ドナ・スカーレットの嘆息
広大な盆地に、おびただしい数の幕舎が並んでいた。
近くの茂みが揺れ、気配があらわれる。報告の声が聞こえ、わずかに首を動かすと、ふたたび茂みが揺れ、気配が消える。それが繰りされた。報告が積みあがるために、陰鬱な気分がこみ上げてきた。耳を疑いたかった。だが、長年行動をともにしている麾下の報告に間違いがあるはずがなかった。とにかく、いつもの通り、わずかに首を動かしつづけた。幕舎にはなった麾下一五〇。報告者の小隊長三〇。ふたたび茂みが揺れ、その三〇番目の気配が消えた。
まわりに誰もいないことを確認すると、ドナ・スカーレットは、肩を落とし、大きく嘆息した。考えても仕方のないことだった。踵をかえし、感覚を研ぎ澄ませながら、林のなかを駆ける。我慢をしても、駆けながら何度かため息がもれた。
林をぬけると、国を一望できると言っても過言ではないほどの広大な景色が広がっていた。
魔法の国は、城を頂点とした、広大な丘陵である。城壁から、最終防壁、第二防壁と下り、第三防壁の前に広大な広場、その先に城下町。さらに防壁を経て、海岸沿いの街がある。魔王軍二万。第三防壁前の広大な広場に布陣していた。第二防壁の端から広場前の布陣を見下ろし、ドナはふたたび嘆息すると、グローバルで幹部たちへと通信をつないだ。
《ドナ・スカーレットから、魔王軍幹部へ報告いたします》
返答はない。
接続はまちがいない。
《事前確認による魔法の国兵二〇万。うち、十九万が、幕舎にて、生まれてきたことを後悔しながら、毛布をかぶっています。一万の行方は現在確認中です》
ドナ、もう一度言ってくれ。魔王の声がそう響いてきた。一字一句変えずに、ドナはふたたび報告をあげた。それからは、わかった、と返ってきただけだった。
建物。木。防壁。陰を伝いながら、丘陵を下っていく。ほとんど気配もなく、十名の麾下背後をついてくる。前方の布陣から轟音が響き、数十、兵が舞い上がった。数十メートルほど舞い、ふたたび布陣のなかに落ちる。ドナが広場につくまでに、それが十数回くり返された。
陰鬱な気分を抱えながら、広場に入った。
兵が道を開ける。布陣はくずれている。兵数千名の大きな輪ができている。その中心で、魔王しきるが、兵や幹部を、光り輝くメガホンで宙へ突きあげていた。
「おやめ下さい。全軍と決まったわけではないのですから」
そう声をかけながら、ペルソナーレが、暴れまわる魔王のあとを追いかけている。
魔王が攻撃をやめ、振りむいてきた。
「ドナ!」
直立した。
「は、はい!」
「どうなんだ。全軍ではないのか」
「い、一万は、攻勢に出てくる可能性が、十分に、あるかと」
考え考え言った。
「十九万は」
いやな質問だった。一部は自分の目で確かめている。あのダウナーっぷりは偽装ではないと判断した。変えるわけにはいかない。変えれば色々おかしなことになってしまう。
「十九万は、攻勢に転じる可能性があるのか、ドナ」
「現状ではありえません」
仕方ないので即答した。魔王が怒り肩で、ふたたび兵へむかう。その進路を、ペルソナーレが断った。両手を広げている。
「おやめ下さい。そんなに暴れたいのなら、私が、この私が相手をしましょう」
「ほう。面白い」
魔王の口の端が釣り上がった。
メガホンを振り上げる。
「待ってください!」
ペルソナーレの前に、マスカレーネが飛び出してきた。
「やるなら私を。兄は……兄はからっきしなんです!」
ペルソナーレがマスカレーネの前に出る。
「例え、例えからっきしだとしても、たとえ一瞬でも、魔王様の慰撫の糧になれるのなら……いや、ちょ待っベリっ」
横薙ぎのメガホンで、ペルソナーレが吹きとんだ。
魔王が片手を腰にあて、もう片手のメガホンで肩を叩きながら、首をかたむける。
「興ざめもいいところだ……。城へ進軍する……」
何かが、頭上の日差しをさえぎった。
見上げる。
黒い点。
直射日光で見えない。
魔王様。
誰かが叫んだ。
ドナは地を蹴った。
銀髪の、銀武具の女。急降下している。体内活性を全力で引き上げた。間に合わない。しきるがようやく頭上を見上げた。速い。通常の落下速度ではない。とんでもなく速い。何かをしきるへむけまっすぐに突き出している。しきる。メガホンを額に当てている。逆光で見えないのか。ちがう。笑っている。
耳をつんざく金属音が、広場に響きわたった。




