46話「舎弟」
中井翔が陽菜に懐き始めたのは、入社して間もなくのことだった。
総務の新人で、仕事は真面目だが、少し気が弱い。
なぜか陽菜に頼まれると、断れない。
「中井くん、これコピーお願い」
「中井くん、ちょっとこの資料まとめておいて」
「中井くん、代わりに電話してきて」
陽菜は明るく、遠慮なく頼む。
中井は「はい!」と勢いよく引き受け、走っていく。
周囲はすでに気づいていた。
柚希が面白そうに囁く。
「ねえ、中井くん、完全に櫻井さんの舎弟になってない?」
凛が苦笑する。
「……本人、嫌そうじゃないですし」
ある日の午後。
陽菜がまた中井に荷物を持たせているところを、樹里が見てしまった。
『櫻井さん』
低い声。
陽菜が振り返る。
『はい?』
『人を都合よく使うのは、やめなさい』
『え、でも中井くんがいいって言うし』
『お前が頼むと、断りにくいだろう』
中井が慌てて首を振る。
「い、いえ! 僕は全然嫌じゃないです! 櫻井さんに頼まれると、やる気出るので!」
樹里は額に手を当てた。
『……そうですか』
陽菜は中井の方を向き、明るく笑った。
『中井くん、えらいえらい。ちゃんとやってくれて助かる』
そう言って、陽菜は中井の頭を軽くよしよしと撫でた。
中井の顔が、一瞬で真っ赤になる。
「あ、ありがとうございます……! 僕、頑張ります……!」
喜んでいるのが、見ただけでわかる反応だった。
陽菜が満足そうに手を振ると、中井は名残惜しそうに一礼して、自分の席に戻っていった。
樹里が陽菜を見る。
『本当に、人たらしだな』
『才能だよ、才能』
陽菜はそう言って、明るく笑った。
樹里はそれ以上何も言わず、自分のデスクに戻った。




