氷の姫はお弁当に愛を込める
いよいよ秋の文化祭、当日。
校内は朝からお祭り騒ぎだが、実行委員である僕、結城奏はそれどころではなかった。
「結城! 体育館のPA機材の配線、ちょっと見てくれないか!?」
「結城くん、午後のステージのタイムテーブル、巻きで調整したいんだけど!」
トランシーバーから次々と飛んでくる指示やトラブル報告。僕は割と裏方の実務に関してはスイッチが入ってしまう方で、そんな時間も嫌いではなかった。
頭の中でスケジュールをパズルように組み替え、機材の調整を的確にこなしながら、校内を文字通り走り回っていた。
「ふう……やっと一息つける……」
時計はすでにお昼を回っている。
わずかに取れた休憩時間。朝から何も食べていなかった僕は、手早く昼食を済ませようと学食へ向かって歩き出した。
その時だった。
スッ、と。
騒がしい廊下の喧騒を縫うように、冷ややかな、けれどどこか甘い香りが横に並んだ。
横を見ると、銀色の髪を揺らし、完璧な美貌にいつもの氷の仮面を貼り付けたアレクサンドラが、無言で僕の隣を歩いていた。
「アレクサンドラ? クラスの出し物はいいの?」
「……私の美貌に惚れた男子たちが勝手に働いているから、私は休憩よ」
相変わらずの王女様っぷりに、僕は思わず苦笑した。
彼女はちらりと僕の疲れ切った顔を見上げると、ぽつりと呟いた。
「……やっぱり、出ないの?」
「ああ。僕は実行委員の裏方だし、そういう表舞台に立つ柄じゃないからね」
僕が汗を拭いながらそう答えると、彼女は少しだけ伏し目がちになり、「そう」とだけ短く呟いた。
その声には、以前同好会室で聞いた時と同じような、微かな寂しさが混じっている気がした。
学食へと続く渡り廊下の隅。
人通りが途切れた瞬間、アレクサンドラが急に足を止めた。そして、背中に隠していた小さな包みを、不器用な手つきでぬっと僕の前に突き出してきた。
「……これ、よかったら食べて」
「えっ?」
「……作ったの。頑張ってね、裏方さん」
その言葉と同時に押し付けられたのは、綺麗にラッピングされたお弁当箱だった。
「え、これ……君が、僕に?」
予想外すぎる出来事に、僕は完全にボーゼンとして立ち尽くしてしまった。
あの高貴で、家事など一切したことがなさそうな東欧の王女様が、わざわざ僕のために手作りのお弁当を……!?
驚きで固まる僕から目を逸らし、アレクサンドラは恥ずかしさを誤魔化すようにツンと顎を上げた。
「勘違いしないでよね。余り物で作っただけだから。お腹を空かせた哀れな下僕に恵んであげるだけよ」
日本語では、相変わらずの高飛車な言い訳。
しかし、彼女がくるりと背を向けて小走りで去っていく直前。
真っ赤に染まった耳で、かすかな、小さな小さな『ラテン語』を呟いた。
「Omni amore meo feci...《――私の愛情、全部込めたんだから。……残さず食べてね》」
――ドカン、と。
僕の頭の中で爆発音が轟いた。
(あ、愛情……全部込めた……!?)
手の中にあるお弁当箱が、急に熱を帯びたように感じられる。
僕は彼女の遠ざかる背中を見送ったまま、しばらくその場から一歩も動くことができなかった。
*
喧騒から離れた、誰もいない階段の踊り場。
僕は一人で座り込み、緊張しながらお弁当箱の蓋を開けた。
「……すごい」
思わず声が漏れた。
中には、食べやすく一口サイズにカットされた色とりどりのサンドイッチ。そして、その横には、香辛料の豊かな香りが漂うポーンランド名物のミートボールを始めとした色とりどりの料理が詰められていた。
彩りも栄養バランスも、何より僕が忙しい合間にサッと食べられるようにという気遣いが、痛いほど伝わってくる。
ミートボールを一つ、口に運ぶ。
「……美味しい」
スパイスの効いた濃厚な肉の旨味と、どこか優しくて懐かしい味。
王女である彼女が、慣れない日本のキッチンで、僕のために一生懸命これを作ってくれた姿を想像すると、胸の奥がギュッと締め付けられるように熱くなった。
「……ごちそうさまでした」
空っぽになったお弁当箱を丁寧に包み直す。
不思議なことに、あれほど重かった体の疲れが嘘のように消え去り、体の底からエネルギーが湧き上がってくるのを感じた。
(……彼女の期待に、少しでも応えたいな)
僕自身でも驚くほど、自然な感情が湧き起こる。機会があれば地域の音楽会なんかに参加してみるのも良いかもしれないなと、数時間にアクシデントが起こるとも知らずに、僕は呑気にそう思った。
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