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第二十六話:落ちる黒②


***


フィンと顔を洗い終えたあと、

マメが潰れた手に薬草を塗った。


『フイール』という植物。

外傷に塗ると、傷を膜で覆ってくれる。


ひんやりとした感触。


炎症を抑える効果もあるようで、


(アロエみたい)


手のひらを眺めながら、ぼんやり思う。



やがて傷を覆う露が渇いて、着替えをしていたとき、


『間もなく、ウブラに到着いたします』


と、船内アナウンスが流れた。


私は急いで着替えを済ませて、フィンの元へ駆け寄った。



「フィンも着替えよっか」


停船前は船が大きく揺れるかもしれない。

だから、本当はアナウンスが鳴る前に済ませたかったけれど……


(ベッドの上なら、大丈夫だよね?)


フィンは大きく頷いたあと、

ソファから降りて、私の手をぎゅっと握った。


そのまま、ふたりで部屋へと戻っていく。


下船時間は午前中いっぱいあるとはいえ、何が起きるかは分からない。

それに、

早く移動して、透真を休ませてあげたい。


船が到着するまでの時間も、できることは済ませておこう。


さっそく、フィンの着替えを手伝おうとして、ふと。


(フィンの着替え、透真のスマホのなかだった……)


うっかりしていた。

私はちょうどベッドに登ったばかりのフィンに、目線を合わせた。



「フィン、着替え持ってくるから、ベッドの端で待っててね」



そう言って、壁際の隅っこを指差した。


「わかった!」


しゃかしゃかしゃか


フィンはすぐに、四つんばいで角へと移動した。


私は隅っこにちょこんと座ったフィンを見届けてから、透真の部屋へと向かった。



戸を開ける前に、透真に声をかける。


「透真? 開けるね」


ひと呼吸だけ待って、ゆっくりと戸を引いていった——



「!」



戸を開けて真っ先に目に入ったのは、

ベッドに腰をかけて俯く透真の姿。


上半身には何も羽織らず、

赤みを帯びた白い肌が露わになっていた。



「透真……?!」



慌てて透真の前に腰を落として、下から透真の顔を覗き込んだ。


「辛いの? どこか、痛い……?」


私の声かけに、透真が重く視線を上げた。

その瞳は潤んでいて、どこかぼんやりとしていた。それなのに、



「……大丈夫」



透真はいつもみたいに、平気な素振りを見せようとした。


(大丈夫じゃ、ないでしょう……?)


そうは思ったけど、今はそんなことを言ってもどうしようもない。



「……自分で服着れそう?」


「うん……」


透真は横に置いてある服を手に取ると、もそもそと頭から被った。

透真の姿をよく見ると、下はすでに履き替えたようだった。


(……病院に、行った方がいいかもしれない)


薬屋さんにと思っていたけれど、透真の様子に不安が募る。

専門知識のある人に見てもらった方が、いいのではないかと。


薬でどうにかなると安易に考えていた自分に、胸の奥が酷く沈んだ。


(あれ、でも……)



——この世界って、お医者さんはいるのかな?



魔法で治癒ができるのに、医者という職業が存在するのか、首を傾げた。


もしいなかった場合、どうしたらいいのだろう。


……すっ。


気づけば、腕輪を撫でていた。


私の〈ヒール〉ではきっと、透真の熱は治せない。

分かってはいる。けれど——


(……あ)


ハッと、ラウハでの会話を思い出した。



『エーリオさんが治してくれたんだ』



私の肩の痛みを"エーリオさんが治した"と、透真は言っていた。


(もしかしたら……)


教会に行けば、

透真の体調を治してもらうことができるかもしれない。


(ウブラに着いたら、教会を探そう)


それは決定。

ただ、ひとつだけ問題がある。


私は心のうちに向けていた意識を、目の前の透真へと向けた。

やっとのことで服を着終えた透真は、相変わらずぼんやりと遠くを見つめている。


「……」


この状態の透真を連れて、探し歩くことはできない。

無理は、させられない。


だけどもし、教会が見つかったとして、

司祭さんに宿泊先まで来てもらうことなんて、できるのだろうか。


(船を降りるときに、聞けるかな……?)


ふっと、まつ毛が揺れた。


昨日、透真の異変に気づいたとき、

すぐに気にかけてあげれば、エヴァンさんに聞くことができたかもしれない。


(透真なら、もっとうまくできただろうな……)


辛そうな透真の姿に、

後悔と自責の念が、胸の奥でじわりと広がった。



「透真、もうすぐウブラに着くよ」


「うん……」


「……フィンの着替え、出せそう?」


「うん……」


スマホを操作する透真の手は、震えていた。


きっと、体が冷えているんだ。


(熱、上がってる……?)


透真の側に光の粒が滲み出し、フィンの服が姿を現した。


それを視界の端に映しながら、

私はまた、透真の額に触れた。



——熱い。さっきよりも、確実に。



透真の額から、そっと手を離した。


一度私だけ下船して、

教会の場所を確認してから、移動をする方がいいかもしれない。


(そのあとは、どうしよう……)


〈身体強化〉されているなら、

透真くらいは、背負うこともできるだろうか。


身長差のある透真を背負うのは大変だろうけど、

かろうじて支えることさえできれば、なんとかなるはず。


そこまで考えてふと、

ビエント峡谷でのことを思い出した。


魔物の群れがいる戦場に向かうとき、透真に抱えてもらいながら空を飛んだ。

そのとき透真は、「重くない」と言っていた。


あのときは気を遣ってるのだと思っていたけど、

本当に重くなかったとしたら——


(それなら、大丈夫かもしれない。……よし)


着いたらすぐに船を降りて、教会を探そう。


私は透真の手を両手で包んだ。



「透真、移動できるようになったら呼びにくるから。

 ……辛かったら、寝て待っててね」



そう言って、手を離した。


部屋を出ようと振り向いた瞬間——



がしっ。



手首を包んだ、熱。

視線を戻すと、透真が私の腕を掴んでいた。


「……」


透真の瞳が、私の姿を捉えている。



「透真……?」



なにか、言いたいことがあるのだろうか。


だけど、透真はただ静かに、じっと見つめてくるだけ。


(どうしたんだろう……)


「……」


「……」


ただただ、無言の時間が過ぎていく。



「と、うま……フィンが待ってるから……」



喉が張り付いて、声が詰まってしまった。


……こくん。


私の言葉に透真は小さく頷くと、のっそりと立ち上がった。

——私の腕を、掴んだまま。



「えっ? 透真……?」


さっきまでは休んでくれる様子だったのに、急にこんな風に動き出すなんて。


透真はちらっと目線を私に向けると、


「……フィンのところ、行くんだろ?」


少しだけいつもより低い声を出した。


(……怒ってる?)


気のせいかもしれないけれど、そんな風に見えた。


「そう……だけど、透真は休んでていいんだよ?」


「いや、俺も行く」


透真はそう言って、私の手を引いて歩き出した。


(どうしよう……)


私は引かれるがまま、透真の後をついていく。


「トーマ?」


隣の部屋に戻ると、フィンが不思議そうな声で透真の名前を呼んだ。

そしてすぐに、透真の後ろにいる私の姿が見えると、

「あっ、ネナもいる!」と続けた。


「フィン、おまたせ」


私はフィンに微笑んで、そっとフィンの服を渡した。


「ありがとう〜!」


「いいえ。……ひとりで大丈夫?」


着替えを手伝うつもりだった。

けれど、腕は掴まれたままで手伝えそうになかったから、そう尋ねた。


フィンは一瞬きょとんと目を丸くすると、腰に手を当てて頬を膨らませた。


「ネナっ、ぼくもうおにいさんだよ」


「ひとりでおきがえ、なれてるもん!」

そう言いながら、いそいそと着替えをはじめた。


(あ……)


そういえば、フィンは私たちと旅に出る前は、ひとりで身の回りの世話やお家のお手伝いをして暮らしていた。


旅を始めてからは甘えてくれることが多かったから、そのことをすっかり忘れていた。


「そうだね。私が手伝いたかっただけかも」


そう言うと、

フィンはぴたりと動きを止めて、そおっと私を見上げた。


「えへへっ。そうなんだ〜」


フィンはうれしそうにはにかむと、再び着替えを続けた。


(さて……)


ご機嫌よく着替えているフィンを横目に、ちらっと透真を見上げる。



(!)


透真と目が合った。



ずっと……見てたの?



ふいっ。



思わず、目を逸らした。

慌てて口を開く。


「とっ、透真。そろそろ離そう?」


「……」


透真は黙ったまま。だけど、



ぎゅ……。



腕を掴む手に、わずかに力が込められた。

ゆっくりと、もう一度透真に視線を向けた。


とろんと重たげな瞼。

だけど、

透真の瞳は変わらず、私の姿を映していた。


まるで、一瞬も見逃さないように。



(……もしかして)



——甘えて……る?




私はじっと、透真を見つめ返した。


(不安にさせるつもりは、なかったんだけどな……)


透真の瞳が、揺れているように見える。


私は透真の頭に手を伸ばして、髪をすくように優しく撫でた。



「透真」



名前を呼ぶと、透真はふいっと目を逸らした。


嗜められると思ったのかもしれない。

いつもより子どもっぽい仕草に、思わずくすっと笑ってしまった。


「……」


透真の目が、ちらりと不満げに私を見つめる。



「ぷはっ!」



横から聞こえた声に振り向く。

フィンが首元を引っ張っていた。


全身を見る。

どうやら、着替え終わったみたいだ。


「おきがえおわったよ! トーマのおせわする?」


フィンはきらきらと瞳を輝かせている。


「うん。透真の手、握ってあげて」


「てをにぎるの?」


不思議そうな顔で聞き返したフィンに、私は頷いた。


「透真、ベッドに……」


"座って"


その言葉は、出てこなかった。


振り向いた、瞬間。




フラッ——




「!」



透真の体が傾いた。


そのまま、

私にもたれかかってくる。



「透真?!」

「トーマ……?」


「……はぁっ……はぁ」



荒い呼吸。熱い体温。


私の腕を掴んでいた骨ばった手が、

ゆっくりと解けていった——。



第二十六話:

鏡の島-落ちる黒- 完

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