26話「アネモネ」
陽菜と零は、駅前のカフェで昼ごはんを食べていた。
零は最初から姿勢が良すぎた。
メニューを見る手も、水を飲む動作も、どこか硬い。
『そんなに緊張しなくていいよ』
陽菜が笑って言うと、零は慌てて首を振った。
『い、いえ……緊張とかじゃなくて、その……』
『零、あたしの前だと未だにビビってるでしょ』
『……少しっす』
陽菜はくすっと笑った。
『もう昔のことだよ。今さら怯えなくてもいいって』
『それが、難しいっす……』
零は小さく息を吐き、ようやく肩の力を少しだけ抜いた。
食事は意外と和やかに終わった。
陽菜が昔のどうでもいい話をいくつかして、零が「すごいっすね……」と素直に反応する。
ただ、零の視線は時々、陽菜の目元を窺うように動いていた。
食後、二人は特に目的もなく街を歩いていた。
人通りの多い通りを抜けたあたりで、陽菜がふと足を止めた。
向かい側から、一人の女性が歩いてくる。
黒髪をまとめ、薄いメイク。
一見すると普通の人だが、目つきだけが違う。
女性もまた、陽菜を見て足を止めた。
『……Rose girlsの副総長じゃねえか』
低く、はっきりした声。
零が陽菜の少し後ろに回り、無意識に身を固くする。
陽菜は肩をすくめた。
『久しぶりだね、まどか』
鈴原まどか。
かつての敵対組織「アネモネ」の元総長だ。
まどかは陽菜を上から下まで眺めて、短く息を吐いた。
『生きてたか。お前の総長は?』
『知らない』
『嘘つけ』
まどかはポケットに手を突っ込み、少しだけ声を落とした。
『お前の総長が消えた理由、少しだけ聞いたことある。
全部は知らねえけどな。相当、面倒なやつに噛まれたらしい』
陽菜の目が、わずかに細くなる。
『……誰に』
『そこまでは知らねえ。ただ、普通の因縁じゃねえとは聞いた。
お前も、あんまり深入りしねえ方がいいんじゃねえか』
まどかはそれ以上何も言わず、肩をすくめて歩き出した。
『じゃあな。次に会うときは、もう少し平和な話をしようぜ』
陽菜はしばらく、まどかの背中を見ていた。
零が小声で聞く。
『……大丈夫っすか』
『ああ。大丈夫』
陽菜はそう答えながらも、表情は戻っていなかった。
その夜。
スナック【Rose】。
陽菜はカウンターに座るなり、美園に話した。
まどかと会ったこと。
樹里が消えた理由について、片鱗だけ聞かされたこと。
美園はグラスを拭く手を止めなかった。
『……そう』
『美園さん、知ってるでしょ』
陽菜がストレートに聞くと、美園は小さく息を吐いた。
『知ってる』
『なんで言わないの』
『今はまだ、知らないフリをしておいてあげて。
総長が自分で話すまで、無理に聞く必要はない』
陽菜は唇を噛んだ。
『納得、できない』
『わかってる。でも、今は従って』
美園の声は、優しくて、揺るがなかった。
陽菜はしばらく黙っていたが、やがて小さくうなずいた。
『……わかった。今は、知らないフリする』
美園はそれ以上何も言わず、陽菜のグラスに酒を注いだ。
陽菜はそれを受け取りながら、心の中で繰り返した。
(……総長が、自分で話すまで)
それが、どれだけ先のことなのかは、わからなかった。




