15話「交渉」
東都ハウジングの会議室。
陽菜は明るく微笑みながら、資料をテーブルに置いた。
『本日はお時間いただき、ありがとうございます。島川不動産の櫻井です』
岡田はいつものように、少しだけ上から目線で顎をしゃくった。
「ああ、新人の。今日は日高さんじゃなくてお前が来たのか」
『はい。前任の件も把握しておりますので、問題なく進められるかと』
樹里は少し離れた席に座り、黙って二人のやり取りを見ている。
口は挟まない。ただ、そこにいるだけだった。
商談は最初、表面上は平和に進んだ。
だが、中盤で岡田がいつもの調子を出し始めた。
「遠藤さんや早川さんにも言ってるんだが、もう少し要領よくやってくれないと困る。
可愛いだけで仕事が雑だと、こっちも困るんだよ」
陽菜の手が、資料の上で止まった。
笑顔は崩れていない。
でも、目の温度が、わずかに変わった。
『岡田さん』
『さっきから、遠藤や早川にだけ、そういう言い方をされますよね』
岡田が眉を上げる。
「は? 事実を言ってるだけだろ」
『男性の営業担当の方には、同じこと、言わないですよね?』
陽菜は首を傾げて、穏やかに続けた。
『これ、上の方に報告した方がいい内容だと思いますか?』
その言葉で、岡田の顔が一気に赤くなった。
「ああん? 舐めた口聞くなよ、お前」
声を荒げて、机に手をつく。
「新人の分際で、俺に説教する気か? いい気になるなよ!」
会議室の空気が、一瞬で張り詰める。
陽菜は動かなかった。
笑顔も、ほとんど崩していない。
ただ、目だけが、完全に変わっていた。
短い沈黙。
岡田が何か言い足そうとしたとき、陽菜が静かに口を開いた。
『岡田さん』
低く、落ち着いた声。
『今の言葉、そのまま上に伝えてもいいんですか?
それとも、今日のやり取りを全部記録に残した方がいいですか?』
岡田の勢いが、ぴたりと止まる。
陽菜はゆっくりと資料を手元に引き寄せ、明るく言った。
『今日の件、念のためメモ取ってますね。
後で社内で共有するかもしれないので』
それ以上、岡田は何も言えなかった。
声を荒げた自分が、急に恥ずかしくなったように、黙って座り込む。
樹里は最後まで黙ったまま、ただその場に座っていた。
それだけで、十分に空気を重くしていた。
商談は、予定より早く終了した。
帰り際、陽菜は樹里の横を歩きながら、小さく息を吐いた。
『……やりすぎたかな』
樹里は前を向いたまま、短く返した。
『お前にしては、よく抑えた』
陽菜は少し驚いたように樹里を見て、それから小さく笑った。
『褒められた』
『褒めてねえ』
『褒めてた』
『褒めてねえっつってんだ』
二人は並んで、夕暮れの道を歩いていった。




