第三十三話:紅焔の灯
(どうして……この人が)
昼間と変わらず、
穏やかな笑顔を浮かべる園長先生。
その姿に、嫌な予感が頭を掠めた。
「答えてくださらないのね」
心臓がばくばくと波打つ。
聞かないといけないことはあるのに、
口からこぼれるのは、息だけ。
「……まぁ」
園長先生の目が、ミントを捉えた。
〔?!〕
ミントは一目散に私の後ろへと隠れた。
「何となく、予想はつくけれど」
にっこりと、深まった頬の皺。
その笑顔が恐ろしくて、息が詰まりそうだった。
「あ……なたが、ルイくんを……?」
ようやく出た声は掠れ、震えた。
「ぅっ……」
背中に感じた熱。
ルイくんが体を寄せた。
「ふふっ。分かっているでしょう?」
「どうして……!」
子どもたちにたくさんの愛情が注がれていたのは嘘じゃなかった。
みんな、幸せそうだった。
眩しすぎるくらい、あたたかい場所だった。
あの場所を作っていたのは、この人だったはずなのに。
園長先生は頬に手を添え、
「うーん」と声をこぼした。
「答える義理はないのだけれど……」
スゥッ。
目が、細められた。瞬間——
「何も知らないままなのも、可哀想よねぇ」
ゴゴッ!!
「?!」
突然鳴り響いた低い音に、後ろを振り返った。
(道が塞がれた……!)
カツッ。
近づく足音。
咄嗟に園長先生へと向き直った。
「どうして、ルイを檻に閉じ込めていたのか」
カツッ。
「近づかないで!」
傘先を向けた。
園長先生は愉しそうに笑った。
「要望が多いのね。ふふっ」
何がそんなに楽しいのか。
園長先生は肩を震わせた。
「ルイをここに閉じ込めたのは——
熟したから……ね」
ぬるりと、唇に舌を這わせた。
「熟したから……?」
意味が分からない。
いったい、どういうこと?
「ふふふ。人間ってね、このくらいの歳の子が一番美味しいのよ」
「えっ……?」
私より先に、ルイくんが声を漏らした。
ルイくんも、自分が閉じ込められた理由を知らなかったんだ。
(この人は……何を言っているの?)
思考が、追いつかない。
「それに、手塩をかけて育てたのよ?
余計な物は食べさせず、心身ともに健康に育った子ども……。
——最高の嗜好品だわ」
恍惚とした表情で語るその姿は、
まるで、育てている牛や豚の味を、自慢しているようだった。
「嗜好品……!?
ルイくんは食べ物じゃない!
さっきから、何を言ってるの?!」
ドサッと、崩れ落ちる音がした。
「たべ……もの……」
わずかに後ろを振り向いた。
ルイくんは膝をついて、
ぽろぽろと涙を流していた。
「園長先生、俺を食べるため、育ててくれたの?
おいしくなるから、優しくしてくれたの……?」
「っ」
否定してほしいと、
その気持ちが、痛いほど伝わってくる。
園長先生は、ルイくんにそっと微笑んだ。
「ええ」
ヒュッと、息を飲む音が聞こえた。
「ぅあっ……ああ"っ!!」
ルイくんは、地面に伏して泣き崩れた。
洞窟の中に、泣き叫ぶ声が響く。
傘の柄を、力強く握りしめた。
爪が、手のひらに食い込む。
「ふふふっ。当たり前でしょう?
そうでなければ、苦労して人間なんかを育てたりなんてしないわ」
両手を顔の横で広げて、おかしそうに笑う園長先生。
三日月の目が、黒く濁った。
「といっても、私が育てたのはここ数年だけれど。
本当の園長先生は、あなたたちをちゃあんと、無償の愛で育てていたわよ」
「……本当の、園長先生?」
ガバッ!
ルイくんが顔を上げた。
信じられないものを見る目で、園長先生を見つめている。
「ふふっ。滑稽だったわ。
『やめて! あの子たちには手を出さないで!』ってね」
カンカンと、頭の中に警笛が鳴り響く。
「ルイくん! 耳を塞いで!!」
気づけば叫んでいた。
聞かせてはいけない。
この先は、絶対に——
「不味いのは分かってたから、じぃっくり……つま先から順にちょっきん、ちょっきん……。
両手足がなくなった時に、絶命したのはがっかりだったけど。
最後まで足掻く姿は、最高に面白かったわ」
ヒヒッ! ヒヒヒッ!
もう、優しげな笑みを浮かべることもなかった。
「……あなたは、誰……?」
「……」
——ニヤァ
口の両端が、異常なほど上がった。
ビュォオオ!!
旋風が巻き起こった。
「っ!」
咄嗟に顔を覆った。
腕の隙間から、前を覗く。
旋風の中心。
園長先生の皮を被ったその人は——姿を変えた。
白髪混じりの髪は、くすんだ赤紫に変わり、
皺だらけだった白い肌は、張りのある青紫に。
優しげな翠の瞳は、
きつく釣り上がった黒の瞳へと変わった。
「アハハハハッ!」
園長先生の面影は、
一つもなくなった。
〔魔族……〕
ミントが呟いた。
(魔族? ……魔物ってこと?)
だけど、今までの魔物とは違う。
人の言葉を話し、私たちと同じような見た目をしている。
——斬れる、だろうか。
魔族は肩に掛かる長い髪を払った。
「アタシは魔王様の配下の一人、ヴィーディア」
「……魔王?」
「嘘つくな! 魔王たちは聖女様たちが倒してくれた!!」
ルイくんが叫んだ。
涙を流しながら目を大きく見開いて、ヴィーディアを睨みつけていた。
ヴィーディアの眉が、ぴくりと動いた。
「そうだ。聖女が——殺した」
低く地を這う声に、
ぞくりと背筋が震えた。
「幼く、まだか弱かった魔王様を聖女は殺した。
お前たち、人間の聖女が」
ぎりりと、歯の軋んだ音が鳴った。
「か弱いってなんだよ! 散々人を殺しておいて……!!
俺の母さんと父さんだって、お前たちが起こした『魔軍の氾濫』で死んだ……!!」
ルイくんは涙を流しながらも、ヴィーディアを睨みつけた。
「俺だけじゃない! 木漏れ日の家にいるほとんどの子どもは……みんなっ……!」
「はぁ……うるさいわね」
ヴィーディアは手を向けた。
「!!」
反射的に傘を開いた。瞬間——
バチバチバチッ!!
黒い稲妻が、傘越しに弾けた。
「はあ? 何それ」
ヴィーディアは眉を寄せた。
「……」
「あんたほんと、こっちの質問には答えてくんないのね。
無害そうな顔して、嫌な女」
言葉とは裏腹に、
ヴィーディアは面白がるように笑っていた。
(……聞かない)
あの人から出てくる言葉を、まともに聞く必要はない。
「チッ。つまんない——のっ!!」
今度は無数の黒い棘が襲いかかる。
激しい音を立てて、次々と弾け飛ぶ。
「面倒くさいわねぇ……」
ぽつり、ヴィーディアが呟いた。
一向に当たらない攻撃に苛ついているようだ。
(今の状態なら、防げる。だけど……)
防戦一方では、この戦いは終わらない。
あの人を、倒さないと——。
「っ……」
もう一度、自分に問いかけた。
人の姿をしたあの人を、
私は斬ることが——できるのか。
(覚悟を……決めなきゃ)
ザリッ……。
靴裏が、地面を擦った。
「どれだけ防いだってねぇ」
ヴィーディアは手を止めないまま、話し始めた。
「あんたたちは人間。そのうち限界が来る」
うっすらと笑みを浮かべながら、ヴィーディアは言葉を続けた。
(何が言いたいの……?)
じっと、ヴィーディアを見据える。
ヴィーディアはゆらりと、顎を前に出した。
まるで見下ろすように、私を見る。
「あんたが力尽きたら、まずはルイを食べてあげる。
腹からがぶりと齧り付いて、臓物をすすり、骨を一本ずつちゅぱ、ちゅぱ……」
ヴィーディアは摘んだ指を高く上げ、そこに骨があるかのように振る舞った。
(何を……言ってるの)
傘を握る手に、力が入った。
目の前がチカチカして、腹の奥底から沸々と込み上げる。
「あんたはその様子を眺めることしかできない。
——泣き叫ぶルイの声が止んだ時、あんたはどんな顔してるのかしらね?」
見下ろす目が、ニィッと横に引き伸びた。
「あっ! 死んだルイの体で遊ぶのもありかしら?」
「いい加減にして!!」
かちりと、何かが外れた音がした。
「キャハハ!
なぁんだ、そんな顔もできるんだ?」
「なにも……なにもおもしろくない!」
「あたしは面白いわよ? キャハハ!」
「っ!!」
——ダッ!!
傘を開いたまま、
地面を強く踏み込み、前へと飛び出した。
ヴィーディアの目が見開く。
攻撃の手がぴたりと止まった。
刹那、
傘の軸を返して腕を引いた。
(——斬る)
傘を振りかぶる、瞬間。
ニヤッ。
ヴィーディアは笑った。
「おやすみ。ネナちゃん」
——グジュッ
「ぇ…………」
背中に走った衝撃。
耳を抜けた、不気味な音。
込み上げる異物感。
「ごほっ!」
ベチャッ
地面に、赤が落ちた。
ポタッ……ポタッ……
(なにが、起こったの……?)
震える左手で、胸に触れた。
「……」
指先に、ぬるりとした感触。
——血だ。
ドサッ!
体の力が抜け、倒れ込んだ。
じわりと、地面に広がっていく血。
(私……死んじゃうの……?)
声も出せないほど、力が入らない。
目に映るものは、輪郭を失いはじめた。
いやだ。
死にたくない。
(……とう……ま)
わずかに残る力で、指先を伸ばした。
「ふふっ、ふふふっ」
愉しそうな笑い声が、遠ざかって——
意識が途絶えた。
第三十三話
鏡の島-紅焔の灯- 完




