文化祭に向けて
季節は秋。
校内は、来月に迫った『文化祭』に向けて、どこか浮き足立ったようなざわめきに包まれていた。
ステージ発表のエントリーが始まり、廊下や教室ではバンドやダンスの話題で持ちきりだ。しかし、僕には縁のない話だった。
目立つことが嫌いな僕はステージに出る気はない。
放課後はいつも通り、喧騒から逃れるように旧校舎の同好会室へ向かい、一人でギターの練習をしつつ、入り浸るようになったアレクサンドラと少しだけ言葉を交わして帰る。そんな穏やかな日々が続くと思っていた。
あの日までは。
「やあアレクサンドラ! 今日もこんなカビ臭い部屋で暇つぶしかい?」
ガラッと扉を開けて、またしても踏み込んできたのは西園寺だった。
相変わらず取り巻きを引き連れた彼は、手にした派手なフライヤー(チラシ)を、アレクサンドラの座る机の上にバサッと置いた。
「文化祭のステージ、俺たちもエントリーしたんだ。最高のダンスユニットだぜ。アレクサンドラ、特等席を用意するから絶対に見に来いよ。俺の完璧なパフォーマンスに、きっと心を奪われるはずだ」
自信満々に髪をかき上げる西園寺。
アレクサンドラはチラシを一瞥すらせず、優雅に紅茶のカップを傾けた。
「……そうですか。ですが、あいにく私は喧騒が苦手ですので。気が向いたら、遠くから眺めるくらいはしてさしあげますわ」
「ははっ、照れ隠ししなくてもいいぜ! じゃあ、本番を楽しみにしててくれよな!」
アレクサンドラの冷ややかなあしらいを「照れ」と脳内変換したらしい西園寺は、満足げに笑って嵐のように去っていった。
……本当に、ある意味でメンタルが強すぎる。
再び静寂が戻った室内。
僕は無言で立ち上がり、西園寺が開け放しにしていった扉をきっちりと閉めた。
「……本当に、やかましい男ね。少しは静寂の価値というものを学ぶべきだわ」
アレクサンドラが小さくため息をつく。
僕は苦笑しながら、再びパイプ椅子に座ってギターを膝に乗せた。
「まあ、文化祭前でみんなテンション上がってるからね」
「ふうん。……そういうあなたは、出ないの?」
ふいに飛んできた質問に、僕はギターのチューニングをしながら首を横に振った。
「出ないよ。こんな地味なクラシックギターの独奏なんて、お祭り騒ぎのステージじゃ誰も聞かないし。それに……」
「それに?」
「クラスの文化祭実行委員を押し付けられちゃってね。当日は裏方として、ステージのタイムスケジュールの管理とか、機材周りの裏方作業で走り回らなきゃいけないんだ。僕には、そういう仕事の方がお似合いだよ」
僕が自嘲気味にそう言うと、アレクサンドラは少しだけ不満げに形の良い眉を寄せた。
「……そう。まあ、あなたみたいな暗い陰キャには、裏でコソコソ走り回るのが似合っているんじゃないかしら」
日本語では、相変わらずの毒舌。
しかし、彼女がふいっと窓の外へ視線を逸らした直後。
その桜色の唇から、消え入りそうなほど小さな『ラテン語』がこぼれ落ちた。
「Sed... paulum doleo.《……でも、少し残念ね》」
「え?」
「Te in scaena fulgentem videre volui... Cithara tua, omnes fascinare potest.《ステージで輝くあなたの姿、見てみたかったわ……。あなたのギターなら、きっと全員を魅了できるのに》」
――ドクン、と。
僕の心臓が、またしても大きく跳ねた。
(……ズルいだろ、それは)
僕のギターを、全員を魅了できると信じてくれている。
ただの地味な同好会活動じゃなくて、ステージで輝く姿を見たいと、彼女は本音でそう思ってくれているのだ。
健気な本音が、鼓膜を通して心臓に直接叩き込まれる気がした。
「……裏方だって、文化祭を成功させるための大事な役割だからね」
僕は平静を装ってそう答えるのが精一杯だった。
アレクサンドラは「そう」とだけ短く返し、静かに窓の外の夕暮れを見つめ続けている。
(ステージで弾く姿、か……)
僕は手元のヴィンテージギターに視線を落とした。
出る気なんて全くなかったはずなのに。彼女のあの言葉を聞いてから、僕の胸の奥底で、小さな、けれど確かな火種が燻り始めていた。
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