45話「お礼」
高村さんの息子が会社に現れたのは、平日の終業間際だった。
受付から連絡を受けた樹里が、応接スペースへ向かう。
陽菜も「様子見たい」とついてきた。
息子は制服姿の高校生で、姿勢を正して深く頭を下げた。
「この前は、本当にありがとうございました。母から話を聞いて……直接お礼を言いたくて」
樹里は穏やかに手を振る。
『気にしないでください。当然のことをしただけですので』
息子は何度も頭を下げ、感謝の言葉を繰り返した。
その様子は真摯で、樹里も陽菜も特に悪い気はしなかった。
ちょうどそのとき、廊下を通りかかった凛が、樹里に書類を渡しに来た。
「日高先輩、これの確認をお願いします」
『ありがとう』
凛が軽く頭を下げて戻ろうとした瞬間、息子の動きが止まった。
目が、凛に釘付けになっている。
顔が、みるみる赤くなっていく。
「あ……あの……」
何も言えない。
ただ真っ赤になって、その場に固まっている。
凛は不思議そうに首を傾げた。
「……何か?」
「い、いえ……何でもないです……!」
息子は慌てて視線を逸らし、もう一度深く頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました……!」
そう言って、逃げるように会社を出て行った。
後で、給湯室。
陽菜が樹里に小声で言う。
『今の子、凛ちゃんに一目惚れしてたよ』
『……そうか』
『顔、真っ赤だったし。高校生だよね』
樹里は短く息を吐いた。
『深入りするな』
『しないけど。ほろ苦いね』
陽菜は面白そうに笑い、樹里はそれ以上何も言わなかった。
一方、凛は自分の席に戻りながら、首を傾げていた。
(さっきの人、どうしてあんなに慌ててたんだろう)
気づいていない。
本人だけが、完全に気づいていなかった。




