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77話「溢れる」

零と凛は、約束どおり二人でカフェに来ていた。

窓際の席。

話題は仕事の話から、京都の思い出、最近のランチの話へ自然に移る。

『柚希さん、前より笑ってるっすね』

「うん。旅行のあと、本当に楽になったみたい」

穏やかな時間だった。

凛がカップを両手で包みながら、ふと視線を落とす。

「……Rose girls」

小さく、呟くような声。

零の手が、止まった。

次の瞬間、持っていたカフェオレが傾き、皿の上に大きく溢れる。

『っ……!』

「大丈夫?」

凛が慌ててナプキンを出すが、零はそれどころではなかった。

顔の色が、明らかに変わっている。

『な、何すか、それ』

「知らないんですか」

『知らないっす。急に何の話っすか』

言葉は否定している。

だが、声の震えも、目の泳ぎも、隠しきれていない。

凛は静かに、零を見た。

「前に、美園さんの背中に見えたんです。薔薇のタトゥーと一緒に。

中井くんも、同じ言葉を知ってる顔をしてた。

で、今の零ちゃんも……明らかに反応した」

零はナプキンでテーブルを拭きながら、視線を合わせられない。

『気のせいっす。自分、詳しい話とか知らないっすよ』

「知らないふり、上手じゃないです」

短い沈黙。

周囲の客の話し声だけが、遠くに聞こえる。

零はようやく顔を上げたが、もう平時の表情には戻っていなかった。

『……凛さん。その話は、しない方がいいっす』

「やっぱり、知ってるんですね」

零は答えなかった。

答えないことが、一番の答えだった。

凛はカップを置き、静かに息を吐いた。

(……零ちゃんも、何か知っている)

確信に変わる。

三人の「普通」の下に、まだ見えない層がある。

凛はその感触を、はっきりと手のひらに残した。

零は会計を済ませ、店を出るまでほとんど口を利かなかった。

帰り道、凛が後ろから言う。

「無理に聞きません。でも、隠すほどなら、大事なことなんですね」

零は立ち止まらず、小さくだけ返した。

『……大事っす。だから、お願いっす』

凛はそれ以上追わず、並んで歩き続けた。

胸の奥の引っかかりは、消えるどころか、より深く沈んでいた。

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