第二十五話:地につく水平線①
「透真っ!!
私を——信じて!!」
信じて、透真。
「っ……」
喉の奥に痛みを感じたのと同時に、
大荒れの嵐の中で頬を撫でた、
ひと吹きのやさしい風。
それが何だったのかを考える間もなく、水球が放たれる。
水球を躱す。
唸る雷鳴に、すぐに傘を傾け軌道を逸らす。
怪物が海の中から、じっとこちらを見据えている。
——怪物の紅い眼が、一層強くギラついた。
(まだ何かあるの……?!)
緊張が、体中を駆け巡った。瞬間——
——音凪っ!!!
「!」
頭の中に響いた、透真の声。
すかさず私は上昇した。
傘を下に振り下ろし、盾に切り替える。
(透真——!)
盾の範囲は広い。
傘の中に蹲れば、
透真の〈光線〉だって、
受け止めてみせる。
傘の内側に収まるよう、体を丸めた。
降下前のわずかな浮遊感。
体が傘ごと落下しはじめた、刹那——
——シュン!!
透明な傘の向こう側に見えた、
空気を切り裂く一筋の光。次の瞬間、
バッシャァアアン!!
大きく弾けた水飛沫。
怪物は紅い眼を大きく見開いた。
私はすぐさま脚を伸ばす。
そのままの勢いで空を蹴るように傘を反転。
再び飛行に戻すと、上昇した。
「グ……ボォ……?」
上昇しながら見た怪物の額には、穴がひとつ。
拳より小さいくらいのその穴の中から、
光の粒が滲み出す。そして——
「……」
怪物の眼は光を失い、
その巨大な体は、ゆっくりと海の底へ沈みはじめた——。
「はぁっ……はぁっ……」
荒い呼吸を整えながら、怪物が沈んでいく様子をじっと見つめる。
(……倒せ、た?)
私は安心しかけて、はっと我に返る。
傘を握る両手にぐっと力を入れて、海を見据え直した。
まだ安心してはいけない。
油断させるための罠かもしれない。
そんなことを考えて、ふと違和感に気づいた。
——明るい。
バッ!!
空を見上げた。
「っ」
太陽の光が目に染みる。
さっきまで空を覆い尽くしていた鈍色の雲は見る影もなく、
透き通った青がどこまでも広がっていた。
(そういえば、風も……)
私たちを激しく揺らしていた風も、気づけば落ち着いていた。
私はもう一度、怪物が沈んでいった海を見つめた。
——海面は、穏やかに揺れている。
(……終わったんだ)
息を落とした。
もう、脅威は去っていった。
そう思ったら、目の奥がじんと熱くなって、自然と涙が零れた。
巻き込んでしまう心配は、もうしなくてもいい。
これで、
ふたりの元へ戻れる。
私は【音摘】を止めて、零れ続ける涙をそのままに、辺りをきょろきょろと見回して船を探した。すると、
ブォオオオオ。
遠くから聞こえた汽笛の音。
音の方向を振り向くと、直前までは見えなかった船の姿がそこにあった。
(エヴァンさん……!)
〈影幕〉がなくなった。
船にいるみんなにも、透真の〈光線〉で怪物を倒したことが分かったのだろう。
私は小さく見える船の方向へ、一目散に飛んでいった。
船に近づいていくと、
船尾の甲板に立つ、ひとつの人影が見えてきた。
(——透真っ!)
私はいつかの時みたいに、そのまま透真に飛び込もうとした。けれど、
(透真……?)
私を待つ、透真の表情が暗い。
私は速度を落として、ゆっくりと透真の前に降り立った。
するりと、
傘がやさしく、私の手首を撫でる。
「……音凪」
「うん」
今にも泣きそうな声で、私の名前を呼ぶ透真。
どうしてそんなに、
悲しそうなの……?
私はそう尋ねたい気持ちを堪えて、透真の言葉を待った。
透真は一瞬、口をきゅっと結んだ。
そして、ゆっくりと息を吐くように、言葉を紡いでいった。
「……音凪、ごめん。
俺……音凪のこと——信じられなかった」
ちくん。
胸の奥に、痛みが走った。
「ごめん。ごめん、音凪……っ」
震えた声で謝り続ける透真。
透真は俯いて、拳を強く握りしめている。
その姿はなんだか、私よりもずっと小さく見えた。
「……透真」
名前を呼ぶ私の声に、透真は静かに、俯いていた顔を上げた。
私はそんな透真の頬にそっと左手を添えて、透真の瞳をじっと見つめた。
「……おかえりって、言ってくれないの?」
——「おかえり」って、笑ってくれたら……
それだけでいいんだよ。透真。
その言葉は、音にはならなかった。
言わなくても、きっと……。
透真は目を大きく見開いて、
すぐに顔をくしゃっと歪めた。
「音凪……」
「うん」
「っ……おかえり……!」
透真は相変わらず泣きそうで、
それでも笑って、私をぎゅっと抱きしめた。
「ただいまっ……!」
私はそっと、透真の背中に手を回して抱きしめ返した。




