第三十話:新緑の風②
***
「おなかいっぱーい!」
ご飯を食べ終えたフィンが、満足そうに笑った。
その姿に、自然と頬が緩む。
(こんな豪勢なお料理、滅多に食べられないもんね)
大きなテーブルに並べられた、食べきれないほどの料理たち。
ぼんやり眺めているうちに、数十分前のことを思い出す。
*
透真の部屋を出たあと、ヤエルさんの案内で私の部屋に寄ってから、食堂へと向かった。
何となく、大学の食堂のような場所だろうと思っていた私は、食堂に着いて目を丸くした。
(大きい……テーブル)
そこはカフェテリアのような賑やかさはなく、しんと静まり返っていた。
お会計をするような場所もなければ、厨房も見えない。
(メニュー……お金……)
どうしたらいいのか分からず、立ちすくんでいた。
エヴァンさんが一番端の席に座る。
その後にフィンが続いた。
フィンはヤエルさんに手伝ってもらって、無事イスに座ることができた。
呆然と見ていると、
『どうぞお座りください』
フィンの隣のイスを、ヤエルさんは引いた。
私はおずおずとイスに近寄って、そろりと腰を下ろした。次の瞬間、
カラカラカラ。
黒と白のワンピースを着た女の人がワゴンを押してやってきた。
(メイド服……?)
テレビで見たメイドさんの服に似ている気がする。
だけど、雰囲気は全く違う。
白の帽子に長いスカート。
まっすぐに伸びた姿勢。
——洗練された、上品さがあった。
カラカラ。カラカラ。
最初にやってきた女の人の後から、続々と同じような人たちがやってきた。
ワゴンに乗っていたのは料理で、それらを次々とテーブルに置いていく。
上に被せられた蓋が外されるたび、ふわっと美味しそうな匂いが鼻をくすぐった。
「……」
ぽかんと、並べられていく料理たちを眺める。
『わあ! おいしそう! これぜんぶ、たべていいの?』
隣で、フィンが無邪気に目を輝かせている。
(……お金、足りるかな)
ご飯分は足りても、すっからかんになってしまうかもしれない。
そんな心配をしていると、エヴァンさんがフィンに向けて笑った。
『昨日のお礼だって。好きなだけ食べな〜』
『わーい!』
フィンは万歳して、満面の笑みでいただきますをした。
(お礼……)
肩の力が、ドッと抜けた。
「……」
(透真に、少し持っていけないかな)
そんなことを考えながら、しばらく料理を見つめる。
やがて、ゆっくりと手を合わせて、
フォークに手を伸ばした。
*
「おいしかったね〜」
フィンがにっこりと話しかける。
私は「そうだね」と笑い返した。
最初は、たくさんの料理に戸惑ったけれど、
途中で「残しても大丈夫」と、エヴァンさんとヤエルさんに言われて、気兼ねなく食事ができた。
(それに、透真のご飯も用意してもらえた)
ちらっと、テーブルの端に置かれた籠を見る。
ヤエルさんに透真のご飯はどうするか尋ねられて、用意してもらった軽食。
これなら、部屋で食べられるだろう。
「ネナちゃん」
エヴァンさんの呼びかけに、振り向いた。
「この後はどうするの?」
「……透真にご飯を届けてから、出かけようと思ってます」
「ナーリスを探しに?」
「はい」
頷くと、エヴァンさんはヤエルさんを呼んだ。
「馬車を用意してあげて」
「かしこまりました」
ヤエルさんはお辞儀をすると、静かに部屋を出ていった。
(……えっ?)
馬車って、私が乗る用に……?
「えっ、エヴァンさんっ! 歩いていくので馬車は……」
「ネナちゃん、場所知らないでしょ?」
「ほ、方向だけ教えてもらって……」
「町まで結構歩くよ。時間かかっちゃうけどいいの?」
言葉が詰まる。
時間はかけたくない。
透真に少しでも早く薬草を届けたい。
「さっき言ったでしょ?
『利用できるものは利用した方がいい』って」
(利用……)
ふっと、まつ毛が下がる。
間にいるフィンが、私たちを交互に見た。
「ぼくも、ネナとおでかけする」
ぎゅっ。
フィンが私の服を掴んだ。
視線を向けると、
きゅるんと期待のこもった瞳で、私を見上げていた。
「馬車、必要になったね」
エヴァンさんがぱっと笑った。
応えるように、小さく頷く。
私はフィンに視線を戻して、頭を撫でた。
「一緒にいこっか」
「! うん!」
フィンは目尻を大きく下げて、うれしそうに笑った。
「それと」
「あれ」
そう言って、エヴァンさんは籠を指をさした。
「俺がトーマに届けてこようか?」
思いがけない提案に、ぱちぱちと瞬きをした。
(あっ、早く行けるように……ってことかな)
すとんと、腑に落ちた。
お願いした方がいいのかもしれない。
だけど、
(透真の様子、見ておきたい)
断ろうと、口を開こうとしたとき。
「出かけるの、トーマに止められそうじゃない? 過保護そうだし」
私が断るよりも先に、エヴァンさんがそう指摘した。
開きかけた口を、きゅっと閉じる。
(……そうかも)
船から降りる前、
部屋での出来事を思い出す。
頑なに、私の手を離そうとしなかった透真。
同じことが起こらないとは、言い切れない。
「……エヴァンさん」
「うん」
「お願い、してもいいですか?」
早く戻ってこよう。
そう決めて、エヴァンさんに任せることにした。
「もちろん」
エヴァンさんは笑って頷くと、
人差し指をくるっと回した。
指先から深い紫の影が現れて、籠へと伸びていく。
「!」
影は籠の持ち手にくるりと巻きついて、
そのまま籠を持ち上げ、エヴァンさんの元へと戻っていった。
(魔法……すごい)
まるで自分の手を動かすように、安定していた。
「……」
今のは闇魔法の一つだろう。
闇の魔力は、透真の体にも流れている。
(透真も、できるようになるのかな)
器用な透真のことだから、
きっとすぐに、上手に扱えるようになるはず。
気づけば、自分の手を見つめていた。
「最後にもう一つ」
ぱちんっ。
はっと顔を上げる。
音の先を見ると、エヴァンさんが指を鳴らしたようだった。
「わあ……!」
フィンが足元を見て、声を上げた。
(なんだろう?)
立ち上がって、覗き込むと——
〔ネロ! ネロ!〕
「?!」
小さな黒い生き物が、
ちょこんと立っていた。
ずんぐりむっくりの体に、
ぴょこんと生えた二つの角。
つぶらな瞳だけが、白く浮いていた。
〔ネロ! ネロ!〕
その生き物は同じ言葉を繰り返しながら、ぴょんぴょん跳ねている。
(かわいい……)
「そいつは『ネロ』。俺の使い魔だよ」
〔ツカイマ! ネロ!〕
ネロはフィンの座っているイスをよじ登り始めた。
「ネロがいれば、離れている場所でも俺と話せるんだよ〜」
透真の〈念話〉みたいなものだろうか。
(でも、どうして?)
ネロを見せてくれた理由が分からず、
思わず、エヴァンさんを見る。
「馬車で行けるのは町の入り口までだからさ。迷子防止にそいつを連れて行ってよ」
なるほど、と腑に落ちた。
視線を戻すと、
ネロはいつの間にか、フィンの膝の上まで登っていた。
「ネロ、もっとうえいくの?」
〔ネロ カタ!〕
どうやら、ネロはフィンの肩まで登りたいらしい。
フィンの服を掴んで、よじよじ登っていく。
「ちなみに、そいつは他人からは見えないし声も聞こえないから安心してね。
話しかけるときは、周りの視線に気をつけて」
(そうなんだ)
ネロは見えてはいけないみたい。
こんなにかわいいのに。
エヴァンさんの補足に、こくりと頷いた。
「ついた〜!」
〔ネロ、ツイタ!〕
肩まで登ったネロと、それを見守っていたフィンは楽しそうにはしゃいでいる。
その姿に、自然と頬が緩んだ。
そのとき——
——ビュウッ!
ひと吹きの風が、駆け抜けた。
〔!〕
ネロが、ぽろっと肩から落ちた。
(あぶないっ!)
咄嗟に手を伸ばした。
ぽふんっ。
手のひらに伝わる柔らかな感触。
ネロは私の両手の中で、目をぱちくりさせていた。
(よ、よかった……)
ほっと息をついた。
それにしても、どうして風が……。
それに——
(……知ってる香り)
「あっ!」
窓を確認しようとしたとき、フィンが大きな声を上げた。
反射的に、フィンを見る。
(……えっ?)
フィンの肩には、
薄く翠をまとう、小さな影。
〔ここはあたしの場所!〕
——妖精が、そこにいた。
第三十話
鏡の島-新緑の風- 完




