心を奪われた氷の姫
こういうのずっとどうしても書きたかったので、個人的にすごい幸せ。
いよいよ文化祭最大のイベントであるパフォーマンスステージが始まった。
熱気に包まれた体育館。事前のセレクションを通過した5組のロックバンドやラップユニットが次々と熱演を繰り広げ、会場のボルテージは最高潮に達していた。
「さあ、お待たせしました! 今年の大トリを飾るのは……西園寺玲央率いる、スペシャルダンスユニットだ!」
司会のマイクパフォーマンスと共に、色とりどりのレーザー照明が体育館を縦横無尽に駆け巡る。巨大なスピーカーから、腹の底に響くような大音量の重低音(EDM)が鳴り響いた。
歓声の中、オーダーメイドの衣装を身にまとった西園寺たちがステージに躍り出る。親の財力とコネをフル活用して用意されたプロ顔負けの機材とスモークに、観客たちは圧倒されていた。
最前列には、彼に無理やり座らされた特等席にアレクサンドラが座っている。彼女は腕を組み、退屈そうに氷の仮面を貼り付けたまま、ただステージを眺めていた。
一方の僕は、ステージ袖の暗がりで音響機材のケーブルを捌きながら、裏方としてタイムテーブルとにらめっこしていた。
(よし、機材の出力は安定してる。あとはこのまま最後までいけば……)
そう安堵した、次の瞬間だった。
外の空気が急激に冷え込んだかと思うと、窓の外でピカッ! と強烈な閃光が走った。
――ズドガァァァァンッ!!
腹の底から揺れるような落雷の轟音。
それと同時に、体育館中の全ての照明がプツリと消滅した。
大音量で鳴り響いていた西園寺のダンスミュージックも、マイクの音も、全てが一瞬にして死に絶えた。
「きゃあああっ!?」
「な、なんだ!? 停電!?」
完全な暗闇。パニックに陥った全校生徒のざわめきが、体育館に反響して渦を巻く。
僕は瞬時に手元のペンライトを点灯させ、ブレーカーと機材の確認に走ろうとした。その時だ。
「お、おい! どうなってんだよこれ!」
ステージから袖に逃げてきた西園寺が、パニックを起こして僕の胸倉を掴んできた。
「落雷による停電です! 今、復旧の確認を――」
「ふざけんな! 俺の最高のステージが台無しじゃねえか! お前ら裏方の責任だろ! チッ、何も見えねえし音も出ねえ! おいお前、適当に何かして場を繋いでおけ!」
西園寺は完全に萎え切った顔で、僕に無茶苦茶な責任を押し付けると、暗闇に紛れてステージからスタコラと降りてしまったた。
(……あいつ、この状況で逃げるのか)
停滞する現場。パニックになりつつある観客。
僕は深く息を吐き出した。優柔不断な僕だが、こんな状況において現場を見捨てることだけは絶対にしたくない。
僕は袖の片隅に置いていた、自分のギターケースを開けた。
父から受け継いだ、傷だらけのヴィンテージ・クラシックギター。
アコースティック楽器に、電力は必要ない。
僕はギターを抱え、パイプ椅子を片手に、暗闇のステージの中央へと歩み出た。
ざわめきと混乱、そして恐怖が渦巻く体育館。
僕は椅子に座り、目を閉じて、深く深呼吸をした。
右手の指先を、ナイロン弦にそっと置く。
――ポロォン……。
静寂を切り裂く、たった一音のマイナーコード。
電力に頼らない、生きた木の鳴り。父が何万回と弾き込んだ名器の、チェロのように深く甘い共鳴音が、暗闇と化した体育館の隅々にまで、驚くほどクリアに響き渡った。
「え……?」
「なに、今の音……?」
全校生徒のざわめきが、波が引くようにピタリと止む。
僕はそのまま、ゆっくりとアルペジオを奏で始めた。
選んだのは、父が愛した『ポーンランド民謡』。
最初はあくまで静かに。冷たい雪原に一滴の涙が落ちるような、物悲しく儚い旋律。
暗闇という視覚が奪われた空間、観客達は引き込まれるように静まり、ナイロン弦の擦れる微かなノイズすらもが、聴く者の鼓膜に直接語りかけていく。寂寥感と郷愁。遠い異国の冷たい風を思わせるその音色に、パニックを起こしかけていた観客たちは魔法にかけられたように息を呑み、聴き入っていた。
最前列に座るアレクサンドラは、ハッと顔を上げた。
暗闇の中でも、彼女にはすぐに分かったはずだ。この静かで優しい子守唄が、自分の故郷の曲であり、そして僕が彼女のためだけに弾いているということが。
(さあ、ここからだ)
観客の恐怖が完全に静まったのを肌で感じ取った僕は、右手の親指で低音弦を力強く弾き始めた。
タン、タタン、と。
物悲しかった民謡のテンポが、徐々に、しかし確実に脈を打ち始める。
僕は基本のコード進行をアレンジし、そこに高度なテンションコード(複雑な響きを持つジャズの和音)を次々とねじ込んでいった。
静寂は終わりを告げる。
哀愁漂うメロディはそのままに、流れるようなウォーキングベースと、シンコペーションを効かせた鋭いカッティングが重なり合う。
さらに僕は、弦を叩いて打楽器のようなパーカッシブな音を出す「スラップ奏法」を交え始めた。
チャッ、ツク、チャッ! という鋭い打音が、アコースティックギター1本から出ているとは信じられないほどの分厚いグルーヴを生み出す。
クレッシェンドしていく音の波。
雪原の涙は、いつの間にか燃え盛るような情熱的な炎へと姿を変えていた。
ただの陰キャの裏方だった僕が、暗闇の中で完全に「ステージの支配者」へと変わった瞬間だった。
「すげえ……誰だあれ!?」
「ギター1本!? マイク通してないのに、なんであんな音が出るんだよ!」
「っていうか、めちゃくちゃカッコいい……!」
暗闇の中で、僕の指先だけが熱を放っているかのような錯覚。
観客は完全に僕のギターに魅了され、誰からともなく自然と手拍子が巻き起こる。それはうねりとなり、停電の恐怖を完全に熱狂へと塗り替えていた。
その熱狂の最前列。
アレクサンドラだけは、手拍子を打つことも忘れ、ステージ上の僕から目を離せずにいた。
彼女が抱えていた故郷の孤独な重圧を、僕のギターが今、この極東の島国で、数百人の熱狂へと変えている。
暗闇の中、彼女のサファイア色の瞳から、せき止めていたものが溢れ出すように、ポロポロと涙がこぼれ落ちているのが見えた。
――パァァァンッ!
熱狂のジャズアレンジが最高潮に達し、僕が最後のジャーン!という情熱的な和音をかき鳴らした、まさにその瞬間。
予備電源が作動し、体育館に一斉に明かりが戻った。
照明が復旧したステージの中央で、ただ一人、傷だらけのギターを構えて息を吐く僕の姿が全校生徒の目に晒される。
それが、いつも前髪を伸ばしている「地味で冴えない裏方の結城」だと気づいた瞬間、体育館が揺れるほどの割れんばかりの歓声とスタンディングオベーションが爆発した。
「うおおおおおっ! 結城ぃぃっ!」
「アンコール! アンコール!」
大歓声の中、僕は静かに立ち上がり、深く一礼した。
「よ、よし! 電気が戻ったな! 俺のダンスの続きを見せてやるぜ!」
そこへ、空気が読めない西園寺がいけしゃあしゃあとステージに戻ってきた。ドヤ顔で再びEDMを流そうとする。
しかし、本物の芸術の魂を揺さぶる生音を浴びた直後の観客にとって、作られた電子音はひどく安っぽく感じられた。
「おい、引っ込め西園寺!」
「もうお前の時間終わってんだよ! 結城のギターをもっと聴かせろ!」
容赦ない大ブーイング。
「な、なんでだよ! 俺の方がすごいだろ!」と喚く西園寺は、完全に観客から見放され、無様にステージを降りるしかなかった。
「くそっ、機材トラブルのせいで俺のペースが狂ったんだ! あいつのギターのせいで客が白けた!」
ステージ袖に逃げ帰ってきた西園寺が見苦しい言い訳を並べ立てていると、カツン、カツンと冷たい足音を響かせてアレクサンドラが近づいてきた。
彼女は氷のように冷たい視線で西園寺を見下ろし、優雅に微笑んだ。
「お見事なパフォーマンスでしたわ、西園寺様」
「ア、アレクサンドラ……違うんだ、これは――」
彼女は西園寺の言葉を遮るように、絶対零度の声で『ラテン語』を放った。
「|Excusatio non petita accusatio manifesta.《――見苦しい言い訳ね。暗闇で逃げ出したあなたのハリボテの価値が、彼の本物の輝きの前で完全に地に落ちただけ。本当に、滑稽で惨めだったわ》」
西園寺には言葉の意味は分からない。だが、その声に含まれた圧倒的な「見下し」と「軽蔑」のオーラに、彼は顔を真っ青にしてその場にへたり込んだ。
大騒ぎの文化祭が終わり、夕暮れの旧校舎。
喧騒が嘘のように静まり返った同好会室で、僕は一人、黙々と機材の片付けと書類の整理をこなしていた。
ステージでの熱狂が夢だったかのように、いつもの穏やかな放課後だ。
パイプ椅子に座って、僕の背中をずっと見つめていたアレクサンドラが、ふと、誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。
「……結城」
「ん? どうしたの」
僕は書類から目を離さずに返事をする。
「|Gratias tibi ago. Valde pulcher eras.《……ありがとう。暗闇で私のためだけに弾いてくれた姿、すごく……かっこよかったわ》」
――ドクンッ!!
心臓が、今日一番の大きな音を立てて跳ね上がった。
いつもは高慢な氷の王女様が、初めて素直に見せたデレ。しかも「私のためだけに」という直球すぎる本音。
頭の中のラテン語翻訳機能がフル稼働し、脳の処理能力が完全にオーバーヒートを起こす。
感動と動揺がごちゃ混ぜになり、口元が勝手に震え出した。あまりの愛らしさに理性が吹き飛びかけた僕は、あろうことか、反射的にその場でラテン語を口走りそうになった。
「……っ、|Nihil e――(ど、どういたしまして――)」
ハッとして、ギリギリのところで上下の歯を強く噛み締めて言葉を飲み込む。
「……え? 今、なにか言った?」
「な、なんでもない! 独り言! ちょっと汗拭くわ!」
僕は動揺のあまり顔を真っ赤にして背中を向け、慌ててギターケースの金具をガチャガチャと乱暴にいじり始めた。
そんな僕の不審な様子を見て、アレクサンドラは「もしかして、私の変な発音を心の中で笑われたの……!?」と勘違いしたのか、恥ずかしさのあまり真っ赤になってそっぽを向いてしまった。
夕日の中で、お互いに背中を向けて真っ赤になっている不器用な二人。
どうやら、僕とこの愛すべき氷の王女様との秘密の放課後は、これからもまだまだ続いていきそうだ。
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