毒舌王女(ラテン語限定)
いつもの放課後。僕が淹れた紅茶の香りと、ポーンランドの静かな民謡の音色が満ちる同好会室。
アレクサンドラがここを「専属の休憩所」に指定してから、数日が経っていた。
「今日の紅茶も、まあまあね」
「それはどうも」
日本語では相変わらずの塩対応だが、その直後にラテン語で『|Corpus meum sanatur...《身体の芯から癒やされるわ……》』と蕩けたようにつぶやくのを聞き流すのも、すっかり日常になりつつあった。
しかし、その穏やかな時間は、唐突に破られた。
バンッ! と、遠慮のかけらもない乱暴な音を立てて教室の扉が開け放たれる。
「おーい、こんなカビ臭い旧校舎にいるって聞いて驚いたぜ、アレクサンドラ」
ぞろぞろと取り巻きの男女を引き連れて踏み込んできたのは、旧華族の御曹司であり、学内でも派手な振る舞いで有名な西園寺玲央だった。
オーダーメイドで仕立てた制服を着崩し、手首には高校生には不釣り合いな高級時計が光っている。
「週末、親父のクルーザーでパーティーをやるんだ。君みたいな高貴な王女には、こういう埃っぽい部屋じゃなくて、俺の隣が似合う。来いよ」
アレクサンドラは紅茶のカップをコトリと置き、微かに眉をひそめた。
そんな彼女の拒絶のサインに気づく様子もなく、西園寺の視線が、僕の手元――父の形見であるヴィンテージギターへと向けられる。
「なんだその小汚いギターは。傷だらけで貧乏くさいな。俺の実家にある数百万の名器を見せてやってもいいぜ? おいお前、そんなガラクタを弾いて聞かせてアレクサンドラの価値を下げるなよ」
西園寺はそう言って鼻で笑い、土足でずかずかと僕のテリトリーに踏み込んできた。そして、あろうことか、父のギターのネックに無遠慮に手を伸ばそうとした。
――その瞬間。
「……触らないでくれるかな」
自分への悪口なら、普段の僕ならいくらでもスルーできた。
だが、父が生きた証であるこのギターと、アレクサンドラがようやく見つけた心安らぐ静かな場所。それを土足で荒らすことだけは、絶対に許せなかった。
僕はギターを庇うように手元へ引き寄せ、ゆっくりと顔を上げた。
そして、一切の感情を排した、温度のない冷徹な瞳で西園寺を真っ直ぐに射抜いた。
「……ッ!」
普段は前髪で目を隠している温厚な僕からの、無機質で殺気すら帯びた視線。
それに圧されたのか、西園寺はビクッと肩を震わせ、無意識のうちに半歩後ずさった。
その僕の態度を見て、アレクサンドラのサファイア色の瞳に、ふっと驚きと柔らかな光が宿る。しかし、彼女が西園寺に向き直った瞬間、その瞳は絶対零度の吹雪へと変わった。
アレクサンドラは立ち上がり、完璧なまでに優雅な微笑みを浮かべて口を開いた。
「お誘い感謝いたしますわ、西園寺様。ですが、私はここでの静かな時間を好んでおりますの。どうぞ、皆様でお楽しみになって」
鈴を転がすような、丁寧な日本語。
だが、それに続いて彼女の桜色の唇から滑り出たのは、研ぎ澄まされた氷の刃のような『ラテン語』だった。
「|Vasa inania multum strepunt.《――空っぽの器ほど、やたらと無駄で大きな音を立てるものよ。あなたの薄っぺらい声はひどく耳障りだわ》」
「|Stulte, tecum esse magis poena est quam in inferno.《本当に滑稽。あなたと同じ空気を吸うくらいなら、一生息を止めていた方がマシね》」
「……え? 今、なんて……?」
突然の聞き慣れない言語の響きに、西園寺はポカンと間抜けな顔を晒している。
「ポーンランド周辺の古いことわざですわ。あなた様の立派なご威光を讃えさせていただきましたの」
にっこりと、背筋が凍るような美しい笑顔でとんでもない嘘をつくアレクサンドラ。
取り巻きたちも彼女の底知れない威圧感に完全に呑まれており、西園寺は「お、おう、そうか……じゃあまた誘うぜ」と、逃げるようにそそくさと部室を去っていった。
嵐が去り、再び静寂が戻った教室。
アレクサンドラは「ふんっ」と鼻を鳴らすと、何事もなかったかのように再びパイプ椅子に座り、僕が淹れた紅茶を優雅に飲み始めた。
(……この王女様、怒らせるとヤバい……!!)
彼女の吐いた毒舌を完璧に理解できてしまった僕は、彼女の猛毒に内心で戦慄しながら、そっと冷や汗を拭うのだった。
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