第二十九話:透明に差す
「おうまさんだー!」
馬車を見て、フィンがはしゃいだ。
今にも走り出しそうなフィン。
私は繋いだ手を軽く引いて、そっと止めた。
「お馬さん、びっくりしちゃうから。ね?」
「!」
フィンは目をまんまるにして、振り向いた。
ぱちぱち、と瞬きをすると、
「そぉーっと」
声を潜めて、忍び足で歩きはじめた。
(馬車を見るの、初めてなのかな)
フィンは大人しく、きらきらと瞳を輝かせて馬車を見つめている。
その姿を微笑ましいと思う一方で、
私は他のことを気にしていた。
(魔塔の……第二位……)
私も馬車は初めてだった。
けれど、
今は……それどころではなかった。
「お気をつけてお上がりください」
船員さんが馬車の扉を開くと、
先頭にいたエヴァンさんが振り返った。
エヴァンさんは何も言わずに、
静かに一歩、後ろへと下がった。
自然と、馬車の入り口に続く道ができた。
(……?)
意図が分からず眺めていると、透真が踏み台へと足を掛けた。
ギシッ。
透真が一段上る。
それを見てすぐに、エヴァンさんが後に続いた。
(あっ……透真を、先に乗せるために——)
その気遣いに、じんと胸がいっぱいになる。
ふたりが奥に進んだのを見て
フィンへと、そっと振り返った。
「フィン、気をつけてね」
「はあい」
フィンは私の手を掴んだまま、上りはじめた。
「うんっしょっ」
片足ずつゆっくりと上るフィンに合わせて、繋いだ手を上にあげる。
「掴まっていいよ」
上から、エヴァンさんが手を伸ばした。
フィンは少しだけ迷いながら、差し出された手を握った。
フィンがしっかりエヴァンさんの手を握ったのを見て、私はフィンから手を離した。
「ありがとぉ」
フィンが上り切ったあと、私も馬車に乗り込んだ。
エヴァンさんはフィンを奥に座らせ、その隣に腰を下ろした。
私は、空いていた透真の隣に座った。
「それでは、扉を閉めますね。
何かありましたら、そこの小窓を開けてお声がけください」
船員さんは、エヴァンさんとフィンの後ろにある小さな窓を指さした。
どうやら、船員さんは御者の隣に座るらしい。
「ありがとうございます」
そう伝えると、
船員さんは小さく微笑んで、静かに扉を閉めた。
ギシッ、ギシッ。
馬車が二度揺れた。
しばらくして、今度は大きく三度揺れた。
カツン。
そして、金属が地面を弾く音が鳴った瞬間、
馬車がゆっくりと動きはじめた。
カッポッ、カッポッ
一定のリズムに合わせて進む馬車。
音が鳴るたび体が跳ねて、お尻が少し痛い。
(透真とフィンは大丈夫かな?)
ふたりに視線を向けた。
フィンは横の窓から、外の景色を眺めている。
「うわぁ……」
フィンは感嘆の声をこぼした。
外の景色に夢中で、振動は気にならないみたい。
透真は——
「ふぅっ……」
辛そうに、俯いていた。
さっきまで、無理していたのかもしれない。
(透真……)
振動のたびに、左右に揺れる透真の体。
「……」
——スッ。
私は、透真の肩へと両手を伸ばした。
「……? 音凪?」
透真が不思議そうに見つめる。
私はそんな透真の体を——
グイッ——!
力強く引いた。
「……??」
透真はぴたっと体を固めた。
エヴァンさんが「わぉ」と声をこぼす。
その声にはっとして、透真はすぐに離れようとした。
(——離さない)
ぎゅっ。
私はさらに胸元へと抱き寄せた。
「寄りかかってね」
「いや、音凪……俺は……」
「……?」
(この体勢じゃ、きついかな?)
「膝枕の方がいい?」
寄りかかるだけでは、楽にならないのかもしれない。
長旅で筋肉がついてきたから、
膝枕もあまり、寝心地よくないかもしれないけど……。
(馬車の背もたれよりはいいはず)
「……」
透真は黙り込んだ。
わずかに、息が漏れて——
「このままでいい……」
掠れた声で呟いて、
ふっと体の力を抜いた。
隙間なく触れた体から、じわりと熱が広がっていく。
透真の体は朝と変わらず、熱いまま。
(少しでも、涼しくできれば……)
そう思って、透真の前髪をかき上げ、
さらけ出したおでこに向かって、手で仰いだ。
パタ、パタ。
「ぶふっ!」
目の前から、吹き出したような音が鳴った。
(何の音……?)
音のした方を見ると、
エヴァンさんが顔を逸らして、肩を震わせていた。
もしかして、笑っているのだろうか。
辛そうにしている、透真を見て……?
「エヴァンさん……?」
私の勘違いだと、
確かめたくて、名前を呼んだ。
「んん"っ! ゴホッ、ゴホッ!」
とたん、エヴァンさんは咳をしはじめた。
「だ、大丈夫ですか?」
咳はしばらく続き、心配になって声をかけた。
「ん"っ! あっ、あ"〜……。
ごめんね〜。唾が変なとこ入って咽せちゃった」
コホンッ。
ヘラッと、
エヴァンさんは緩んだ口元を押さえて、ひとつ咳を落とした。
そのまま、深く息を吸い込む。
どうやら、今ので収まったみたい。
(笑ってたんじゃなかった)
きっと、咳を堪えていたのだろう。
胸の奥に広がりはじめたもやが、
すうっと消えていった。
「仲いいんだね」
ぽつりと、エヴァンさんがこぼした。
透真とのことを言っているのだろうか。
「はい。小さい頃から、ずっと一緒なので」
物心ついた頃から、今日まで、
ずっと——
透真と過ごしたたくさんの日々が、
ふと、頭の中に浮かんだ。
(ケンカもほとんどなくて、側にいてくれた)
自然と口元がほどけて、
気づけば、そっと透真の頭を撫でていた。
「ずっと一緒……?」
エヴァンさんが呟いた。
その声は普段より少し低くて、
何だか怪しんでいるような、そんな声だった。
(変なこと言っちゃったかな……?)
もしかしたら、この世界ではありえないことだったとか……?
「あのっ、
一緒にいられるときは……です」
慌てて誤魔化そうとして、変な言い方になってしまった。
余計に怪しまれるのではないか。
そんな不安に、胸の鼓動が速くなる。
「おふろのときは、いっしょじゃないもんねっ!」
外を見ていたフィンが、くるっと振り返った。
「!」
私はびっくりして、小さく肩が跳ねた。
話を聞いていたことにも驚いたけど……。
「そ、そうだね」
小さく微笑みながら返すと、
フィンはにこっと笑って、また外を眺めはじめた。
「ははっ! そうだよねぇ」
大きな声でそう言ったエヴァンさん。
振り向くと、
エヴァンさんはお腹を抱えて笑っていた。
「……」
はじめて見るエヴァンさんの大笑いに、
私はぽかんと、その様子を見ていた。
(……あっ)
——胸の鼓動が、落ち着いている。
「ははっ……はあ」
笑いがおさまってきたみたい。
エヴァンさんは息を整えて、
私たちへと向き直った。
口元以外はフードに隠れて見えない。
けれど、どこか探られているような気がして、視線を逸らした。
「あの」
私は思わず、口を開いた。
「エヴァンさんは——
ヴェルスの『魔塔の人』なんですか……?」
話題を逸らすためだけではない。
ずっと、気になっていた。
さっきの会話では、私が思い浮かべた魔塔のことかどうかは分からない。
エヴァンさんの口の端が、
少し上がって、
「うん、そうだよ」
あっけらかんと答えた。
(そうなんだ……)
気に掛かっていたことが分かって、
頭の中が少しだけ晴れた気がした。
その反面、
(やっぱり、「エヴァン様」って呼んだ方がいいのかな?)
新たな気掛かりに、首を捻った。
気づけば視線が下がって、ひとり悩み込んでいた。すると、
「しかも、
こう見えて、二番目に偉い人ね」
エヴァンさんはニヤッと笑って、そう付け加えた。
(これは……)
「……エヴァン様?」
こう呼んでほしい……ってこと?
そう思ったけど——
「えっ?! いや、いいよ。今まで通りで」
エヴァンさんは驚いた表情をして止めた。
「何なら、『エヴァン』って呼び捨てでもいいしね〜」
ピクッ。
腕の中にいる透真が、わずかに体を揺らした。
(どうしたんだろう?)
首を傾げていると、
「こっわ……」
エヴァンさんがぼそっと呟いた。
「透真?」
「……ん」
透真は相変わらず、重たげな声で応えた。
(寝そうになって、ぴくっとしたのかな?)
「寝てていいよ」
そう言って頭を撫でると、
透真はさっきよりも小さな声で返事をした。
透真が頼ってくれている。
そう思うとうれしくて、自然と頬が緩んだ。
「……エヴァンさん」
あらためて、エヴァンさんに話しかけた。
魔塔のことは聞きたい。
だけどそれは、透真と相談してからだ。
(異世界について、話さないといけないかもしれないし)
「どうしたの?」
私はゆっくりと、エヴァンさんを見つめた。
エヴァンさんは静かに、私の言葉を待っていた。
そっと、口を開く。
「ありがとうございました」
私の言葉に、エヴァンさんはぴたっと動きを止めた。
「……うん?」
"何のこと?"
そう言いたげなエヴァンさんに、私は続けた。
「透真のこと……
エヴァンさんがいなかったら、きっと今頃、フィンを連れたまま透真を抱えて、途方に暮れていたと思います」
「だから、ありがとうございます」
まだ安心できる状態ではない。
けれど、エヴァンさんのおかげで、
透真のため、冷静に動くことができる。
(何も、知らないままだったら……)
透真に無理をさせて、余計に負担をかけていた可能性だってあった。
そうなったら、
最悪は、暴走した魔力に——
きゅっと、目を瞑った。
考えるだけで、怖い。
「ネナちゃん」
柔らかなエヴァンさんの声に、瞼を緩めた。
いつの間にか俯いていた顔を上げる。
「ネナちゃんは——真面目だね」
「…………え?」
予想もしていなかった言葉に、
ぽかんと、口が開いた。
「感謝されるのはうれしいけど、真面目すぎておにーさんは心配だよ」
エヴァンさんはやれやれと言うように、首を横に振った。
「あっ。勝手に年下だと思ってたけど、違ったらごめんね」
「え? えっと……」
「俺は二十歳」
「あ……私は、十九歳です」
「へぇ? それならおにーさんでもおかしくないね」
「そう……ですね?」
さっきまでの空気とは、全く違う。
その変わり様に戸惑いながら、私は言葉を返した。
エヴァンさんは口元に手を当て、見上げるような素振りをした。
「ネナちゃんの丁寧な振る舞いはいいところだけど……」
顔を覆う、紫の縁がふわりと揺れる。
エヴァンさんの口元が、弧を描いた。
「もう少し図太く生きてもいいんじゃない?」
フードの奥の瞳が、
まっすぐ私を捉えた——気がした。
第二十九話
鏡の島-透明に差す- 完




