1話「足りないもの」
かつて、Rose girlsというチームがあった。
立ち上げたのは三人。
総長は樹里。あたしは副総長をやっていた。
もう一人は、誰からも信頼を集めていた美園さんだ。
チーム名に合わせて、薔薇の刺繍をあしらった特攻服を揃えたのを、今でも覚えている。
毎日のようにバイクを走らせ、喧嘩に明け暮れる日々。
華やかさなんて微塵もない。ただ泥臭くて、熱くて、騒がしい時間。
それでもあたしにとっては、それが全てだった。
ある日、総長が突然いなくなった。
前触れも理由もなしに、消えるように姿を隠した。
誰も何もわからなかった。
美園さんは、解散について一言も触れなかった。
ただ静かに、受け入れるように黙っていた。
あたしは諦めきれず、残ったメンバーをかき集めてチームを再開させた。
けれど、うまくいくはずもなかった。
陽菜は、残ったメンバーの前で短く告げる。
『……解散する』
誰もすぐには口を開かない。
狭い部屋に、陽菜の声だけが落ちる。
『総長がいない。美園さんがいない、それだけで何もかも足りない』
視線を落としたまま、続ける。
『それに、私はあの2人みたいな、組織を束ねられるような器じゃない。
いくら頑張っても、あそこには届かない』
誰かが何か言おうとしたが、陽菜は首を横に振った。
『もういい。終わりだ』
解散してからの陽菜の生活は、正直なところ自堕落だった。
昼過ぎまで寝て、起きてもやることがない。
夜は適当に誰かと遊び歩き、朝方に帰ってまた寝る。
樹里のことが頭をよぎりそうになると、すぐに打ち消した。
考えても仕方がない。もう終わった話だと思おうとしていた。
そんな折、姉から電話がかかってくる。
「島川不動産、求人出てるよ。家からも近いし、事務職で未経験でも大丈夫らしい。いいんじゃない?」
陽菜は深く考えなかった。
流れで応募し、合格した。
入社初日の朝。
鏡の前で制服に袖を通しながら、陽菜は小さく息を吐く。
誰も自分の過去を知らない。
ここでは、ただの新人だ。
総長も、副総長も、Rose girlsも関係ない。
新しい自分として、普通にやっていけばいい。
そう思おうとしていた。
営業部に案内された瞬間、陽菜はそこで樹里を見た。
黒のベストに白いシャツ。髪は綺麗にまとめられ、表情も穏やかで、誰が見ても優秀な先輩OLにしか見えない。
だが、目だけは、あの頃のままだった。
陽菜の口が、勝手に動く。
『……総長?』
声は小さかったが、樹里には届いた。
樹里は一瞬だけ目を細めた後、すぐにいつもの穏やかな顔へ戻す。
『人違いですよ』
完璧な否定だった。
黒澤部長が「日高さん、ちょっと案内してやってくれ」と言う。
樹里は無言で陽菜を連れて、通路へ歩き出した。
誰もいない廊下に出た瞬間、樹里が振り返る。
『バカ! いきなり『総長?』じゃねえよ!』
『だって! 今の人を○すような目、総長以外にいないでしょ!』
『するかよ、そんな目』
『するって! 総長、キレそうな時って絶対ああいう目になるじゃん!』
樹里は額に手を当てて、短く息を吐いた。
『……ここでは日高だ。総長でも何でもない。わかったな』
『わかってるよ。でもびっくりしたんだよ!』
陽菜は壁に背中を預ける。
『姉ちゃんに勧められただけ。本当に偶然だよ』
樹里の動きが、そこで止まった。
『……姉ちゃん?』
『うん。『島川不動産いいんじゃない』って』
樹里は虚空を見つめ、低く呟く。
『あのクソ女……図りやがったな』
『え、姉ちゃんのこと知ってるの?』
『同級生だ。余計なことしやがって』
陽菜の声が、思わず大きくなる。
『は!? 同級生!? 姉ちゃんと総長が!?』
『バカ! 声がデカいんだよ!』
樹里に慌てて制され、陽菜は口を押さえた。
しばらくして、樹里が声のトーンを落とする。
『お互い、過去のことはここでは一切出すな。誰にも言わない。聞かれても知らないで通せ。いいな』
『……機密条約ってやつ?』
『そうだ。破ったらただじゃ済まさないからな』
『わかってるよ。こっちだって、今更言いたくないし』
樹里は短くうなずき、先に歩き出した。
『仕事に戻るぞ』
陽菜は少し遅れてついていきながら、心の中で思う。
(……やっぱり、総長だ)




