第三十七話:虹彩
「この度は、本当にありがとうございました」
カレン先生が頭を下げた。
「いえ……」
言いかけて、やめた。
感謝を受け取らないのは、失礼かもしれない。
「……ちょうど見つけられて、よかったです」
そう返すと、
カレン先生は顔を上げて、小さく笑った。
「……でも、どうしてあの人は、身近な人を選んだんでしょう」
ずっと、不思議だった。
カレン先生が仲間でないのなら、すぐにばれてしまいそうなのに。
カレン先生はふっとまつ毛を揺らして、隣に立つルイくんの背中に手を伸ばした。
「……ルイは今日、貴族に引き取られて、この家を出たはずだったんです」
ルイくんに視線を移したカレン先生。
それに応えるように、ルイくんは目を合わせた。
「予定通り、夕方になると貴族の方が迎えに来て、そのまま送り出しました。
本当に貴族だったのか、今では分かりませんが」
そう告げたカレン先生に、初めて会った時の言葉を思い出した。
『あいつ、最後の最後に何かやらかした……?』
("最後"って、そういうことだったんだ)
欠けていたものが、カチリとはまったようだった。
引き取られた子が次の日からいないのは当たり前のことだ。
それなら、気づかれることはないだろう。
「私は数年前にここに来たばかりで、最初は夕方の引き取りに、不思議に思うこともありました」
「……多くは、引き取ったその日にその子のための衣類などを揃えますから、朝が殆どなんです」
カレン先生は俯いて、拳を力いっぱい握った。
「『島だから朝には船に行かないといけない』『だからいつも、遅い時間なんだ』
その言葉を、鵜呑みにしなければ……!」
カレン先生の声は震えている。
「……」
ヴィーディアの言葉は、間違ってないのかもしれない。
ここは島だから。
ただそれが、人目を避けてあの洞窟に子どもたちを連れて行く、都合のいい環境になってしまった。
そういうこと……なんだろう。
「ルイ、ごめんっ。……ごめんなさい、ミーチェ、ロン」
ズキッ。
(やっぱり、すでに……)
ヴィーディアの口ぶりからなんとなく、初めてではない気がしていた。
だけど考えたくなくて、気づかないふりをしていた。
ルイくんは俯いているカレン先生を見上げた。
そして、わずかに戸惑いながら、カレン先生の強く握りしめられた手を優しく包んだ。
「俺だって、カレン先生よりずっと園長先生と一緒にいたのに、偽物に気づかなかった!」
「ルイ……」
「あんなの気づけっこない!
だって、だって……!」
ルイくんの顔が、ぐしゃっと歪んだ。
「っ……うわぁああ!!」
耐えきれず、ルイくんは泣き崩れた。
「ルイっ」
悲痛な声を上げながら大粒の涙をこぼすルイくんを、カレン先生はぎゅっと抱きしめた。
「みんなのお墓を作ろう。
明日、すぐにでも……!」
ルイくんの泣き叫ぶ声が、
夜の孤児院に、しばらく響き渡っていた。
***
「ねぇねぇ。おねえちゃん、だあれー?」
ルイくんの泣き叫ぶ声に、孤児院の子たちが次々と起きだした。
子どもたちははじめ、いるはずのないルイくんの姿にきょとんとしていた。
だけど、カレン先生が「帰ってきた」と説明すると、うれしそうに笑った。
「ほら、部屋に戻るわよ」
「やーん!」
ぱっちりと目が冴えた子どもたちを部屋に戻すのは、カレン先生でも大変そうだ。
だけど、
「ふふっ」
(やっぱり、あたたかいなぁ)
カレン先生も子どもたちも、お互いに大切な存在なのが分かる。
「どうして笑ったの?」
目を真っ赤に腫らしたルイくんが尋ねた。
「すてきだなって」
「何が?」
「……この家が」
ルイくんは、さらに首を傾げた。
「普通じゃない?」
普通。
そう感じているのは、たくさん愛されている証拠だ。
ご両親がいたときも、今も。
「……私もね、両親がいないの。
物心ついたときから」
「えっ?」
ルイくんは目を丸くして、わずかに口を開けた。
「……ここは、本当にすてきなお家だよ」
小さく、微笑んだ。
ルイくんはしばらく考え込んで、
「……そうなんだ」
少しだけ、悲しそうに笑った。
「……でも、ネナさんも孤児だって、全然分かんなかった」
ルイくんは視線を彷徨わせながら、こめかみに手を当てた。
「むしろ、貴族ほどじゃないけど、ちょっといいところの家みたいな……何だろう、雰囲気?」
「? そうなんだ」
ルイくんは「うーん」と唸っている。
身なりは、特にそういう風には見えないと思うけれど。
(うーん……)
一緒に、首を傾げた。
「言葉遣いや所作でしょ」
いつの間にか、カレン先生が側に近寄って来ていた。
その背中には、女の子がおぶさっている。
「しょさってなにー?」
「姿勢とか、動きのこと」
「? ふーん」
女の子には、分からなかったようだ。
すぐに興味を失ったみたいで、カレン先生の髪をいじりはじめた。
(言葉遣いや、所作……)
ふ、と。
『言葉一つ、行動一つで、あなたたちに貼られた「親がいない」というレッテルは見えなくなるのよ。
だから、言動には気をつけなさい』
子どもの頃に言われた、真美子先生の言葉を思い出した。
「相当努力されたのか、周りの大人の教えがよかったんでしょう」
カレン先生の言葉に、きゅっと口を結んだ。
(真美子先生は、正しかった)
まつ毛が、下瞼に触れた。
「……さっき」
カレン先生が続けた。
顔を上げると、
カレン先生は、スイさんの周りに集まっている子どもたちを見つめていた。
「この家とあなたの境遇を、比べていたでしょう」
"この家がすてきだ"って、言ったことだろうか。
聞いていたとは思わなかった。
「育てる立場から言わせてもらいますと」
「……?」
何を言われるのだろう。
じっと、カレン先生の言葉を待った。
「愛されてなければ、あなたみたいな人には育たないですよ」
——ドクンッ。
胸の奥で、大きな音が鳴った。
(なに……を)
「正確には、こんな歳まで心身ともに健康ではいられない、ですかね」
動揺する私をよそに、カレン先生は続けた。
カレン先生の目が、私を見た。
「間違いなく、愛されて育てられていますよ。あなたは」
ドクッ、ドクッ。
愛されてた……私が……?
過去の記憶が、次々と頭を掠めていく。
遊んでいる私たちを眺めていた、真美子先生の眼差し。
怪我した子に慌てて駆け寄った後ろ姿。
最後に何かを言いかけたときの——表情。
(もしかして……あれって、全部……)
両腕を、体の前で縮めた。
確かめたい。
真美子先生の——本心を。
目の奥に、じわりと熱が広がった。
「それと」
溢れ出そうな涙をぐっと堪えて、カレン先生を見上げた。
「昼間はすみません」
突然のカレン先生の謝罪に、目を丸めた。
(……昼間?)
「……えっと……なんのことでしょうか?」
謝られる心当たりがまったくない。
困っていると、カレン先生が目を伏せた。
「あなたが何も考えていないと、決めつけたことです」
『子どもたちが聞いたらとか、ちょっとは考えてください』
「あっ……」
そういえば、そんなことを言っていた。
(色々ありすぎて、全然思い出せなかった)
「あなたが孤児であれば、あの言葉がどれだけ考えて出てきた言葉か、今なら分かります」
カレン先生の言葉に、すぐに首を振った。
「でも、あのときすぐに答えない選択もできたので……やっぱり私の考えは、足りてなかったです」
私の配慮が足りていなかったのは事実だ。
カレン先生は間違ったことを言っていない。
そう思って、答えた。けれど——
「……あの子に、すぐ答えてあげたかったんでしょう?」
"あの子"
——ネナ!
フィンの笑顔に、また胸の奥が跳ねた。
「……はい」
否定しない。
私は、フィンの期待に応えたかった。
堪えた涙が、今度こそ溢れ出しそうだ。
「……あまりにも長く、引き留めてしまいましたね」
ゆっくりと、顔を上げる。
つうっと、雫が頬を伝った。
「本当に、ありがとうございました」
「ネナさん、ありがとう!」
カレン先生とルイくんが頭を下げた。
カレン先生におぶさっている女の子は二人を交互に見て、
「おねえちゃん、ありがとー!」
にかっと笑った。
「……ふふっ。
——どういたしまして」
ぽろぽろと、涙が落ちていった。
***
スイさんに帰ることを伝えると、
「私も一度帰るわ」
と言った。
「明日また伺います。
詳しいことは、その時にまた話しましょう」
「分かりました」
スイさんはカレン先生にそう告げると、ひと足先に外へ出た。
その後をおうように、ついていく。
「見送ります」
「子どもたちがいるでしょう?
見送りはいいですから、あの子たちの側にいてあげてください」
カレン先生はスイさんの言葉に振り返った。
そして、頭を下げて中へと戻っていった。
……パタン。
「……」
急に、しんと静まり返った。
何て切り出そうかと、悩んでいると、
「あなたとも、ここでさよならね」
スイさんの方から、そう切り出した。
「そうですね……。
ありがとうございました」
ぺこりと、頭を下げる。
「こちらこそ、魔族を捕まえる手間が省けたわ」
スイさんは満足そうに笑った。
そして、
空を見上げて、また視線を戻した。次の瞬間——
「またね。ネナ」
光の粒だけを残して、姿を消した。
(……名前、教えたっけ?)
それに「またね」とは、どういう意味だろうか。
「……あっ」
(もしかして……私も明日、ここに来ないといけないってこと……?)
明日はまた、船に乗らないといけないけれど、
(昼間に、あいさつしに行くくらいなら……時間取れるかな?)
そんなことを考えながら、そっと傘を開いた。
〔……〕
ミントがじっと、私を見つめている。
「? どうしたの?」
〔いいから飛びなさいよ〕
ミントは見つめるのをやめない。
(なんだろう……)
気にはなったけれど、しぶしぶ宙に浮かんだ。
〔……何で使わないの〕
不機嫌そうな声で、ミントが言った。
「……傘? 使ってるよ」
〔そんなの見れば分かるわ!〕
くわっと、ミントが鬼の形相で顔を近づけた。
(もう……何が言いたいのか分からないよ……)
ミントの言葉足りなさに、困り果てる。
仕方がないからそのまま、屋敷の方へ向かおうとした。そのとき、
〔魔力よ魔力!
——風のまーりょーく!〕
ミントの言葉に、ぴたっと止まった。
(……風?)
「ミント、私は……」
〔どうして光は使うのに風は使わないのよ! 使えっ! 今すぐ使え!〕
「えぇ……」
無茶振りをするミントに戸惑うばかりだ。
「風は使えないよ」
〔使える!〕
ミントは叫んで、私の手に両手をかざした。次の瞬間——
「?!」
お腹の底から指先にあたたかいものが流れて、ふわっと傘を握る手が軽くなった。
(光の魔法を使った時と、同じ……)
魔力を使っている。
そう、確信した。
〔ほーら。使えんじゃん〕
ミントが得意げに笑った。
(それは、使えるようにしてくれたから……)
そう思ったけど、飲み込んだ。
またミントに怒られるかもしれない。
(でも……)
風の魔力で、本当に体が軽くなった。
これなら、肩への負担も、手のひらにマメができることもなさそうだ。
できることが——増えた。
「……」
気づけば、頬が緩んでいた。
「……そういえば」
〔?〕
ずっと、ミントと話したいことがあった。
今を逃せば、次はいつふたりで話せるかわからない。
「ラウハの森で、タオルを持っていったのって……ミント?」
〔!〕
ミントは分かりやすく顔を歪めた。
「……やっぱり、そうだったんだ」
モリスさんは、フィンと仲良くする私に嫉妬して、妖精がいたずらしたんじゃないかって言っていた。
ミントはこんなところまで、大好きなフィンに着いてきた。
嫉妬した妖精がいるなら、それはミントのことだろう。
〔もうしないから怒らないでよ! あいつにも脅さっ……!!〕
ミントは"しまった"と言わんばかりの顔をして、両手で口を塞いだ。
「あいつ……?」
〔な、なんでもない!〕
「あっ……」
ミントはパッと、姿を消してしまった。
「ほんと、自由だなぁ……」
思わず、声が漏れた。
それにしても、
(あいつって、誰だろう)
モリスさんに叱られでもしたのだろうか。
(機会があれば、また聞いてみよう)
近づいてきた屋敷を見つめて、
小さく笑った。
第三十七話
鏡の島-虹彩- 完




