【書籍化告知SS】陛下は子どもが苦手?
『娘は陛下の眠りを守る』改め『墓守OLは先帝陛下のお側に侍る』、おかげさまで2018年2月下旬にJパブリッシングさんのフェアリーキスピュアから刊行決定いたしました! 詳しくは活動報告をご覧ください。
応援頂いたお礼に、そして書籍化告知用にSSを投稿します。トーコは霊廟で働き始めたばかり、陛下とは色々と話すようになったものの、ほとんどゼフェニ語が話せない頃のお話です。
霊廟に、初めて、小さな子どもが参拝にやってきました。
朝一番においでになることの多いおじいさんが、四、五歳くらいの男の子を連れてきたのです。短く刈り込んだ髪、真っ赤なほっぺた、くりくりした茶色の目。大きめの服を、袖や裾を折って着ています。お守りか何かなのか、腰紐に小さな袋が結びつけてありました。
おじいさんに促されて、小さな手が私にグイッと硬貨を突き出しました。
私はそれを受け取り、香木の欠片を包んだものを差し出します。片手で受け取ろうとした男の子は、おじいさんにひとこと何か言われて、急いで両手を出して受け取りました。そして、ぺこり、と頭を下げます。
(可愛い)
勝手に頬が緩んでしまいました。
おじいさんのお孫さんなら、おそらく一番近くの集落に住んでいるのでしょうが、歩くと三十分以上かかるはず。
頑張って歩いてきたのかしら、それとも馬に乗ってきたのかしら、帰りは大丈夫かしらと色々心配してしまいます。
頭を上げた男の子は、じっ、と私の顔を見つめました。異国の顔立ちが珍しいのでしょう。
その視線が、すっ、と横に逸れました。視線をあちこち動かして、何か探しているようなそぶりを見せた男の子は、眉間にしわを寄せながらおじいさんのズボンにしがみつきます。
おじいさんに促されて歩き出しても、男の子はおじいさんの陰から顔を出し、事務所の周辺をチラチラと見ていました。
もしかして……
「子どもは苦手だ」
低い声がして振り向くと、私の斜め後ろに陛下が立っていらっしゃいました。口をへの字にして、霊廟とは反対の門の方を眺めています。
「やっぱり、子どもには『見える』んですか?」
私は小声で尋ねました。
純真無垢な子どもの目には、大人には見えないものが映ると言います。男の子が何かを探している様子だったのは、陛下に気づいているからではないでしょうか。
陛下は鼻を鳴らしました。
「はっきりとは見えていないようだが、あの様子だと気配には気づいているのだろうな。子どもは聡い」
「すごいですね……子どもって不思議なことをたくさん知っていそうですよね。ゼフェニ語ができれば、色々聞いてみたかった」
二人が入っていった霊廟の入り口を見やりながら、私はひとりごとのようにつぶやきます。
「私がもう少しゼフェニ語がうまくなって、そのころにもあの子が来てくれていたら、話しかけてみようかしら」
「もう来ないだろう」
あっさりとおっしゃる陛下に、私は顔を上げます。
「え、どうしてですか?」
「ひどく緊張していたではないか」
「それは、初めての場所ですし……興味津々な感じもありましたよ」
「興味などいらぬ、来なくて良い。もしサダルメリクに出くわしでもしてみろ、泣くぞ。うるさい」
サダルメリクは今、狩りに出ているのか敷地内にはいません。
……まあ、陛下の事情もおありですし、喜んで来てほしい場所ではないといえばそう……かな……
陛下は露台に片手をつき、誘うような微笑みで私の顔を覗き込みました。
「この静けさを壊すものは要らぬ。ここは私とトーコの寝所なのだからな」
私と陛下は、普通の人間同士とは異なる形で意思を疎通しているらしく、互いの言語を知らなくても意味が通じます。
私は呆れて答えました。
「寝所でお休みになるのは陛下だけです」
「その寝所に毎日通っているではないか」
「仕事です!」
やがて、参拝を終えたおじいさんは、石畳を戻ってきて私に会釈をしました。
男の子は手を引かれたまま、やはり事務所の回りをじろじろと確認するように見つめています。そして、気を取られてちょっと躓いたりしながら、おじいさんと門を出て行きました。
その後は参拝客が訪れることもなく、私はいつものように、黄の刻の終わり頃に後かたづけを始めたのですが……
「おい、トーコ」
陛下の声に、霊廟内の鎧戸を閉めようとしていた私が振り向くと、扉のところに立っていた陛下が腕組みをしたまま顎を外に向けてクイッと上げました。
「なんですか?」
私は手を止めて扉から外をのぞき、思わず「えっ」と声を上げました。
門のすぐ外に、小さな人影。
あの男の子が、一人で立っているのです。
私は急いで、石畳を走って門に近づきました。
男の子は口を真一文字に結び、私を見ています。おじいさんも、他の大人もいません。一人です。
記憶している数少ないゼフェニ語の中から語彙を拾い、私は話しかけました。
「どうしたですか? 何?」
すると、男の子はぼそぼそと、何か一言言いました。
ああ、どうしよう、わからない単語……
あせりながら見ると、男の子は何か布のようなものを握りしめています。
私は門を出て、怖がらせないように男の子に近づくと、ゆっくりとしゃがみ込みました。そっと手のひらを上に向け、男の子の手をすくうように触ります。
小さな手が、ゆっくりと開かれました。
布の袋です。そういえば朝、腰にこの袋を紐で結んであるのを見ました。外したのでしょう。
よく見ると、袋の底に、ほつれたような穴が。
穴を指さして首を傾げてみせると、男の子は「ない……」と言ってうつむきました。
どうやら、中に入っていたものが穴から落ちてしまい、なくしたようです。それで探しに来たのでしょうか? 一人でこんなところまで? きっと大事なものに違いありません。
敷地内に落ちているかもしれないので、私は立ち上がると男の子を手招きしながら言いました。
「入る」
けれど、男の子は根が生えたように、そこから動きません。
「どうしたですか?」
聞いてみると、男の子はしばらく黙ってから、瞬きをしました。涙が一粒、こぼれます。
私はもう一度しゃがみこみ、彼を見つめました。
するとようやく、彼は口を開きます。
「お金……ない。陛下、怒る。怖い」
「ああ」
なるほど、参拝料を持っていないのに霊廟に入ったら、先帝陛下の霊がお怒りになると思ったんですね。
「大丈夫。陛下、怒る、ない。陛下、優しい」
私はにっこりと笑ってみせました。そしてもう一度立ち上がって門を入り、彼を手招きしました。
男の子はなおも、私をちらっと見たりうつむいたりしています。
私は一度、後ろを振り返りました。
陛下は腕組みをして参道の脇に立ち、しょうがないなという顔でこちらをご覧になっています。
私はさらに男の子を誘おうと、言葉を探しました。
なんとかして、気軽に入ってもらうには……
「ええと……ここ、今、陛下の家。あいさつする、入る。怒る、ない」
普通の家は、お金を払って入ったりしません。礼儀正しく訪ねてきた人を、陛下は怒ったりしません。そんなようなことを言いたかったのです。
男の子は一度、腕で顔をこすって涙を拭うと、ようやくゆっくりと門の中に入ってきました。ぺこり、とお辞儀をしています。
私はホッと、胸をなで下ろしました。
それにしても、一体何を落としたのでしょう。
「ない、なに? ええと、お金? 香木?」
私は知っている単語の中から、それらしいものを並べてみます。すると、男の子は答えました。
「石……」
石、か。守り石のようなものかしら。
続いて「赤? 黄色?」と聞いてみると、「緑」という返事でした。緑色の石をなくしたようです。
男の子は石畳に沿って、キョロキョロと地面を見回しています。私も同じように探し始めました。
「本当にここで落としたのか」
陛下はゆっくりした足取りで私の後をついて歩きながら、いちいち絡んできます。
「霊廟の中で落としたとは限らんのだろう。だが、草原で落としたとしたら、見つけるのは絶望的だな」
「もう、陛下も探してくださいっ」
私は思わず言ってしまいました。男の子はこちらをチラリと見ましたが、引き続き探しています。日本語で言ったので、意味はわからなかったでしょう。
少しして、耳元でささやきが聞こえました。
「あったぞ。祭壇の下だ」
「…………」
私は黙ってうなずくと、男の子に「私、中、見る」と霊廟の方を指さして言ってから霊廟に入りました。
いきなり見つけたら不自然かしら。でも、不自然だって構わないですよね、男の子は大事なものをなくして胸が苦しいような思いをしているのでしょうから、早く……
祭壇の下をのぞき込むと、奥の方でわずかに光を弾くものが。
ひゅっ、と風が吹いて、丸い石が転がり出てきました。苔のような深い緑で、白い筋の入った、ビー玉大の石です。
「ありがとうございます」
私はささやいてから、石を拾い上げました。陛下が、
「やれやれ、ようやくあやつも帰るか」
とぶつぶつ言っています。
私は霊廟を出て声を上げました。
「石!」
男の子がガバッと顔を上げました。ぱあっ、と表情が夜明けのように明るくなり、彼はこちらに駆けてきます。
かがみ込んで差し出すと、彼は私の手のひらから緑色の石を取り、きらきらした目でじーっと見てから私の顔を見ました。
「ありがとう!」
どういたしまして。見つけて下さったのは陛下ですけれどね。
私は笑顔を返します。
そこへ、門の外の石段を誰かが上ってくる気配がしました。
身体を起こすと、あ、おじいさんです。焦った表情をしていましたが、男の子を見つけて表情が緩みました。大きく息をついています……探していたのでしょう。
門のところまで男の子を送ると、おじいさんが深く頭を下げました。私も頭を下げます。
男の子は門を出る前に振り返り、霊廟の方を少し見た後で、私を見上げて言いました。
「――――、陛下の――?」
「え?」
わからない単語に首を傾げていると、おじいさんがどこか呆れた声音で男の子を叱り、また私に頭を下げました。
な、なんて言ったんだろう……
男の子は手を振って、おじいさんと一緒に石段を下りていきました。
とにかく一件落着ですね、よかった。
「さあ、急いで片づけなきゃ」
パッと振り返って、陛下と目が合った私はギョッとしました。
陛下が、満面の笑みを浮かべています。それだけじゃありません、ものすごく嬉しそうに、
「子どもが来るのもいいものだな。あやつならまた来ても良いぞ」
なんて言い出しました。
「な、何ですか急に、どうしたんですか? あ、さっきあの子、なんて言ったんですか?」
あまりの不気味さ加減にそう尋ねると、陛下はニヤニヤしておっしゃいました。
「『お姉さんは、先帝陛下の奥さんか』と聞いておったぞ。うむ、聡い子だ。物事をよくわかっておる」
「はぁ!?」
わ、私の態度、そんな風でしたか!? そりゃ、ここを陛下の家に例えて男の子を招き入れましたけれど、えっ、それが奥さんっぽかった!? 陛下の家にいる女の人=奥さん!?
「ちがーう!」
「いや、違わぬ」
「違います! 何度も申し上げているじゃないですか、妾でもないし奥さんでもありません! ああもう、次にあの子が来たら訂正しなくちゃ!」
「私は構わぬぞ」
「私が構うんです!」
私は心の中で誓いました。
今日、学院に戻ったらすぐハティラ先生にお願いして、『私は霊廟の管理人です』という一文を教えていただくことを!
【陛下は子どもが苦手? 完】