27話「一人」
遠藤凛が、一人でスナック【Rose】のドアを開けたのは、仕事終わりの金曜日だった。
特に誘われたわけではない。
前回、神谷さんたちと来たときに「悪くない」と思ったのが、理由のほとんどだった。
カウンターの奥で、美園がグラスを拭いている。
『あら。一人?』
「はい。今日は、ちょっと寄ってみようかなって」
『どうぞ。好きな席に』
凛は前回と同じ位置に座り、ビールを頼んだ。
美園は黙って注ぎ、凛の前に置く。
『会社、忙しかった?』
「普通です。月末なので、少しだけ」
『真面目な返事だね』
美園が面白そうに目を細める。
凛はグラスに口をつけながら、店内を見渡した。
客はまだ数人しかいない。テレビの音が小さく流れ、氷の鳴る音が時々聞こえる。
(……やっぱり、変な店だ。でも、落ち着くな)
美園がカウンターに肘をついて、聞いた。
『彼氏、まだいないの?』
「はい」
『お酒、強くなった?』
「少しだけ、慣れてきたかもです」
『いいね。そういうの』
美園はそう言って、自分の分の水を口に含んだ。
しばらく、二人の間に沈黙が落ちる。
居心地の悪いものではなく、ただの空白だった。
凛が、思い切って口を開いた。
「あの……ここ、忙しい時期とかあるんですか?」
『あるよ。ボーナスの後とか、週末とか。一人じゃ回しきれないこと、結構あってね』
「そう、なんですね」
美園は凛の顔を見て、少しだけ首を傾げた。
『もしかして、飲み屋さんのお仕事、興味ある?』
凛が慌てて手を振る。
「いえ、そんなつもりじゃ……ただ、気になっただけです」
『そう』
美園は深入りせず、ただ笑った。
『また来な。一人でも、誰かとでも』
「はい」
凛は小さく頭を下げた。
その夜、凛は家に帰りながら思った。
(……次も、来ていいかも)
特に深い理由はなかった。
ただ、あの店の空気が、悪くなかっただけだ。




