55話「穴と来客」
昼休み、給湯室。
樹里が髪を結い直しているとき、柚希がふと目を止めた。
「日高先輩、耳……穴、多いですね」
樹里の手が、わずかに止まる。
『……昔、ちょっと開けすぎました』
淡々とした答え。
陽菜が横で「そうなんだー」と適当に相槌を打つ。
柚希は「へえ、意外」と目を丸くしたが、それ以上は聞かなかった。
彩花は黙ってそのやり取りを聞き、内心で(……そういうのもあるのか)と思っただけだった。
樹里はすぐに髪を結び終え、いつもの表情に戻る。
『では、仕事に戻りましょう』
小さな話題は、そこで終わった。
だが、陽菜だけは樹里の横顔を見て、短く息を吐いた。
(……まだ、残ってるんだな)
その夜。
スナック【Rose】に、樹里と陽菜が顔を出していると、ドアが開いた。
東雲零だった。
『あ、総長……陽菜さん。お疲れ様っす』
零は相変わらず少し縮こまりながら、カウンターに座る。
美園が水を出す。
『珍しいね。今日は何の用?』
『特に用ってわけじゃないっす。近くまで来たので』
陽菜が笑って言う。
『そんなに緊張しなくていいよ。もう昔の話でしょ』
『それが、難しいっす……』
樹里は酒を一口飲んでから、零を見た。
『ここには、元のメンバーしかいない。そんなに固がらなくていい』
零が目を丸くする。
『……え』
『余計なことを外で話すな、というのは変わらない。
でも、ここにいる間は、普通にしてろ』
『は、はいっす……』
零は少しだけ肩の力を抜いた。
陽菜が面白そうに言う。
『総長も、たまにはそうやって言ってやれよ』
『うるせえ』
美園がくすっと笑う。
『まあ、店にいるのはあたしたちだけだしね。零も、もう少し楽にしな』
零は恐る恐るうなずき、以後はバイクの話やガススタの近況を、少しずつ普通の口調で話すようにした。
樹里は酒を傾けながら、零の様子を一瞥した。
『……まあ、いい。お前はお前の生活をしろ』
『はい……』
零は安堵したように息を吐き、以後は普通の客として店にいた。
小さなピアスの穴の話と、過去を知る人間の来店。
どちらも、大きな波乱にはならなかった。
ただ、二人の「普通」が、まだ完全には定着していないことを、静かに示す夜だった。




