83話「全部」
陽菜は、樹里の「触れるな」を一日で破った。
終業後、美園の店の周辺をぶらつく。
沙月が現れるなら、ここか、この近くだと思ったからだ。
案の定、路地の入口で沙月とすれ違った。
『……探してた』
沙月は立ち止まり、面白そうに目を細める。
「櫻井陽菜か。観察対象の周りに、早くも出てきた」
『観察とかどうでもいい。総長に何の用だ。当時の話をしろ』
「本人から聞け」
『本人が言わないから、お前に聞いてる』
沙月はしばらく陽菜を測るように見てから、肩をすくめた。
「いいだろう。面白いし」
近くの公園の明かりの下に移動する。
人通りは少ない。
沙月は煙草も出さず、淡々と話し始めた。
「発端は、お前だ。ヤクザの下っ端を半壊させた。
その結果、Rose girlsが本格的に狙われる話になった」
陽菜の顔が、強張る。
『……それは、知ってる』
「総長の日高樹里は、組に直談判に来た。一人でな。
私は窓口として同席していた」
沙月の目が、少し遠くを見る。
「樹里は暴力を振るわなかった。代わりに、責任の所在と、今後の線引きを明確にした。
潰される側の交渉なのに、主導権を渡さなかった。
組長はそれを気に入った。面白い女だと。認めた」
『認めた、って何だよ』
「生かす判断だ。チームには手を出さない。その代わり、樹里が表から消える。
解散させ、身を引く。それが条件の一つだった」
陽菜の拳が、震える。
『……だから、突然いなくなったのか』
「ああ。お前たちを守るために、自分が引いた。
詳しい条件の全部は言わない。が、骨子はそれだ」
沈黙が落ちる。
陽菜は仰ぎ見るように空を見た。
『……私のせい、ってことか』
「発端はお前だ。だが、選択したのは樹里だ。
お前を責めるために話したわけじゃない」
沙月は続ける。
「私の用は、その女が今どう立ち回るか見ることだけだ。
組長が認めた相手が、本当にただのOLで終わるのか。
根っこが残っているのか。それを見ている」
『総長に近づくな』
「今は近づかない。ただし、お前がこうして出てきたこと自体が、観察材料だ」
陽菜は歯を食いしばった。
『……全部、総長は知ってて、私に言わなかった』
「危険な目に遭わせたくなかったんだろう。お前なら、一人で組に乗り込みそうだからな」
言い当てられて、陽菜は何も返せなかった。
沙月は最後に、短く告げる。
「以上だ。あとは、本人と話せ。私は観察者でしかない」
そう言って、夜の闇へ歩いていく。
陽菜はその場に残り、長く息を吐いた。
発端は自分。
消えた理由は、守り。
黙っていた理由も、守り。
全部つながったのに、胸の奥は晴れなかった。
次に会う樹里に、何を言うべきか。
陽菜には、まだ決まっていなかった。




