第二十六話:落ちる黒①
「……透真」
部屋に戻ってきて、すぐのことだった。
『音凪、先に風呂入って』
そう言われて、透真の顔を見上げると——
透真の顔は、真っ赤に染まっていた。
甲板にいたときと比べて、明らかに熱がこもっている。
「やっぱり、熱あるでしょう……?」
「……」
黙り込む透真。
そして、息を潜めるかのように、ゆっくりと視線を外した。
そのまま、誤魔化すつもりなのかもしれない。けれど、
(元々、肌が白いから……)
いくら透真でも、赤く染まった肌までは隠せない。
雨に濡れて、体は冷えているはず。
本当はお風呂に入ってもらいたかったけど……。
とりあえず、
すぐに着替えてもらおう。
「……透真、服脱いで」
「!?」
透真は逸らした視線を勢いよく戻して、ぎょっとした目で私を見つめた。
「濡れた服、脱いで。体拭くから」
「じ、自分でできる……」
透真はたじろぎながら、いそいそと自分の部屋に入っていった。
(無理させないようにしよう)
私はそう決心しながら、カラカラと閉まる戸をじっと見つめた。
「トーマ、おねつ〜?」
ソファに座っているフィンが尋ねた。
そっと振り向くと、フィンはこてんと首を傾げていた。
「うん。だから今日は、私と一緒に寝ようね」
「!!」
フィンは目を大きく見開き、
下がり眉をさらに下げた。
リベルタでのことを思い出したのか、
「えっとぉ……」
と、返事に困っている。
しっかり、トラウマになってしまっているようだ。
(私のせいだから、申し訳ないけど……)
それでも、さすがに具合の悪い透真とは、一緒に寝させてあげることはできない。
(ソファで寝た方がいいかな……?)
私はそんなことを考えながら、
フィンのためにココアを注いだ。
少しして、着替えた透真が部屋から出てきた。
濡れた服を洗面室に置くだけかと思ったら、
「……」
そのままソファに座ろうとした。
「透真」
ぴくり。透真は肩を揺らした。
ゆっくり振り向いて、
静かに、口を開いた。
「音凪……早く風呂……」
「透真がちゃんと寝ないと、私は入らない」
「フィンは……」
「一緒に入るから、大丈夫」
「……え」
透真は何か言いたげに、わずかに口をはくはくさせた。
だけど、すぐに
「……分かった」
観念したかのように、そう呟いた。
のそのそと、部屋に戻っていく。
(うん。やっぱり、具合の悪い時の透真だ)
熱は、結構高いかもしれない。
"こんなとき、体温計があればなぁ"と、
久しぶりに異世界での不便さを感じた。
でも、明日になれば島に降りられる。
それだけはよかった。
こんな大きな船が寄る島だから、
きっと、それなりに発展しているはず。
(降りたらまず、宿屋さん。そのあと薬屋さんを探して……)
明日の予定を考えながら、自分の部屋に着替えを取りに向かった。
***
フィンと一緒にお風呂に入ってしばらく。
私は時折透真の様子を見ながら、
共有スペースでフィンとゆっくり過ごしていた。
そして早めの夕飯を済まして、フィンを私の部屋で寝かせたあと、
私はひとりソファで寝た——はずだった。
「……」
(どうして、ベッドにいるの……?)
目が覚めると、
なぜか私は、ふかふかのベッドにいた。
また間違えたのかと思ったけれど、
横にはフィンも透真もいない。
私は慌てて、部屋を見回した。
(……透真の部屋だ)
急いでベッドから出て——
カラカラッ!!
部屋を飛び出した。
流れるように、右を振り向く。
「……すぅ」
透真が、ソファで寝ていた。
(やってしまった)
夜中に起きた覚えはない。
きっと、ソファで寝ている私に気づいた透真が運んだ。
そうとしか思えない。
少し考えれば、透真がそうすることは分かることだった。
静かに、透真へと近づいた。
(起きない……)
あんなに、大きな音を出したのに。
額に手を伸ばすと、手のひらにぴりっと痛みが走った。
(傷が……)
「……」
そっと、手の甲で額に触れる。
——とても、熱い。
「……ん」
透真のまつ毛がわずかに揺れた。
そしてゆっくりと、焦茶の瞳が姿を現した。
「音凪……」
「おはよう。透真」
透真はのっそりと、体を起こした。
私はそんな透真を見つめて、
「ごめんね」と呟いた。
「……布団が重くて寝苦しかったから、ちょうど良かったんだ」
透真は少し沈黙したあと、
弱く笑って、私の頭を撫でた。
(……絶対にうそ)
そう確信はしているけれど、
私に透真を責めることはできない。
透真から、窓の外に視線を移した。
外はうっすら、陽が出てきたばかりだった。
普段なら、起きるにはまだ早い。
(『明け方に着く』って言ってたよね)
そう言っていたのはエヴァンさんだけではない。
昨日の夕方、船内放送でも案内があった。
「……」
本当は今すぐに、ベッドで寝てもらいたかった。
しかし、すぐに到着したら、
余計な体力を使わせることになるかもしれない。
私は透真に背を向けて、
ドリンクサーバーのある棚へと向かった。
「透真、何か飲みたいのある?」
棚の前でしゃがみ込んで、透真のいるソファの方を振り返った。
透真は一瞬、立ち上がろうとした。けれど、
「……水」
すぐに、ソファへと腰を戻した。
「うん」
立ち上がるのを止めてくれてよかった。
私は二人分の水を注ぎながら、
ほっと息をついた。
「はい、透真」
水を注いだコップを渡す。
透真は眉を下げて、そっと受け取った。
「悪いな……」
「……悪いなんてこと、ない」
「……そうだな」
「ありがとう」
透真は困ったように少しだけ笑って、静かにコップに口をつけた。
ゴクゴクと、
音が聞こえるくらい、一気に飲んでいる。
とても喉が渇いていたようだ。
よく見ると、髪と服がぴたっと肌に張り付いて、湿っている。
寝ている間に、たくさん汗をかいたのだろう。
(熱が、下がってたらいいな……)
透真は両手でコップを持って、ぼーっとしている。
ぼんやりしているのに、指はそわそわとコップの面を撫でていて、どこか落ち着かない。
「……」
ひとまず、今は体を冷やさないよう、着替えはしてもらおう。
「透真」
「ん……?」
「汗冷えるよ。体拭いて着替えよう?」
「……自分でやる」
「うん」
透真はそう言うと、重たげに腰を上げ、
そのまま部屋へと向かっていった。
透真の姿が部屋の中に消えたのを見て、
ふっとテーブルに視線を移した。
テーブルの上には、さっき透真が使ったコップがひとつ。
中を覗くと、空っぽになっていた。
(おかわり、入れておこう)
コト……。
私は自分の分のコップをテーブルに置いて、透真のコップを手に取った。
そして、もう一度棚に向かったときだった。
カラカラァ。
戸が開く音がした。
振り向くと、奥の部屋から目をこするフィンが顔を覗かせた。
「ネナぁ……」
「おはよう。フィン」
「おぁよぉ……」
フィンは舌足らずに返すと、おぼつかない足取りで、私の元へと歩いてきた。
私はそんなフィンの目線に合わせて、腰を屈めた。
「ココア飲む?」
「!」
まだ半分しか開いていなかった目が、ぱっちりと開いた。
「のむ!」
満面の笑顔で元気いっぱい頷くフィン。
『ココア』の一言で、すっかり目が覚めたらしい。
フィンの素直な反応に、くすくすと笑みをこぼした。
「持っていくから、ソファで待っててね」
「はあい!」
フィンは元気よく返事をすると、軽い足音を響かせて、ソファにちょこんと座った。
私は先に透真の水を注いで棚の上に置き、
新しいコップを取り出して、ココアの筒を手に取った。
コポコポコポ……
ココアの甘い香りがやさしく鼻をくすぐって、胸の奥に沁み込んでいく。
自然と、頬がほどけた。
筒を戻して、空いた方の手で透真のコップを持つ。
立ち上がって、ソファで待つフィンに体を向けた。
フィンは体を左右に揺らしながら、今か今かとココアを待っている。
(ふふっ)
「はい。どうぞ」
私はそっと、ココアの入ったコップを差し出した。
「ありがと〜!」
「ちゃんと両手で持ってね?」
「はーい!」
フィンはコップを両手で受け取って、慎重に口元へと寄せた。
ふぅ、ふぅ。
フィンがココアを冷ます姿を見ながら、
静かに、透真のコップをテーブルの上に置いた。
(今のうちに、身支度しようかな)
昨晩、ほとんどの支度は済ませた。
今日は着替えて、外に出る準備をするだけでいい。
だけど、
「……」
体調の悪い透真と、幼いフィン。
私ひとりで、ふたりを支えなければならない。
できることは、早めにした方がいいはず。
(……うん)
私は自分の分のコップを手に取り、
サッとひとくち、喉を潤した。
「ねぇ、ネナー」
「……どうしたの?」
フィンはココアの入ったコップをテーブルにそっと置いて、私を見上げた。
「トーマのおねつ、なおった?」
ココアにニコニコとしていた、さっきまでの表情は消えていた。
(……フィンも、心配してるんだね)
気づかれないように、息を吸った。
「……ううん。まだ、熱があるの」
フィンが不安にならないように、
ゆっくりと、ただ事実だけを話した。
「そっかぁ」
フィンはそう呟くと、
私から視線を外して、ココアをじーっと見つめた。そして、
ぐびっ!
一気にココアを飲み干すと、ぴょんとソファから降りた。
そのまま、棚の前まで駆けていく。
(どうしたんだろう……?)
首を傾げながらフィンの行動を見守っていると、
棚にコップを置いたフィンが、くるっと振り返った。
「ぼく、トーマのおせわする!」
強く意気込んで声を上げたフィン。
その姿に、肩の力がふっと抜けた。
知らず知らずのうちに、気を張り過ぎていたようだ。
透真が体調を崩して、焦っていた自分に気づく。
「ふふっ」
気づけば、笑っていた。
(フィン、ありがとう)
「それじゃあ……
透真のお世話するために、まずはお出かけの準備しちゃおうか」
「うん!」
窓から差し込む朝日が、フィンの笑顔を照らした。




