第三十二話:灰燼
「……」
ウブラで迎えた夜。
一人で使うには広すぎる部屋に、大きなベッド。
(……眠れない)
ギシッ……。
ベッドに預けていた体を起こし、寝室を出た。
窓際に置かれた一人掛けの椅子に、腰を下ろした。
月明かりに照らされた町を、静かに眺める。
町から戻ってきたあと、すぐに透真の部屋に向かおうとすると、エヴァンさんに呼び止められた。
『そのままじゃ飲ませられないでしょ?』
そう言って渡されたのは、小ぶりのワゴン。
そこには、ティーポットとカップなどが置かれていた。
『ポットの中にお湯と花びらを入れて、香りが立ち上がったら飲ませるんだよ』
エヴァンさんとネロにお礼を告げて、透真の部屋へと向かった。
透真は相変わらず、辛そうにしていた。
ナーリスの花を見ると目を見開き、
一瞬口を開いて、また閉じた。
すぐに、
『……ありがとう』
微笑んで、私たちを部屋に迎え入れてくれた。
透真に花湯を用意している間、
フィンは今日あった出来事を話していた。
ネロのこと。
ミントのこと。
そして——孤児院のことも。
フィンを映していた透真の瞳が、私を映した。
『……音凪』
透真はただ名前を呼んで、
そっと、私の手に自分の手を重ねた。
その優しさに、じわりと滲む熱。
込み上げるものを飲み込んで、小さく笑った。
(いやだなぁ)
映しているだけの町を見つめ、
心の中で呟いた。
ずっと、
黒い感情が、お腹の辺りを掻き回している。
そんな自分が嫌で、余計に気分が沈んでいく。
(……風にでも、当たろうかな)
少しでも気分を晴らしたくて、窓に手を伸ばした。
カチャン……キィ。
その音はやけに大きく、静かな部屋に響いた。
潮の香りが鼻を掠めて、頬を優しく撫でる。
瞼を、下ろしていく——
〔ねえ〕
突然聞こえた声に、閉じかけた目を大きく開いた。
「ミっ……ント……」
目の前にはミントがいた。
ミントはあのあとからずっと、姿を見せなかった。
戻ってくるにしても、フィンの元だと思っていたのに——
「どうして……ここに?」
尋ねると、ミントは窓枠に腰をかけて、険しい顔をした。
〔あんたを呼びにきた〕
「私を? どうして……」
〔行かなきゃいけないところがある〕
(行かなきゃいけないところ?)
ミントの話には心当たりが全くなくて、
ただ、戸惑うことしかできなかった。
「……どこに、行くの?」
〔あっち〕
ミントが指し示した先にあったのは、
町の外れにある、大きな森だった。
「森? 何をしに……」
〔もー!!〕
ミントが跳ね上がった。
拳を握って、ものすごく怒っている。
〔いいから行くの!!〕
そう叫んで、ぐいぐいと私の服を引っ張りはじめた。
(服が伸びちゃう……!)
体は小さいのに、引っ張る力が強い。
「わっ、わかったから、引っ張らないで。
着替え、させて……!」
必死に訴えると、ミントはぱっと手を離した。
〔さっさとして〕
ふんっと鼻を鳴らして腕を組むミントを横目に、そそくさと準備をした。
***
着替えが終わると、ミントはわずかな時間もくれずに、窓の外へ飛び出した。
その後を、慌てて傘を広げて追いかける。
「ねぇ、ミント」
〔なによ〕
「何をしに行くの?」
今度こそ、尋ねた。
ミントはしばらく黙って、やがて——
〔仲間を助けに行く〕
そう答えた。
(仲間を助けにいく?)
仲間とは、妖精のことだろうか。
助けにいくとは、いったい……。
「……どういうことなの?」
ミントは振り向いて、目を吊り上げた。
〔あたしの仲間が、石に閉じ込められてるの!
助けを呼んでる! 早く助けるんだ!〕
ミントは強く叫んで、速度を上げた。
(石に? 全然わかんないよ……!)
それでも、置いていかれないようについていった。
森の入り口まで近づくと、ミントは降下した。
フッ……。
静かに、地面に足をつく。
〔大きな音たてないでよ〕
それだけ言って、ミントは森の中に入っていった。
「……」
暗くじめっとした森に、
不安が押し寄せる。
(……いかなきゃ)
ミントを見失ってしまう。
慎重に、森の中へと足を踏み入れた。
〔……〕
「……」
真っ暗で、足元もよく見えない。
時折聞こえる草木の揺れる音が、不気味なほど耳にこびりつく。
生暖かい風が、背筋を冷やした。
……ぐっ。
右手に持つ傘を、強く握りしめた。
何かあったとき、すぐに反応できるように。
(……)
目に映るもの。
聞こえてくる音。
草木の香り。
異変を取りこぼさないよう、神経を研ぎ澄ました。
——ガサッ。
「!!」
前方から聞こえた音に、足を止めた。
すぐ側にある木に身を隠し、息を潜める。
「回りくどいことするよな〜」
気怠そうな男性の声。
「慎重なんだろ」
もう一人、男性は落ち着いた声で諭した。
「まあいいじゃねぇか。あんな簡単な仕事で貴重な妖精石が手に入ったんだから」
その言葉に、ミントは今にも飛び掛かりそうな顔で二人を睨みつけた。
〔アイツら!〕
木の陰から、ミントが見ている先を覗いた。
暗闇の中で、きらりと輝く光。
男性の手元にある石が、月の光を弾いた。
(あの中に、ミントと同じ妖精が入ってるということ……?)
男性は石を覗き込んでいる。
「それに、滅多にない水の妖精だ。追加で払った金なんて端たもんよ。
こいつを売れば何百倍にもなって帰ってくる」
笑いを堪えているのが、声だけで分かった。
——ミントの顔から、表情が消えた。
〔アイツら——殺す〕
「……え?」
(——!!)
思わず声が出てしまった。
慌てて自分の口元を押さえる。
見つかってしまったかもしれない。
ドクドクと心臓が早鐘を打つ。
つぅっと、汗が首筋を伝った。
「……?」
(声が全然しない……?)
そろりと、再び男性たちを見た。
「えっ?!」
男性たちは苦しそうに首を押さえ、体を震わせていた。
"アイツら殺す"
ハッとミントを見た。
男性たちに手を向けているミント。
その体からは翠の風が唸り、ミントが魔力を使っていることに気づいた。
「ミントやめて! 死んじゃう……!」
〔止めない。殺す〕
「ミントの目的は仲間を助けることでしょ? 殺す必要なんてない!」
〔妖精を侮辱した。殺されて当然だ〕
男性たちは、ガクッと力をなくした。
「っ……」
(本当に死んじゃう!)
固く目を瞑って、ミントを見つめた。
「——フィンにも、そう言えるの?」
〔!〕
風が止んだ。
ドサッと、男性たちは倒れ込んだ。
よくないやり方だと分かっていた。
だけどこれしか、ミントを止める方法が思いつかなかった。
〔……早くして〕
ミントはそう呟いて、男性たちの元へ飛んでいった。
「え?」
(早くしてって、何を?)
困惑しながら、ミントの側へ寄った。
ミントは男性の足元に落ちた妖精石をじっと見つめている。
私が側に来たことに気づくと、不機嫌そうな顔で振り向いた。
〔早く〕
「えっと、何をすればいいの?」
〔石壊して〕
「壊す……」
握っている傘を見つめた。
(斬ればいいのかな?)
傘を振りかぶろうとして、止めた。
的が小さい。
突いた方がよさそうだ。
ツッ。
傘先を、石に当てた。
〔ちょっと! そんなことしたら砕けるでしょ!〕
ミントが怒りだした。
(え? どういうこと?)
「壊せって……」
〔壊すのは石だけ!
——魔力を使え!〕
"魔力を使え"
傘を、ゆっくり下ろした。
(私に、魔力は使えない)
スッ。
屈んで妖精石を拾う。
腰袋に、そっとしまった。
〔何してんの〕
「……エヴァンさんにお願いしよう」
〔なんでよ!〕
ミントは、また怒りはじめた。
エヴァンさんは嫌なようだ。
(でも、私は魔力使えないもん)
怒るミントに背を向けて、来た道を戻ろうとした。
けれど、
〔帰るな! まだあたしの仲間が残ってる〕
「……えっ?」
ミントに向き直った。
ミントは倒れている男性たちの向こう側を指差して、
〔あそこ〕
そう告げて、飛んで向かっていった。
「……」
(行くしかない)
再び、慎重に歩き出した。
「……?」
どれほど歩いただろう。
しばらく歩くと、崖に辿り着いた。
ミントは岩壁に沿って移動していく。
——ふっ。
「っ?!」
ミントの姿が消えた。
慌てて駆け寄って、ミントが消えた場所を調べる。
(……! ここ……)
外から見たらただの岩肌だけど、触れると指が吸い込まれていった。
吸い込まれた指に、違和感はない。
(……入ろう)
意を決して、中へと入っていった。
「……?!」
中は、明かりが灯っていた。
壁に一定の間隔で飾られた燭台。
青白い炎が、辺りを仄かに照らしている。
(……不気味)
岩壁の中とは思えないほど、きれいに均された床。
壁面も不自然に整っていた。
なにより、こんなに火が灯っているのに、空気は少し肌寒いくらいに冷えていた。
ミントは一瞬だけ振り向いて、先へ進んだ。
「……」
ミントの後を追いながら、考える。
ここは、自然にできた場所じゃない。
人の手が加わっている。
さっきの二人組の口ぶりからも、他に人がいる可能性は大きい。
(……念のため、【音摘】を使おう)
さっきと違って、ここは隠れられそうにない。
だけど、早めに異変に気づければ、まだなんとかなるかもしれない。
(聴きたいのは、
ミントの声と——離れた声)
しん……と、周りの音が消えた。
(使えは、したけど……)
抽象的すぎて、ちゃんと拾えるかは分からない。
そんな不安に、唾を飲み込んだ。瞬間——
「……ううっ……」
「っ?!」
わずかに届いた、誰かの泣き声。
ここの人?
それとも、別の……?
「うっ……出して……」
「!!」
助けを求める声。
誰かが、捕まっている。
(妖精? ううん、ミントの声質とは違う)
これは——人の声だ。
ミントは気づいていないのか、変わらず前を飛び進んでいる。
(ミントに話しかけたい。けど……)
今、ここで声を出すのは危ない。
駆け出すわけにもいかない。
「誰か、助けて……!」
「……っ」
幸い、声は段々と近づいている。
走り出したい気持ちを抑えて、歩き続けた。
(【音摘】、条件を変えよう)
今のままでは、近づいたら声が聞こえなくなってしまうかもしれない。
(……切り離す)
音を摘む条件を、三つに分けた。
「うっ、うっ」
しばらく進んだけれど、
聞こえてくる声は、一人分だけだった。
たぶん、男の子の声。
ここには今、他に人はいないのかもしれない。
そんな風に思いはじめたとき。
(……あれ? この声、知ってる)
すすり泣く声に、聞き覚えがあることに気がついた。
(誰の声? 私が知ってる、男の子……)
ミントが角を曲がった。
脳裏に一人の少年が過った、瞬間——
「ルイくん……?!」
檻の向こうで座り込む、ルイくんを見つけた。
(どうしてルイくんが……?)
【音摘】は切れ、周りの音が聞こえはじめた。
ルイくんは膝を抱え、自分の体を抱きしめている。
「うっ……ネ……ナさん?」
俯いていた顔を上げ、目を丸くして私を見つめた。
〔昼間のガキだったんだ〕
ミントはそれだけ呟いて、構わず先を進もうとする。
「ネナさん、どうして……」
ルイくんは警戒が滲んだ声で尋ねて、
身を守るように、体をさらに縮こませた。
「ルイくん檻から離れて。今、開けるから」
小さな声で伝えて、傘を握り直す。
ルイくんは困惑した表情をみせた。
それでも、静かに立ち上がって、格子から離れた。
ルイくんが壁際まで下がったのを見て、傘を振りかぶった。
カラン、カランッ——。
二度傘を振って、格子を斬った。
格子の真ん中は床に落ち、金属音が洞窟内に響き渡った。
「ルイくん出ていいよ」
「あ、ありがとうございます!」
ルイくんは残った格子を跨いで、檻の外へと出た。
〔な……〕
こぼれたミントの声に振り向いた。
ミントはわなわなと体を震わせながら、こちらを見つめている。
〔何してんのよ!!〕
ミントの体から、風が吹き始めた。
本気で、怒っている。
〔大きな音が鳴った! 見つかったら、あたしの仲間が助けられないかもしれない!〕
「でも、ルイくんをここに置いておくことはできないよ」
〔人間なんて後でいいでしょ!〕
「ミント、落ち着いて」
〔お前が言うな!!〕
吹き荒れる風が、さらに強くなる。
ミントの怒りが収まらない。
「わっ! 何この風?!
ネ、ネナさん、誰と話してるの?」
「ミント、ここを離れよう。早く案内を……」
〔もう遅い!!〕
カツッ、カツッ
ミントが叫んだと同時に、聞こえてきた足音。
(人……?!)
ルイくんの前に出て、傘を構える。
「……っ」
ルイくんが、私の服を握った。
手が、震えている。
「あら?」
ミントが向かおうとした先から、声が聞こえた。
柔らかくて、優しい——
「どうしてあなたがここにいるのかしら。
——ネナさん」
笑みを浮かべた園長先生が、
姿を現した。
第三十二話
鏡の島-灰燼- 完




