92話「日程」
土曜の十八時。
駅前の待ち合わせ場所に、神谷は十五分前から立っていた。
樹里は定刻ちょうどに現れる。
『お待たせしていませんか』
「い、いえ。今来ました」
店は、神谷が選んだ静かな和食屋。
注文が終わり、最初の話題はやはり仕事だった。
「今期の数字、営業部も厳しいですよね」
『ええ。ただ、焦って無理をするより、確実に取れるところから積み上げた方がいい』
樹里は正確に、丁寧に答える。
神谷が個人的な話を振っても、
「休日は何をされているんですか」
『特に何も。休みます』
「京都は楽しかったですか」
『会社の行事なので』
壁ではない。だが、扉でもない。
丁寧な距離が、ずっと保たれている。
料理が半分ほど進んだ頃、樹里が少しだけ息を吐いた。
『神谷さんは、真面目ですね』
「え」
『無駄なことを言わない。仕事の話も的確だ。安心します』
神谷の胸の奥が、熱くなる。
「あ、ありがとうございます……。日高先輩と話せるだけで、十分です」
樹里は一瞬だけ視線を合わせ、すぐに箸を戻した。
『そう言ってもらえるなら、来た甲斐があります』
会計は最終的に樹里が払い、外に出ると夜風が少し冷たい。
『では、こちらで』
「また……日程が合えば、ご一緒できますか」
樹里は短くうなずいた。
『ええ。合えば』
樹里は反対方向へ歩き、神谷はその場に残る。
(……デート、だったのか?)
わからなかった。
でも、また会える可能性が残ったことだけは、はっきりしていた。
樹里は帰り道、特に何も感じない顔をしていた。
ただの食事。
丁寧な部下との、都合の合う時間。
本人がそう思っている限り、神谷の恋はまだ、片側のまま進んでいく。




