第三十一話:黄昏の記憶①
翠の体に長い髪。
耳はつんと尖っていて、目には瞳孔がない。
〔ふんっ〕
妖精は背中に生えている二対の羽をはためかせ、ふわりと宙に浮いている。
「ミント!」
フィンはぱぁあっと顔を明るくして、その妖精の名前を呼んだ。
「……フィン、知ってるの?」
「うん! ぼくのともだち!」
フィンは振り向くと大きく頷いて、また妖精を見た。
(友だち……)
『フィンは【妖精の愛し子】だからなあ……』
はっと、モリスさんの言葉を思い出した。
(ラウハからずっと、ついてきてた……?)
さっきの風の香り。
あれはラウハの森の香りだった。
ラウハの妖精であることは、間違いない。
「精霊? こんなに人に寄りつくなんて珍しいね」
エヴァンさんは、目を大きく見開いてミントを見ている。
(えっ?)
妖精じゃないの……?
訳がわからず、頭がこんがらがる。
〔あたしは妖精! "特別な"妖精だ!〕
「ミントは妖精だよ〜」
「……特別?」
普通の妖精とは違うらしい。
他の妖精を知らない私には、特別が何か分からない。
エヴァンさんが『精霊』と言ったことと、何か関係があるのだろうか。
にこにことしていたフィンが、ぴたっと固まった。
きょとんと目を丸めて、私とエヴァンさんを交互に見ると——
「ミントの声、きこえるの?」
そう呟いた。
「うん。聞こえるよ」
本当は聞こえないのだろうか。
フィンはますます目を大きく見開いた。
「ミントのこと、みえるっ?」
「見えてるよ」
「!」
フィンの耳がぴょこんと跳ねた。
頬はじわっと桃色に染まって、口はゆっくりと半円を描く。
「すごいっ、すごい!
ミント、みえてるってー!」
フィンはイスから飛び降りて、ぴょんぴょん跳ねた。
一方、ミントの表情はつんとしている。
〔本当はフィンだけでいいんだけどねっ〕
ミントは私に振り向いて、すーっと近づいた。
目の前までやってくると私の鼻先を指で突いて、思わず体が後ろに逸れた。
〔あんたは特別〕
ミントはそれだけ言って、フィンの元へ戻っていった。
(特別?)
ミントが特別な妖精だからだろうか。
「エヴァンは〜?」
〔あいつには許してない! 勝手に見てるだけ〕
ミントはフィンの肩に隠れて、肩越しにエヴァンさんを睨んだ。
エヴァンさんは苦笑いを浮かべながら、ネロを指差した。
「俺はネロを通して声を聞いてるだけ。
目で追ってるのは魔力で、姿が見えてるわけじゃないよ」
〔……モリスと同類か〕
ミントは隠れるのをやめて、フィンの肩に腰を下ろした。
ネロもわたわたと私の服をよじ登り始める。
今度も肩に登りたいのだろうか。
そっとお尻を支えてあげた。
〔ネナチャノカタ! ネロ モットタカイ!〕
ネロは私の肩の上でくるりと体の向きを変えると、満足そうに座り込んだ。
コンコンコン。
「ネナ様、馬車のご用意ができました」
ヤエルさんが戻ってきた。
変わった様子もなく、私の返答を待っている。
(本当に、見えないんだ)
ネロのことも、ミントのことも。
「ありがとうございます」
お礼を言って、エヴァンさんに向き直る。
「エヴァンさん。
透真のご飯、よろしくお願いします」
ぺこりと、頭を下げた。
顔を上げると、エヴァンさんは目を細めて笑っていた。
そして、ゆっくりと顔を寄せて——
「何かあったら、ネロに話しかけてね」
耳元で囁いた。
エヴァンさんはすぐにぱっと離れて、
「じゃ、いってらっしゃい」
軽やかに笑って、私たちを送り出した。
***
「ナーリスのお花、あってよかったね!」
フィンが私の手元を見て、にっこりと笑った。
つられて、口元が緩む。
「うん」
頷いて、手のひらにあるナーリスを見つめた。
町について、辿り着いたお花屋さん。
飲み薬として使うことを伝えると、
「鮮度が大事だから」
と、土に根が張った状態で袋に入れてくれた。
太陽の光をたくさん当てると、より効果が高まるらしい。
(いっぱい浴びてね)
なるべく陽が当たるように、花を持ち上げた。
〔ネナチャ カエル!〕
肩に乗ったネロが前に手を伸ばす。
ネロが指したのは、馬車が待つ町の入り口の方向。
「かえろー!」
〔ふぁあ〕
フィンが握り締めた手を、空へ向かって伸ばした。
そんなフィンの頭の上で、ミントが退屈そうにあくびをひとつこぼした。
(自由だなぁ)
馬車での移動中。
町に着くまでの間、フィンはミントにたくさんの質問をしていた。
最初から着いてきていたのか。
常に側にいたのか。
どうして、今まで姿を見せなかったのか……。
これらの質問には、ミントは答えなかった。
だけど——
『ミントがいっぱい、たすけてくれたんだよね?』
確信を帯びた、フィンの声。
ミントは得意げに笑って、頷いた。
ビエントで凪いだ風も、
昨日、嵐の中で感じた、優しい風も——
ミントが、力を貸してくれていた。
「……うん。帰ろう」
助けてくれた理由は、きっとフィンのため。
それだけフィンのことが大好きなんだと、少し見ているだけで分かる。
だからこそ、今まで隠れていたことが気になった。
(どうしてなんだろう……)
もう隠れるつもりはないらしい。
なおさら、不思議に感じた。
「……」
ぴたっと、フィンが立ち止まった。
口をわずかに開いて、食い入るように一点を見つめている。
「フィン、どうしたの?」
声をかけて、視線の先を追う。
(……フルーツ飴?)
フィンが見ていたのは屋台だった。
そこに置いてあるのは、串に刺さった色とりどりの果物。
まじまじと見てみると、
飴ではなく、果物はゼリーのようなものに包まれていた。
「……あれ、食べたいの?」
「!」
屋台に釘付けになっているフィンに声をかけた。
すると、フィンはぱっと振り向いて、まんまるの瞳で私を見上げた。
「ふふっ。一本買っていこうか」
「ほんとっ!?」
フィンはうれしそうに、体を揺らした。
ちらっと、屋台に掲げられたプレートを見る。
(一本、銅貨いちまい……)
「フィン、お花ちょっと持っててね」
フィンに花を預けて、腰袋から銅貨を一枚取り出す。
「一本くださいって、お店の人にお願いできる?」
預けた花と交換して、銅貨を手渡した。
フィンは手元の銅貨を、きらきらとした目で見つめ、
「できる!」
元気いっぱいに返事をして、ぱたぱたと屋台へ駆けていった。
「おじちゃん! いっぽんくーださいっ!」
フィンがお店の人に話しかける様子を、ゆっくりと近づきながら見守った。
〔フィン ウレシ。ネナチャ ウレシ?〕
ネロがくいーっと頭を傾げた。
「うん。うれしいの」
小さな声で返すと、ネロはニコッと笑った。
ネロの笑顔を横目に、フィンに視線を戻した。そのとき——
ドンッ!!
「わっ!?」
「?!」
左側から、受けた衝撃。
肩に乗っていたネロは宙に浮き、
両手に乗せていた花が落ちていく。
咄嗟に右手でネロを支え、
落ちていく花へ、左手を伸ばした。
けれど、
「っ……!」
空を切った左手。
その向こうで、花は地面へと吸い込まれていった。
トサッ。
落ちた花を拾おうと、慌てて屈んだ瞬間——
グシャッ!
「あ……」
花は、
通りすがった人に踏まれてしまった。
「……」
離れていく踵から、潰れた花びらがはらりと落ちた。
(透真の……花)
その場に膝をついて、
震える手で、散らばった花と土を掻き集める。
白い花びらには靴跡が付いていた。
もう、透真に飲ませることはできない。
(お花屋さんに、まだあるかな……)
「いったー……」
後ろから聞こえた、子どもの声。
重たい気持ちのまま、後ろを振り返った。
「……ごめんね。大丈夫……?」
そこにいたのは、十三歳くらいの男の子だった。
地面に座り込んで、お尻をさすっている。
「あっ! 俺の方こそごめんなさい!」
男の子は慌てて立ち上がって、ガバッと頭を下げた。
そして、頭を戻したとき、
私の手の中にある花を見て、目を大きく見開いた。
「それ……今の……」
「……」
言葉が出なかった。
〔ネナチャノハナ! ネロ オチタ!〕
ネロが男の子に叫んだ。
男の子に、ネロの声は届かない。
(私も……よそ見、してた)
自分にも非があることは分かっていた。
だけど、
「気にしないで」と簡単に言えるほど、
軽いものではなかった。
「ネナ?」
フィンがフルーツ串を持って戻ってきた。
「……フィン」
「ネナ、どうし……?!」
フィンは私の手の中で萎びた花を見て、あんぐりと口を開けた。
「えー?! ナーリスのお花、なんでっ?!」
フィンが混乱したように声を上げる。
「えっ?! えー?!」
〔あーあ。もう使えないじゃん〕
ミントが呟いた。
頭の奥が、くらりと揺れた。
混乱しているフィンを宥めないと。
そうは思っていても、声は出なかった。
「それっ、ナーリスって言った?」
男の子が勢いよく、フィンに顔を寄せた。
わずかに上がっている口元に、胃のあたりがもやっとした。
「えっ? おにいちゃん、だれ?」
「あの花はナーリスなの?」
「? そうだよー。でも……」
フィンは私と花を見て、垂れ眉を大きく下げた。
一方で、男の子はぱぁっと顔を明るくして、
「ナーリスなら、うちの庭にあるよ!」
そう言って、男の子は花屋のあった方向に指を向けた。
「一本くらい、園長先生ならあげていいって言ってくれるはずだからさ!」
満面の笑みで発した男の子の言葉に、引っかかった。
「……園長先生?」
こぼれた言葉に、男の子は大きく頷いた。
「そう! 俺、『木漏れ日の家』っていう孤児院で暮らしてるんだ。
園長先生はすごく優しいから、絶対大丈夫!」
(孤児院の……優しい先生……)
幸せそうな笑顔で話す男の子に、思わず目を伏せた。
高校卒業まで暮らした、養護施設のことを思い出す。
いつもぶっきらぼうで、
決して笑顔を見せてくれなかった——
真美子先生。
「ネナ〜?」
フィンの声に、ぴくっと肩を揺らした。
「ごめんね。少しぼおっとしちゃった」
笑って、誤魔化した。
(あまり、気は進まないけど……)
ナーリスの花がもうお花屋さんになかったら、透真が飲めなくなってしまう。
確実に手に入る方を、選ぶしかない。
「えっと……」
男の子に話しかけようとして、口ごもった。
呼びかける名前が分からない。
男の子は察したようで、自分自身に指を向けた。
「俺はルイ。ふたりは?」
「ルイくん……ありがとう。私は音凪」
「ぼくはフィン!」
ルイくんはわずかに目を見開いて、両手を左右に振った。
「え? ありがとうだなんて!
弁償なんだから、当然だよ!」
ルイくんはそう言い切ると、
「こっちだよ」
と歩き出した。
(いい子、なんだろうなぁ)
なんだか、自分が情けなくなった。
「……フィン。迷子にならないように、服 掴んでてね」
「うん!」
フィンは私の服の裾を、ぎゅっと握った。
「それと……そのフルーツを食べるのは、もうちょっと待ってね」
「えっ!」
「歩きながらは危ないから」
口の中に刺さってしまったら大変だ。
「はぁい……」
フィンはしょぼんと肩を落とした。
フルーツ串を悲しそうな目で見つめる姿に、
(楽しみにしてたのに、ごめんね)
心の中で呟いて、前を向いた。




