2話「新しい部署」
入社2日目。
陽菜は自分のデスクに座り、配られた書類の束を見つめていた。
営業部事務。
主な仕事は、営業担当のサポート、契約書の確認、顧客データの入力、来客対応。
特別に難しいことはないが、とにかく細かい。
隣の席では、樹里が淡々と仕事を進めている。
黒のベストに白いシャツ。姿勢も表情も崩さない。
昨日の廊下でのやり取りが嘘のように、完璧な「日高先輩」を装っている。
陽菜は思わずその横顔を見てしまった。
(……本当にあの人、なのか?)
午前の仕事が一段落した頃、陽菜は給湯室にコーヒーを淹れに行った。
中にいたのは、樹里だけだった。
二人きりになる。
陽菜はドアを閉めながら、小声で切り出した。
『総長、完璧に馴染んでるね』
樹里はカップを持ったまま、ちらりと陽菜を見る。
『当たり前だ。何年やってると思ってる』
『でも、なんかすごい。誰も疑ってない感じ』
『疑われないようにやってるだけだ』
陽菜は自分のカップに湯を注ぎながら、続けた。
『あたし、まだ信じられてない。総長がこんな普通にOLやってるなんて』
『信じろ。でないと、お前が余計なこと言い出す』
『しないってば』
『しそうな顔してる』
『してない』
樹里は小さく息を吐き、給湯室を出る前に短く言った。
『声は出すな。ここでは日高だ』
『わかってるよ』
二人は時間をずらして給湯室を出た。
その後、部署に戻ると、徐々に他のメンバーが動いていく。
眼鏡をかけた後輩の遠藤凛が、資料を持って陽菜の席に来る。
「櫻井さん、ちょっと確認お願いできますか」
『あ、はい』
少し離れた席からは、樹里の同期・森下彩花が、意味ありげな笑みを浮かべてこちらを見ていた。
午後になり、黒澤部長が部署をひとしきり見回してから、樹里の席に声をかける。
「日高さん、新しい子の教育、頼んだぞ。俺は昔から人を見る目には自信があってな」
『はい、わかりました』
樹里は丁寧に答える。
陽菜は「この人、なんか語りたそうだな……」と感じつつ、黙っていた。
その後、営業から戻ってきた滝本英司が陽菜のデスクに近づいてくる。
「櫻井さん、ですよね? なんか困ったことあったら言ってくださいよ。俺、けっこう頼れるんで」
『あ、はい。ありがとうございます』
陽菜は明るく答えつつ、内心で「この手のタイプ、得意だな」と思った。
樹里がそれを横目で見て、何も言わずに視線を書類に戻す。
その様子を、さらに別の席からチラチラ見ているのが神谷悠真。
地味めで、いつも少し慌てている。なぜか樹里の方向ばかり見ている気がする。
そして早川柚希は、すでに陽菜の席の近くまで来ていた。
「ねえねえ、櫻井さん。日高先輩ってさ、前からあんな感じなの? なんか昨日から、二人の空気が気になって」
『えっ、普通だと思いますけど……』
陽菜が曖昧に笑うと、柚希は「ふーん」と意味ありげに首を傾げた。
(この子、絶対に噂好きだ)
陽菜は心の中でメモを取る。
一日が終わりに近づく頃、陽菜は自分のデスクで小さく息を吐いた。
新しい部署。
新しい人間関係。
そして、隣にいる「日高先輩」。
誰も過去を知らないはずなのに、なぜか落ち着かない。
樹里が席を立ち、陽菜にだけ聞こえる声で短く言った。
『今日はこれで終わりだ。変なことするなよ』
『……してない』
『してそうな顔してる』
『してないってば』
樹里はそれ以上何も言わず、先に帰り支度を始めた。
陽菜は残った書類を眺めながら、思った。
(……これから、どうなるんだろ)




