温かい。
満ちた気持ちで布団に入る。
「母さん明日も早いからね。独歩もちゃんと学校行きなさいね。」
「分かったー」
母さんに返事するのも慣れてきた。
「さっさと寝るよ。おやすみ。」
「おやすみ」
今日は楽しかったな。なんかつま先まで温かいものが詰まってる気がする。布団に潜って笑いが漏れ出る口を押さえる。母はもう寝てるのだから気をつけなくちゃ。そわそわしてしまってなかなか寝れそうにない。
早く、死にたい、あーあ……
隣からぼそっと聞こえてきた。
体が硬くなる。また寝息が聞こえてきた。
急速に全身が冷えてきた。
たまにあるのだ。いつものことだ。母さんも疲れているだけだ。
……早く寝よう。




