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第三十話:新緑の風①



『図太く生きてもいいんじゃない?』


エヴァンさんの言葉が、

頭の中で反響した。


(図太く……?)



「ネナちゃん、元々ウブラで降りる予定じゃなかったんでしょ?」


「……」


どうして、分かったのだろう。


(あ……)


再乗船までの間に泊まる場所へと向かっていることを思い出した。


こくり。


小さく、頷いた。


「それなら目的地は終着地のプルーヴィアだよね」


「はい」


「それなら尚更、態度や言動には気をつけないとね」



どうして……?


理由が分からず、首を傾げた。


エヴァンさんは、流れるような動きで足を組んだ。

重ねた足に、頬杖をつく。


「都市部ほど、ネナちゃんみたいに大人しそうな子を狙う、

 わる〜い大人がたくさんいるんだよね」


話し方は軽いのに、

どうしてか、緊張が走る。


ふっと、視線が落ちた。


「どうしたら……」


——いいのだろう。


『図太く』

意味は、何となく分かる。

だけど、自分がどう振る舞うべきなのかは、まったく想像ができなかった。



もぞ……。



透真が身を捩った。

焦茶の瞳が、私を見つめる。


(寝てなかったんだ……)


顔が近かったから、うるさかったのかもしれない。


「ごめんね。うるさかった?」


今さら声を潜めて、話しかけた。


「いや……音凪はうるさくない」


透真は小さな声で答えた。


よかったと、小さく息をついた。


一方で、なかなか休めない透真に、自然と眉が下がった。


(眠れないほど、熱が辛いのかな)



「ネナちゃん"は"……ねぇ」


ぽつりと、エヴァンさんが何かを呟いた。



「え?」


「なんでもないよー」


名前を呼ばれた気がしたけれど、エヴァンさんは何でもないと笑っている。


(……)


わずかな引っ掛かりを残したまま、

エヴァンさんに向けた視線を、透真へと戻した。


透真はじっと、私を見つめ続けていた。


「どうしたの? 透真」


「……さっきの」


(……?)


透真の目が、すっと細められた。そして、



「音凪は——演じればいい」



真剣な表情で、言葉を落とした。



「……うん?」


演じる?

突然、どうしたのだろう。


「俺とフィン以外は全員、怪しい奴だと思えば……」


「? ……透真、眠いの?」


変なことを言いはじめた透真に戸惑いながら尋ねると、

透真は小さく首を振った。


髪の毛が首筋を掠めて、くすぐったい。


透真の手が滑るように、私の頬に触れた。



「外向きの顔を作って、優しい音凪は隠すんだ」



その言葉で、何の話をしているのか気づいた。


(図太く、の話だったんだ……)


分かったのはいいけれど、

透真の案は、私には難しい。


「透真……私が演技へたなの、知ってるでしょ?」


演技をしようと思うと、顔は固まり無表情になってしまう。


おまけに喉が締まって、棒読みになる。



「それでいい」


「無表情だよ?」


やり取りを見ていたエヴァンさんが、

「なるほどね」とこぼした。



「確かに、無表情は効果あるかもね。

 ネナちゃん、顔が元々優しげだから」


そう言って、エヴァンさんは自身の顔を指差した。


つられて、私も自分の頬に触れた。


(そんな顔してるかな?)


ふと視線を感じて、透真を見る。

目が合うと、透真は静かに頷いた。



「優しそうな人の無表情ってさ、どこか怖くない?」



そう言われたけれど、すぐにはピンとこない。


(優しそうな人……)



『音凪』



頭に浮かんだその人に、目を見開いた。


いつも冷たくて、無表情だった

——養護施設の先生。



どうして、

真美子先生が……?



「……音凪?」



はっと、小さく肩が揺れた。


透真が様子をうかがうように、私を見つめている。


「……なんでもないよ」


小さく、笑みを浮かべた。


透真は黙って、探るように目を細めた。


「……」


その視線に、

気づいていないふりをする。


私はそっと、視線を逸らした。



「あとはとにかく堂々とね〜。

 隙見せたらすぐ付け入れられるから。

 それと、利用できるものは利用するくらいの気持ちも大事だよ」


たくさん助言をくれるエヴァンさん。


感謝をするべき、なんだろう。

だけど、

それ以上に、不思議だった。



「どうしてそこまで……?」



気にかけてくれるのだろう。


エヴァンさんは一瞬、ぴたっと動きを止めた。

だけどすぐに、



「どうしてだろうね?」



問いかけるように呟いて、口元を歪めた。


それは問いかけのはずなのに、

エヴァンさんは答えを知っている気がした。




「む?」


フィンが声をこぼした。


振り向くと、

フィンは外を見ながら、左右に首を傾げていた。



カッポ、カッポ……。


やがて、馬車の速度が緩んだ。



「着いたみたいだね」


エヴァンさんの声と同時に、

馬車の揺れが止まった。



ギシッ、ギシッ……ギシッ。



音に合わせて、

腕の中にいた透真が起き上がった。



「あ……」



「ありがとな」


透真は座り直しながら、小さく微笑んだ。


コン、コン、コン。


扉を叩く音がして、振り返る。


ガチャ。


「皆様、お疲れ様でございます。

 目的地に到着いたしました」


開かれた扉から、外の光が差し込む。

すぐに、

少しひんやりとした空気が流れ込んできた。


「お先に失礼」


エヴァンさんはサッと立ち上がって、滑らかな動きで馬車を降りた。


その後に続こうと立ち上がると、



「レディー、お手をどうぞ」



流れるような所作で、

エヴァンさんが手を差し出した。



「…………れでぃ……?」


何が起きたのか、すぐには分からなかった。


ぽかんと口は半開きのまま、体が固まる。


「あれ? ネナちゃーん?」


「おーい」と声をかけるエヴァンさんの声にはっとして、

ぱちぱちと瞬きをする。


(びっくりしちゃった……)


お姫様みたいな扱いに、思わず固まってしまった。


断るのも失礼だろうと、

戸惑いながらも手を取ろうとしたとき。


「おっきなおうち!」


フィンがエヴァンさんの手を取った。


エヴァンさんは一瞬、驚き見開いて、

目を細めた。


「お気をつけください。おぼっちゃま」


冗談めかしたエヴァンさんに、フィンは笑った。


ふたりの様子をぼーっと眺めていると、

透真が先に降りはじめた。


(ぼーっとしてる場合じゃない)


透真が地面に降りたのを確認して、入り口の縁に手をかけた。


透真が後ろを振り返る。


「音凪」


透真が私の名前を呼んだ。


どうしたんだろう。

そんなことを思う間もなく、



——スッ。



「手を」



透真の手が、

差し伸ばされた。


思わず、透真の顔を見つめた。



赤く染まる頬。

潤んだ瞳。


熱のせいだって、分かってはいる。

けれど——



(なんだか、くすぐったい……)



ふっと、目を逸らした。

じんわりと、耳が熱くなっていく。


ためらいながら、そっと手を伸ばした。


——手が触れる。



(手汗、大丈夫かな……?)



重なった手の熱に、そんな心配が過った。


ゆっくりと馬車を降りていった。



「……ありがとう、透真」


「ん」


満足げに微笑む透真に、

気づけば、目元が緩んでいた。



「皆様、お待ちしておりました」



聞き覚えのない声に振り向いた。


目に入ってきたのは、

黒い門の前に立つ、耳の大きな女性。


獣人、だろうか。


そのことも気にはなったけれど、


(お屋敷……大きい……)


女性の後ろに建つ、屋敷に目が釘付けになる。


元の世界にいたときだって、こんなに大きな家は見たことない。


(これが別荘……)


貴族ってすごいんだなあと、

しばらく眺めた。


「初めまして。私はここの管理を任されております、ヤエルと申します」


ヤエルさんが慣れた所作でお辞儀をすると、

ひとつに結いた髪が、さらりと揺れた。


ベージュのベストに、茶色のパンツ。

深く刻まれた目尻の皺に、なんだかほっとした。


(モリスさんみたいだから、かな)


「一日世話になるね」


エヴァンさんの声掛けに、ヤエルさんは再びお辞儀をした。

顔を上げたヤエルさんの視線が、私たちに注がれた。


(あっ)

慌てて、口を開く。


「はじめまして、音凪といいます。

 彼は透真で、この子はフィンです」


「よろしくお願いします」

ぺこっと頭を下げた。


(私がしっかりしなきゃ)


つい、ぼんやりとしてしまう。

そんな自分に喝を入れるように、ぎゅっと手を握った。


「ぼく、フィンです!」


フィンが手を高く上げる。

その姿に、ヤエルさんは優しく微笑んだ。



「それでは、私たちは失礼致します」



後ろからの声に、はっと振り向いた。


「あっ、ありがとうございました」


声をかけてくれた船員さんと、御者の人にお辞儀をする。


顔を上げると、船員さんは少し砕けた笑みを浮かべていて、



「また明日、日が暮れ始める頃に迎えに伺います」



そのまま御者の横に乗り、馬車はゆっくりと去っていった。


「ばいばーい!」


消えていく後ろ姿に、フィンが大きく手を振った。


しばらく振ったあと、くるっと振り返った。


「ネナ〜、ぼくおなかすいちゃった」


「あ……」


(忘れてた……)


そういえば、朝から何も食べていなかった。

フィンがお腹を空かせているのも、無理はない。


「お先に、食堂にご案内致しましょうか?」


ヤエルさんが尋ねた。


フィンのことを考えれば、ありがたいけれど——



(透真を、早く休ませたい)



「その……先に部屋に行きたくて……」


私はそこまで言って、フィンに目線を合わせた。


「お部屋に寄ってからでも大丈夫?」


しゃがんで、フィンの顔を見上げる。


「うん!」


フィンはにこっと笑って頷いた。

ほっと胸を撫で下ろす。


「承知致しました。それではネナ様のお部屋からご案内でよろしいでしょうか?」


「あっ、透真からでお願いします」


透真に寄り添い、背中に手を当てて示した。


「承知致しました。ご案内致します」


背を向けて歩きはじめたヤエルさんの後をついていく。


門を越えて、整えられた庭園の先。

大きな屋敷の白い玄関が見える。


(扉も大きい……)


近づくと、ますますその大きさに圧倒された。


ヤエルさんが扉の取手を掴み、静かに引いていく。


「皆様、中へどうぞ」


扉を大きく開いて、道を作ってくれたヤエルさん。

エヴァンさんは躊躇なく中に入っていった。


ぺこっ。


私は扉の横に立つヤエルさんにお辞儀をして、先に入った透真の後ろに続いた。


中に入ってすぐ視界に入ったのは、ホールの中心にある広い階段。

その次に、階段の脇に置いてある棚と高そうな壺。


(あまり、近づかないようにしよう)


間違って壊してしまったら大変だ。


少し視線を横に逸らすと、壁に飾られている絵が目に入った。


絵はいくつかあって、

よく見れば、そのどれもが自然の風景を描いた絵だった。


「わぁあ……」


フィンが目を輝かせて、辺りを見回す。


(手を離したら、駆け出しちゃいそう)


前のめりになって周りを見ているフィンの姿に、小さな笑みをこぼした。


「こちらでございます」


気づけば、扉は静かに閉じられていた。


ヤエルさんは音も立てずに私たちの前に立ち、ゆっくりと先を歩きはじめた。



階段を上がって、二階の奥へと進んだ。

角を曲がると、通路にはたくさんの扉が並んでいた。


扉を一つ、二つと過ぎていく。

そして、五つ目の扉の前でヤエルさんは足を止めた。



「こちらがトーマ様のお部屋です」



一拍置いて、来た道を振り返った。


「一つ部屋を挟んで、お隣がフィン様、そのお隣がエヴァン様のお部屋です」


ヤエルさんは説明しながら、順に手を向けた。



「ひとりのおへや?!」


フィンが興奮してぴょんぴょん跳ねる。


「ネナ! ぼくのおへや! ぼくのおへや!」


早く行こうと手を引っ張るフィン。

すぐにでも連れていってあげたいけれど、


(……透真が先)


そうは思っていても、どう伝えたらいいか悩んでいた。


「ネナ様、私がフィン様をお連れしてもよろしいでしょうか?」


ふと、ヤエルさんが手を差し伸べてくれた。


(ヤエルさん……!)


私はほっとしながら、フィンに話しかけた。


「フィン、ヤエルさんが連れていってくれるよ。

 お願いしますってできる?」


「できる!」


フィンは元気よく返事をして、くるっとヤエルさんに向いた。


「おねがいします!」


ぺこりとお辞儀もして、お願いしたフィン。


ヤエルさんは上品に微笑むと、

「かしこまりました」

と言って、フィンに手を差し出した。


フィンは迷わずその手を握って、ぶんぶん振った。


「フィン、そぉっとね」


「!」


目を丸くして、フィンは一瞬固まった。


すぐに目元を緩めると、

「そぉーっと」と呟いて、ヤエルさんの手を静かに握った。


「それでは参りましょうか」


「うん!」


「! よろしくお願いします」


さっそく歩き出そうとするふたり。

私は慌ててヤエルさんにお辞儀をした。


「お任せください」


「ネナ! あとでね!」


手を振るフィンに私も手を振り返して、隣の部屋に入っていくふたりを見送った。


「俺も自分の部屋見てこよーっと」


エヴァンさんはそれだけ言うと、自分の部屋へと歩きはじめた。


「透真、私たちも中に入ろう」


歩いていくエヴァンさんの姿を横目に、私は透真と部屋の中に入った。



(広い……)


一人分の部屋なのに、船の客室よりも広い。


正面には、両手いっぱいに広げても足りないくらい、大きな窓。

中央には低いテーブルとソファが二つ向かい合っている。


壁際には長机と椅子が置かれていて、

ノートや本を広げて作業ができそうだ。


(あれ……寝るところがない)


辺りを見回して、ふと。

机と反対の壁に扉が一つあることに気がついた。


透真も気づいたようで、ゆっくりと扉に向かった。

私もその後をついていく。


ガチャ。


(……寝室だ)


扉の向こうには、ベッドと低いキャビネットが一つ置かれていた。


ベッドは一人で使うには十分すぎるほど広く、寝ている間に落ちる心配はしなくてよさそうだ。


横を振り向くと、部屋の角にはクローゼットがあった。



ドサッ。



その音にはっと振り向いた。



「透真……!」


ベッドに倒れ込んだ透真に駆け寄る。


「透真っ」


「……ごめん。大丈夫、だから」


透真は弱く笑って、重たげな目で私を見上げた。


(謝ることなんてないのに)


くしゃっと、顔が歪む。


気づけば、透真の手を握っていた。


「無理しないで。

 ゆっくり休んでていいから……ね?」


人が減って、気が抜けたのかもしれない。


大丈夫とは言うけれど、

浅い呼吸で眉をひそめている透真は、本当に辛そうだった。


だけど、透真はこんな状態なのに、


「……俺も食堂に行く」


そんなことを言い出した。


「お腹空いてるの? 私が何か持ってくるよ」


「いや……腹は減ってない」


(お腹空いてないの? それならどうして……)


首を傾げて、透真を見つめる。

透真は少しだけ困ったように目を逸らした。


「フィンの面倒とか……」


「体調悪い人に小さい子のお世話、お願いしないよ」


「食堂の場所も知っておきたいし……」


「元気になったら、一緒に行こう?」


「……」


透真は口を噤んだ。

だけど表情は納得していなくて、

どうしても、食堂に行きたいようだった。



「透真、お願い。今は休んで」


握った手を、ぎゅっとした。

透真は目を伏せて、


「……わかった」


ようやく、頷いた。


ほっと胸を撫で下ろして、握った手をそっとほどく。


手が自由になると、透真はスマホを取り出した。

いつもよりおぼつかない操作で必要な分だけ荷物を出すと、


「……足りる?」


そんなことまで気にかけてくれる。



"こんな時までごめんね"



言いかけて、ぐっと飲み込んだ。


謝ったら、きっと透真は

「俺がしたいだけ」

って返すと思ったから。



「……ありがとう」



代わりにそう伝えて、小さく微笑んだ。



「それじゃあ……行くね。

 ゆっくり休んでね」


荷物を抱え、透真が頷いたのを見てから背を向ける。


そのまま寝室を出ようとして、


(あ……)


ふと思い出して、透真の側に戻った。

透真は不思議そうに私を見上げた。


「……どうした?」


「ごめんね。もうひとつだけ、出してほしいものがあって……」


そう言うと、透真は枕元に置いたスマホを手に取って、

「何がほしい?」

と尋ねた。


「あのね、私のお金袋を出してほしいの」


「金……?」


透真は眉をひそめて聞き返した。



「食堂でお金使うでしょう?」



そう返すと、透真は目を大きく見開いて固まった。


「……いや、どうだろう」


「え?」


「公共の場じゃなくて、人の家だし……」


「でも、食堂だよ?」



(注文して、お金払うよね?)


どうして透真がお金を払うと思っていないのか、分からなかった。



「……絶対、必要ないけど」


「えっ?」


透真が何かを呟いた。

けれど、それは小さく掠れた声で、聞き取ることはできなかった。


「……何でもない」


透真は渋々お金袋を出して、抱えた荷物の上に乗せてくれた。


「ありがとう」


「……ん」


とろんとした瞼で見つめる透真は、眉を下げて小さく笑い返した。


私はその姿を後ろ髪に引かれながら、今度こそ透真の部屋を後にした。


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