50話「本音と武勇伝」
懇親会も終盤に差しかかった頃、神谷はほろ酔いの顔で樹里の近くに来た。
「日高先輩……本当に、すごい人ですね」
樹里は酒を手にしたまま、曖昧に返す。
『そうですか』
「仕事もできるし、落ち着いてるし……。
それに、綺麗です」
樹里の手が、わずかに止まった。
「俺なんかが近づいていい人じゃないって、わかってるんです。
でも、どうしても目で追ってしまう。
日高先輩が笑うと、こっちまで嬉しくなるし……」
酔っているせいで、普段なら絶対に出さない言葉が、ぽろぽろと漏れる。
樹里はいつものように流そうとしたが、酒が入っているせいか、言葉がうまく出てこない。
『……神谷さんは、ちゃんとやれています。それだけで十分です』
「それ、優しさですよね。わかります」
神谷は嬉しそうに、少し悲しそうに笑った。
陽菜が遠目にその様子を見て、口元を手で覆う。
(あ、困ってる。総長、酔ってるから逃げられてない)
結局、神谷はそれ以上深追いせず、自分の席に戻っていった。
樹里は残された酒を見て、小さく息を吐いた。
その後、黒澤部長が大きな声で切り出した。
「お前らも聞け! 俺も昔は結構やった方でな!」
大広間が、微妙な空気になる。
「学生の頃、深夜に友人とラーメンを食べに行ったら、店の前で警官に声をかけられたことがあってな。
『こんな時間に何をしてる』って。
いや、ただラーメン食いに来ただけだって説明したら、注意されて帰されたんだ」
中井が真面目な顔でうなずいている。
「すごいですね……」
陽菜が真顔で呟いた。
『それ、武勇伝って言うんですかね……』
柚希が吹き出し、凛が「部長、それは……」と困った顔をする。
彩花は肩を震わせて笑いを堪えていた。
樹里は何も言わず、ただ酒を飲んだ。
(……やっぱり、しょぼい)
部長は上機嫌で、さらに「自販機の前で立ち話してたら警官が来た」「夜道を歩いてたらパトロールに職務質問された」などのエピソードを披露し続けた。
内容はどれも、注意された、帰された、怒られなかった、程度のものだった。
その夜、大広間は奇妙な熱気に包まれていた。




