85話「疾走」
樹里は、美園の店の前にバイクを停めた。
エンジンを切らない。
美園が扉を開けて出てきたとき、樹里はヘルメットを一つ投げた。
『乗れ』
『わかってる』
美園はエプロンも外さず、コートだけを掴んで後ろに跨る。
二人乗りの姿勢が、昔のままだった。
『場所は』
『送った。古いビルだ』
『陽菜の状態は』
『生きてる。暴れたあと、抑えられてる』
樹里は何も言わず、アクセルを開いた。
夜の道路が、一気に後ろへ流れる。
信号をいくつか無視しそうな速度ではない。だが、迷いのない走り方だった。
美園が後ろから、風に負けない声で言う。
『一人で乗り込むとは、陽菜らしい』
『黙ってろ』
『怒ってるな』
『当然だ』
樹里の背中は、普段の「日高先輩」ではなかった。
総長の背中だった。
交差点を曲がり、川沿いの道に入る。
ビルの灯りが、遠くに見える。
美園が続ける。
『沙月もいるはずだ。観察者のつもりでも、今夜は違う』
『知ってる』
『交渉か』
『最初は交渉だ。無理なら、次を考える』
美園はそれ以上聞かなかった。
樹里の声が、すでに結論を持っていたから。
最後の角を曲がり、目的のビル前で速度が落ちる。
エンジンを切る音が、夜に小さく響く。
樹里がヘルメットを外し、美園も続く。
『行くぞ』
『ああ』
二人は、並んでエントランスへ向かった。
陽菜を取り戻すために。
そして、破られた条件の続きを、終わらせるために。




