氷の姫を縛る運命
季節は晩秋から冬へと差し掛かり、冷たい風が校舎の窓を揺らすようになっていた。
日野さんが補習で来られないその日の放課後。同好会室には、僕とアレクサンドラの二人きりの静かな時間が流れていた。
「……やっぱり、日野さんがいないと静かすぎるわね」
温かい紅茶のカップを両手で包み込みながら、アレクサンドラがぽつりとこぼす。
「騒がしいのは嫌いじゃなかったの?」と僕が笑うと、彼女は「ふんっ」と顔を背けた。だが、その直後に『Sed cum te sola esse melius est...《……でも、あなたと二人きりの方が好き》』と甘いラテン語をこぼすのも、すっかり日常の風景になっていた。
だが、その平穏は、唐突に、そして決定的に破壊された。
カツン、カツンと、冷たく重い革靴の足音が廊下に響く。
扉が静かに開かれ、そこに立っていたのは、西園寺の時のような質の低い学生たちではなかった。
仕立ての良いスーツを着た屈強な男たち。そしてその中央に立つ、金髪と透き通るような碧眼を持つ、冷酷な美しさを持った見知らぬ青年だった。
「――迎えに来たよ、僕の愛しいアレクサンドラ」
流暢な日本語。しかし、その声には一切の温度がなかった。
青年の姿を見た瞬間、アレクサンドラの手からティーカップが滑り落ち、ガチャンと甲高い音を立てて砕け散った。
「ユーリ……どうして、あなたが日本に……っ」
彼女の声は、かつてないほど震えていた。
ユーリと呼ばれた青年は、母国ポーンランドの有力貴族であり、国同士の結びつきを強固にするために定められた、彼女の「政略結婚の婚約者」だった。
「君の様子を見るための視察さ。しかし……」
ユーリは軽蔑の目を細め、ホコリっぽい旧校舎の壁や、僕の手元にある傷だらけのヴィンテージギターを舐め回すように見た。
「こんなみすぼらしい小部屋で、極東の平民とままごと遊びとはね。高貴なる王族の血が穢れる。さあ、もう十分遊んだだろう? 来年の本国での式に向けて、帰国の準備を――」
「……ええ」
アレクサンドラが、うつむいたまま短く答えた。
「アレクサンドラ?」
僕が声をかけると、彼女はゆっくりと顔を上げた。
そこにいたのは、いつも僕にツンツンと悪態をつきながらも、どこか楽しそうにしていた等身大の女の子ではなかった。
全てを諦め、運命という鳥籠に自ら入ることを受け入れた、「氷の王女」の冷たい仮面だった。
「ええ……もう十分、遊んだわ。帰りましょう、ユーリ」
彼女は僕の方を見ようともせず、そのままユーリの元へ歩き出そうとする。
しかし、そのすれ違いざま。彼女の青ざめた唇から、絞り出すような『ラテン語』がこぼれ落ちた。
「Hoc est fatum meum... Vale, mea pax, et meus primus amor.《……これが私の運命。さようなら、私の安らぎ。――そして、私の初恋》」
(……っ!!)
心臓を素手で握り潰されたような衝撃だったと共に、僕の中の何かがプツンとキレた。
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