59話「耐性」
樹里が給湯室を出たあと、凛が陽菜に聞いた。
「櫻井さん、日高先輩って、彼氏さんとかいるんですかね。社内でも男性社員から人気ですし」
陽菜はカップを持ったまま、即答した。
『あの人はダメ。恋愛となると、ポンコツだよ』
柚希が目を輝かせる。
「え、どういうこと? 詳しく」
陽菜は面白そうに身を乗り出した。
『極端に男の耐性がないの。普通に話してる分には完璧なんだけど、恋愛感情とか、男女の機微とかになると、とたんにフリーズする』
彩花が「意外と不器用なんだ」と素直に感想を漏らし、凛も「意外です」と目を丸くする。
陽菜はさらに続ける。
『おまけに、処女。経験ゼロ。だからどう接していいか、本人が一番わかってない』
給湯室に、短い沈黙が落ちた。
柚希の顔から、徐々に血の気が引いていく。
陽菜が「どうしたの?」と気づいたとき、すでに遅かった。
後ろに、樹里が立っていた。
表情は静かだった。
静かすぎた。
『……櫻井さん』
低い声。
『ちょっと来い』
『え、待って、説明——』
陽菜の言葉は最後まで続かなかった。
樹里が陽菜の首根っこを掴むと、そのまま給湯室から引きずっていく。
抵抗する間もなく、二人は資料室の方へ消えた。
次の瞬間、フロアの方から鈍い音と、陽菜の悲鳴が聞こえてきた。
「痛っ! 待って! 事実だからって……! いたぁっ!!」
しばらくして、その声は悲鳴から、断末魔めいたものに変わった。
「ひっ……! ま、待って……! もう……言わない……! うぐっ……!!」
最後の方は、ほとんど言葉になっていなかった。
柚希が青ざめた顔で呟く。
「……今の、聞かれてたやつだよね」
彩花は腕を組んだまま、遠くを見た。
「……巻き込まれなくてよかった」
凛は静かに手を合わせ、目を閉じた。
「……ご冥福をお祈りします」
フロアには、しばらくの間、鈍い音と陽菜の断末魔がこだまし続けていた。




